享保四年九月六日
一、白川筋薄場渡に例年の如く仮橋を懸け、往来の者共より壱銭宛取り申し度由飽田郡嶋新村御百姓共願い奉る通り村庄屋書付郡奉行衆より差し出され候に付き、例書相添え御家老中へ相達し願いの如く仰せ付けられ候事
田崎方面から川尻へ行く際、薄場橋を渡るコースが最短である。長六橋コースは東へ大きく膨らむので遠くなる。そのために仮橋が懸けられたのであろう。通行料金が1文というのは安い。普段の渡し船ではそんな安値にはできなかったであろう。
享保四年九月六日
一、白川筋薄場渡に例年の如く仮橋を懸け、往来の者共より壱銭宛取り申し度由飽田郡嶋新村御百姓共願い奉る通り村庄屋書付郡奉行衆より差し出され候に付き、例書相添え御家老中へ相達し願いの如く仰せ付けられ候事
田崎方面から川尻へ行く際、薄場橋を渡るコースが最短である。長六橋コースは東へ大きく膨らむので遠くなる。そのために仮橋が懸けられたのであろう。通行料金が1文というのは安い。普段の渡し船ではそんな安値にはできなかったであろう。
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