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文部科学大臣はこんな人

2015-10-08 05:40:57 | 教育関連情報
文部科学大臣は、元プロレスラー 馳 浩 氏です。

尾木ママこと教育評論家の尾木直樹さんは、馳氏がかつて国語教諭をしていたことを紹介し、「立場の弱い子どものこと、温かいです」などと評価している。

尾木さんは7日朝、「やはり文科大臣には期待大ですね!!」と題したブログ記事を公開。「高校の国語教師もされていて 教師感覚 とても素敵なところありますよ」などと綴った。

  http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/06/hase-hiroshi_n_8254984.html

次の経歴があります。

1984年3月 - 専修大学文学部卒業
1984年4月 - 母校、星稜高等学校の国語科(古典)教諭に就任
1984年7月 - ロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマンスタイルのライトヘビー級で出場、予選敗退した[4]。
1985年8月 - 星稜高等学校を退職、ジャパンプロレスに入団

続けて引用します。

馳氏は1961年、富山県生まれ。専修大を卒業後、母校の星稜高校(石川県)で国語科(古典)教諭に就任。1984年のロサンゼルスオリンピックには、レスリング・グレコローマンの90kg級で出場した。翌年、プロレスラーに転身し、ジャパンプロレスや新日本プロレスで活躍した。

政治家に転じたのは、アントニオ猪木氏がスポーツ平和党を率いて参院選に出馬した1989年。馳氏は猪木氏を秘書として支えた。その後、自民党の森喜朗氏にスカウトされ、1995年の参院選では石川県選挙区から自民党の推薦を受け無所属で立候補し初当選。当選後に自民党に入党した。2000年には衆院に鞍替え。2005年の第3次小泉内閣改造で、文部科学副大臣に就任した。


次のような声も
馳浩は文部科学分野のキャリアを着実に積んできた人だから、文部科学大臣への任用はなんらおかしくない。児童虐待防止法などの実績もある。


2009年6月10日の衆議院文部科学委員会では、新しい歴史教科書をつくる会の『新編 新しい歴史教科書』(自由社)について、改正教育基本法を生かした唯一の教科書だと述べています。

野田聖子の選択的夫婦別姓制度導入に賛成しています。

日教組に批判的な、日本教職員組合問題究明議員連盟に属しています。

みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会にも属しています。


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