矢切の渡しと小説「野菊の墓」
表紙絵は例によつてBENさんの作品で「矢切の渡し」です。細川たかしが唄って大ヒットした同名の歌謡曲があります。調べてみたら昭和59年の発売でした。32年も経つのですね。
「つれて逃げてよ・・・ついておいでよ・・」カラオケでずいぶん歌ったものです。この曲は石本美由起の作詞ですが、巧い歌詞ですね。「噂かなしい柴又すてて・・」という歌詞から松戸へ上がり、さてそれから先は・・「しらぬ土地だよ・・」と格好よく強がりを言ってはみても、悲しい逃避行に変わりはありません。が、そんなことを追求してもあまり意義のないことで、ここはわが民族のノスタルジーの世界に浸って居ればよいのでしょう。
近松の心中物を読むような感興に打たれますが、高度成長期にあってもこういう復古調が流行るのですね。そう言えば「昭和枯れ芒」というのもあったなあ・・どちらも高度成長に乗り遅れた人々の哀感を反映したものなのでしょうか。
また、この渡しは映画「男はつらいよ」でも屡々登場しました。昭和44年に公開された第1作では冒頭に出て来ます。この時、寅次郎は松戸側から乗船して柴又へ上がり帝釈天を訪ねます。大人30円、子供20円と書いた古ぼけた板が映し出されます。
「矢切の渡し」に詩的情調を付与したのは明治の歌人、伊藤左千夫。
伊藤左千夫に「野菊の墓」という小説があります。明治39年(1906)『ホトトギス』に発表され、漱石が激賞したことなどもあって好評を博し、以来読み継がれているだけでなく、幾度となく映画やテレビドラマになり、また舞台でも上演されました。
小説のクライマックスは「矢切の渡し」での別離のシーンです。ここは涙なしには読めぬところで、映画でも女子学生の紅涙をしぼるところとなっています。 ただし作中の「矢切の渡し」は江戸川を渡って柴又へ向かう実在の渡しではなく、千葉方面へ行くときの「渡し」として設定されている架空の渡しなのですが、小説の舞台が矢切村であることから、実在する「矢切の渡し」をイメージして書かれたことはまちがいありません。
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