2024年1月27日(土)、栄中日文化センター主催、「愛知の街道を行く シリーズ1」(2024年1~5月)「宮宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。
今日は、「宮宿」の2回目。
今回のルートです。左やや下の宮から右下の「桜」駅の近くまで歩きます
この画像の出典がすごい!
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この辺りの地形は?
古代には、名古屋市の西半分は海でした。出典『「語りたくなる名古屋」の実現をめざして』
そして古墳時代には、土地の隆起や川の堆積物により、海岸線が南に下りてきました。出典『「語りたくなる名古屋」の実現をめざして』
熱田の台地の南端が、熱田神宮であり、宮の渡しがあったのです。
案内板は充実していますので、現地でご覧ください。
テキスト化しておきましょう。左側です。
熱田湊について
江戸時代、 熱田は東海道の渡津として尾張における最大の港となった。 商品流通の拡大とともに、江戸・大坂通いの回船の泊地として一段と繁栄を極めた。 そこで尾張藩は熱田奉行所を置き、 さらに船舶の取締りをする船奉行、 その下に船番所 船会所などをおいて、 旅人や貨物の検察 保安にあたった。 熱田湊は、明治に近代港が出現するまで、 名古屋の経済発展に大きな役割を果たした。
右側です。
東浜御殿について
東浜御殿は、一説によると、寛永元年 (1624) に初代尾張藩主徳川義直の命で神戸の浜を埋め立てて出島をつくり、そこに造営された。 寛永11年(1634) には、 三代将軍徳川家光が上洛の際に止宿した。 その敷地は1万平方メートル以上、海上城郭の様相を誇っていたとされ、 御殿は名古屋城本丸御殿に匹敵する壮麗な仕様であったと考えられている。
鯱をいただいた小天守閣のような西側の高楼は、桑名城の天守閣に対抗して建造されたものという。これを桑名楼と呼び、東側の楼閣を寝覚楼といった。
御殿の姿を示す資料は乏しいが、2018 年に徳川林政史研究所 (東京)において詳細な間取図が発見された。
東浜御殿の位置は、 現在の内田町付近であったと推定される。
松尾芭蕉との関わりが記されています。
テキスト化しておきましょう。
松尾芭蕉と七里の渡し
松尾芭蕉(一六四四~九四)は、日本を代表する俳人で、「野ざらし紀行」「おくの細道」や「古池や蛙飛び込む水の音」などの句が有名です。
旅の初期に熱田に度々訪れ、林桐葉(現熱田神宮南門付近)の計らいで、名古屋、鳴海の門人達と交流。七里の渡しから舟遊びで、あゆち潟(愛知の語源)を楽しみ、熱田三歌仙を残しました。
「この海に 草鞋捨てん 笠しぐれ」 妙安寺石碑
「海暮れて 鴨の声 ほのかに白し」 妙安寺石碑 五・五・七
「なんとはなしに 何やらゆかし すみれ草」 宮中学校石碑
この舟遊びで五五七の歌などを開拓し、生涯作風が十二たび変化する「芭蕉の時代」となるきっかけが生まれました。
後に名古屋が「蕉風発祥の地」と言われる由縁です。
また、熱田神宮が「蓬莱宮」と読んだのに因み、芭蕉は名古屋を(京都から見て) 蓬左として、書状などに度々使っています。
シーボルトとの関わりも記されています。
テキスト化しておきましょう。
宮の宿とシーボルト
ここ宮(熱田)の宿・神戸の浜から桑名宿まで東海道では唯一の海上七里の海路で、東西の人々の行き交いが盛んであった。
名古屋の本草学者水谷豊文の門下生伊藤藤圭介、大河内存真らは、ドイツ人医師シーボルトが、文政九年(一八二六) 二月オランダ使節に随行して江戸へ参府する際と、四月長崎への帰路、宮の宿で会見し、教えを受けた。
彼らは名古屋の医学・植物学の研究に多大な貢献をした。
名古屋市教育委員会
VRでご覧ください。
動画を見てみましょう。
9章 名古屋の交通・経済発展の要所「熱田湊と宮の渡し」
旅籠屋・伊勢久の建物は解体修理中でした。
有形文化財である丹羽家住宅です。
旅籠は庶民が停まっていた旅館ですが、伊勢久は幕末の頃、脇本陣格の旅籠ということで、西国の各大名も利用しました。
正面の破風(はふ)付き玄関が格式の高さを残しています。
図を拡大してみます。
『尾張名所図会』に残されています。
逆に、『尾張名所図会』の正確さに驚きます。
こちらは熱田荘。
名古屋市有形文化財の熱田荘。
明治二十九年(1896)に建てられた魚半という料亭の建物でした。
太平洋戦争時は三菱重工業の社員寮として、現在は高齢者福祉施設になっています。
動画を見てみましょう。
再発見!七里の渡しの魅力
明日に続きます。
「宮宿」-1- 「宮宿」-2- 「宮宿」-3- 「宮宿」-4- 「宮宿」-5- 「宮宿」-6-最終回
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