住みこみ*著書:『住みこみ』(2007年/ラトルズ刊) 戸田家の一年を写真とエッセイで綴った本のタイトルです。

人の暮らしは時間と共に変化します。それを調整しつつ自在に手を入れられる、ゆるやかな設計を心がけています。

現の証拠

2009-05-11 15:48:30 | 露地エリア
(露地エリアにて)
5月10日日曜日 第20候 「ミミズ、地上に這い出る」

ちょうど1週間ほど前、ミミズが小川エリアの小さな池に溺れて死んでいるのを発見した。「なんで溺れるかな~」
日々のことと暦とは必ず合致するというのではないが、暦は節目に起こる事柄としてはよく表している気がする。また昨日は、我家のとんぼ池のおたまじゃくしに足が4本はえて、それでもなお、尻尾に頼って泳いでいる姿を発見した!と娘から報告が入った。(話題が小さすぎる~ 笑)

我家の庭は、一雨ごとに木々の緑が濃くなり、うっそうとして、なんだか深い森に迷い込んだみたいになってしまいます。

先週の木曜日まで降った雨のせいで、木々や草花の剪定を余儀なくされてしまいました。写真の現の証拠(ゲンノショウコウ)は我家では、抜かれる運命にある野草です。可憐な花をつけるので、そのままほおっておいた時もにあったのですが、生命力が強いのか増え過ぎてしまい、やむなく雑草扱いになったのでした。

先日、NHKの番組で京都・大原で自然と寄り添って生活しているベニシア・スタンリー・スミスさんの番組を偶然見ていて、ゲンノショウコウを干して入浴用ハーブに使う例が紹介されていた。
「春の摘み草」というこの回では、野山で摘んできたゲンノショウコをはじめ ヨモギ・ドクダミ・レモンユーカリなどの山野草を、軒先などで普通に乾燥させ、それを洗濯ネットか何かに適当(でないとは思うが・・)に入れて、浴槽で楽しむというものであった。

我家では雑草扱いのゲンノショウコウは、本や図鑑の中では、薬草やお茶として使うという事は知っていた。また、現の証拠(ゲンノショウコウ)の名前の由来も、飲む所を見ている間に現に治ってしまったのがその証拠 であり、そのくらい効き目があるとされている事も知識としては知っていた。

しかし、「薬草」といわれても実感が沸かない、ましてや「煎じて飲む」何ていわれると、大それた事のように思えて、気持ちが引いてしまっていた。しかしこの番組で実際に薬草として実践している様子に触れて、いい意味で「これでいいんジャン!」と思えた。そして「まずはやってみよう」とも。

かくして我家ではドクダミと一緒に、雑草から薬草に格上げになったのでした。アケビの蔓・甘茶に続き、干すものがまた増えてしまったのであった。

現の証拠(ゲンノショウコ)( Geranium thunbergii)は、フウロソウ科 多年草。日本では北海道の草地や本州~九州の日当たりのよい山野に普通に生える。 草丈30~50cm。茎や葉に毛がある。 葉は対生し、3~5に中裂~深裂する。 
花は直径1~1.5cm。果実は蒴果で、長さ約1.5cm。紅紫花種は西日本に、白紫花種は東日本に多く見られる。便秘、下痢、関節痛、神経痛の薬になる。
秋に種子を飛散させた後で果柄を立てた様が神輿のように見える事から、ミコシグサとも呼ばれる。


蛇口

2009-05-07 21:50:53 | 庭いじりのアイテム
(建築中の現場にて)

庭いじりの必須アイテムのひとつだと思うのが、この2口水栓。
たとえば常にホースリールのホースを繋げておきながら、もう一方の蛇口で普通に使えるという優れもの。皆さんも、蛇口にあまりかっこいいとはいえないアジャスターをつけて、いちいちホースを脱着して使ったような、不便な思いをした事がありませんか?
しかもこの形、一見不恰好に見えるかも知れませんが、案外憎めない形をしていて、結構気に入っています。

この水栓も、明るい5月の太陽をいっぱい浴びて、ここに住まう人に使われる事を、今か今かと心待ちにしているように見えた。


キャンプと二輪草

2009-05-06 11:30:06 | 露地エリア
(4/10 露地エリア)

露地エリアに咲く二輪草(ニリンソウ)です。我家では3年程前に地面におろして(鉢から出して地植えして)からちょっとづつ増え、やっと7,8株(本)になりました。

「自生」「群生」という言葉には引かれます。自生は読んで字のごとく自然に生えることであり、対義語として栽培がある。群生は集団を作って生活する事。

集団を作れる環境があった場合のみ、増えること-集団で生息する事ができる。それは全ての動植物に言える事かも知れないが、特に山野草はそれが如実に表れると思う。環境が合わなければ、フェードアウトしていく。いきなり枯れるというより、だんだん小さくなり、やがてひっそりと消えてゆく感じ。

