しらみうせ紐の看板
弥次・喜多の初日の泊まりは戸塚宿でしたが、2日目宿を発って街道に出ると乞食坊主に出会い銭をせびられます。その遣り取りがおもしろいので以下に引用します。
むこうよりちょんがれぼうず、やぶれたあふぎにて手をたたきながら、
坊主「ヒヤア御はんじょうの旦那方一文やつて下しやいませ」、
弥次「つくな つくな」、
坊主「とことことこよいとこな」、
喜多「コレ、つくなといふに、銭ハねえへ」、
坊主「ナニ、ないことがござりやしよ 道中なさるおかたにはなくて叶わぬぜにと金、またも杖・笠・蓑・桐油なんぼ しまつな旦那でも、足一本でハあるかれぬ。その上 田町反魂丹、コリヤさつてやのしらミ紐、ゑつちうふどしのかけがえもなくてハならぬ。そのかハり古いやつハ手ぬぐひにおつかひなさるが御徳用」、
弥次「エエやかましい、ソレやろう」
と、はヤミちより一文ほふりだす。坊主「コリヤ四文銭(なミセん)とハありがたい。」
弥次「ヤ四文ぜにか、なむさんぼう、三文つりをよこせ」
坊主「ハゝゝゝゝゝゝ」
弥次「いめへましい」
上のやりとりで面白いのは乞食坊主のセリフの中に旅の携行品目がでてくるところです。ぜに金、杖、蓑、笠まではわかりますが、桐油とは・・?これは紙製の合羽のこと。雨具、防寒兼用です。桐の実から製した油を塗ってあります。
反魂丹、俗に越中富山の反魂丹と呼ばれる腹薬のこと。ここでは芝田町境屋のものを言っているようです。
さつてやのしらみ紐というのは挿絵を載せました。小伝馬町に さつてや という店があったようです。
春よ江戸かゆいところへ手がとどく 椎下堂 活麿
正確な名称は「しらみうせ紐」といい、腰紐様の紐に水銀を混合した薬品をぬり襦袢の下に付けておくとしらみ除けに効があったそうです。近代になってからも軍隊の中で重宝がられ大陸へ行く兵隊はこれを携行したそうです。
旅の乞食坊主が、いきなり銭の無心をしますが、弥次・喜多はそれに応じます。その態度に少しも不自然さがなく、江戸時代というのはそういう社会だったのですね。「反魂丹」、「越中ふんどし」等もっと解説をしたいのですが、それは別の機会に・・。
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