享保四年九月四日
一、南郷野尻手永山付きの村々、猪、鹿大分出、作毛荒れ候に付き、鉄砲の薬、弐貫五百八拾目拝領なされ下され候はば、猟師共へ相渡し打たせ申度由、御御惣庄屋、野尻清右衛門書付御郡奉行衆より差し出し申され候に付き、御家老中へ相達し願いの通り拝領なられ候に付き、則其の段右御郡奉行衆へ此の方より申し遣わし候事
鉄砲の玉薬は藩が管理していたようである。現代でも銃は警察の許可のもと、弾薬の数量は厳重な管理下にある。野尻手永は高森峠の向こう側草壁村あたりが手永の中心地。日向、豊後と国境を接する山間地で、猪、鹿の生息地でもある。その猪、鹿も増え過ぎると駆除されるのは現在も同じだが、現代社会は山間地人口の減少と高齢化により駆除がままならないという問題を抱えている。
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