山野草を始めた頃、真っ先に始めたもののひとつに駒草(コマクサ)があった。これは山野草の中でも高山植物の部類になると思うが、これがまさにフェードアウトしていった。毎日観察しながら徐々に小さくなっていく姿に「逝かないで~」と叫んでもどうしょうもできない!(叫んでないですけどね 笑)苦い経験の繰り返し

山野草の庭は、自然に生えるような環境を人工的に作る。矛盾しているようでそういうことに思える。植えて2年目3年目の二輪草。ちょっとづつでも増えいる姿は、その庭が山野草に受け入れてもらえたみたいで、誰に誉められるよりうれしい。それがもし「群生」してくれた日にはもう・・・

2枚目の写真はその二輪草(だと思うが)の群生。あこがれの風景が目の前に広がっていた。それもキャンプしている目の前、小川の向こう岸である。平地である我家の開花より25日遅いという感じか。

(5/4キャンプ場にて)

(標高1300mにあるこのキャンプ場は所々に雪が残り、これからが春本番という頃だった)

二輪草(ニリンソウ):キンポウゲ科  山麓の林の縁や林の中,竹林,土手などに生える多年草です。根生葉は 3 全裂し側裂片は更に深く 2 裂します。柄のない茎葉は 3 枚輪生します。茎葉の間から普通 2 本の長い柄を出し,先端に直径 2 センチくらいの白い花をつけます。一輪草と対比して、花が2輪(以上)だから二輪草だそうです。

二輪草には毒素が無いので食べられる山菜として知られているらしいです。え~え、決して食べる事なんて出来ません。山野草は決して取るな。「とるなら写真を」である。




飛び出しちゃったのね~

2009-05-05 23:45:46 | よその庭
(よその庭/飛騨高山にて)

ある庭の片隅にそれはあった。自分はセーフと思っているようであるが、ハタから見れば完全にアウトですから・・・
人には注意してと言っておきながら、飛び出したでしょう?それとも飛び出すとこんなになっちゃうからと、自ら身を呈して注意を喚起している?なにはともあれこの子の明るい表情がちとエグイ・・・

時に庭はモノの置き場と化す。置いている本人は、あたりまえになりすぎて気にも止めないモノが、違う人が見れば新鮮な風景や、不思議な組み合わせに見えたりする事がある。

(飛騨高山にて2)

漆喰(しっくい)の壁・錆びた鉄板・銅の樋・朽ちかけた木の下見板・竹の格子・柄のついたガラス板・・・そして緑。これは私には違和感を感じない。と言うか「好きだ~」

5月5日子供の日、立夏。初候・第19候(蛙始めて鳴く) この日からが夏だと言うのに、ちょっと肌寒い雨の一日であった。


甘茶

2009-05-02 21:44:20 | 露地エリア
(甘茶)

今日5月2日は八十八夜。「雑節」の一つで、24節気や72候が中国生まれであるのに対し、日本生まれの節目らしい。
立春からかぞえて八十八日目にあたる日。

不意に訪れる遅霜も降りなくなるため「八十八夜の別れ霜」また「さつき寒」といわれ、「お茶摘み」や、八十八を組み合わせると「米」という字になることから、農作業の目安にされてきたりとか、メリハリをつけて季節の変わり目を乗り切る昔、の人の知恵が詰まっているなと思う。

今日はなんだか草木に深いつながりのある日だったんだな。

という訳で載せた訳ではありませんが、本日勢いあまる猩猩を剪定し、ついでに露地エリアの一番南側にある「甘茶」の木も剪定をして、通り庭エリアに置いてある何かが入っていたビンだった一輪挿しにさしておいた。

「甘茶」は茶ノ木ではなく、紫陽花(アジサイ)の仲間。改めて読んでみると、干したこの甘茶の葉を煮出すと甘い飲み物になるらしい。それでは試しにと、一輪挿しから選定したての枝を一本引き抜いて、その葉っぱをそのまま口に含んでみた。 う~ん「甘い!」

なんだか新しい世界に目覚めた気がする。「口に含む山野草」
我家の通り庭には、剪定したあけびの蔓の他に、干すモノが増えそうだ。

甘茶(あまちゃ):、ユキノシタ科の落葉低木ヤマアジサイの変種であるアマチャ(学名:Hydrangea macrophylla var. thunbergii)。山地に生え、高さ約70センチ。夏、周囲に数個の装飾花をもつ花をつける。また、その若い葉を蒸して揉み、乾燥させたもの。およびそれを煎じて作った飲料。ウリ科のつる性多年草であるアマチャヅルの葉または全草を使った茶も甘茶と言う事があるが、前述の「アマチャ」を使った甘茶が本来の甘茶である。

そうそう、八十八夜の「茶摘」と「甘茶」は直接関係ないことを言い忘れた。。。