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小口城周辺史跡-5-

2024-12-20 07:25:37 | 取材・旅行

2024年12月15日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城史跡」「大口町の小口城址と周辺史跡」(江南市・大口町)へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、6回にわたって紹介しています。今日はその5回目。

今回の訪問地です。

まず、(見学はしていませんが)小口城祉の西南西 白山古墳群・仁所野遺跡を紹介します。

位置関係を見てみましょう。

白山古墳群・仁所野遺跡 です。

この地域は、河岸段丘の上部に当たります。

簡単に作図してみました。この西側が旧五条川(木曽川本流)になるのです。

段丘の上に、縄文後期から弥生前期に人々が住んでいたのです。

第1号方形周溝墓 は白山神社が建っています。

第2号方形周溝墓は建物があります。

第3号方形周溝墓

第5号方形周溝墓

ずいぶん前のことですが、この遺跡につい行われた講演会について、私がまとめたものがあります。

次をご覧ください。

 https://www.tcp-ip.or.jp/~syaraku/nisyono.htm


いよいよ前野屋敷です。

説明です。

文字起こししてみます。


前野家屋敷跡
 吉田龍雲家の屋を中心として、かつての前野氏一族があったことが慶長十三年に作られた「前野村道之覚」絵図と、むかし「八屋敷」(やつやしき)と近くの人々がいっていた事によってわかる。
 祖先は稲木庄主 良峯(よしみね)氏の子孫で良峯高長(一二〇〇)が前野氏の元祖と言われている。
 岩倉織田伊勢守に仕え家老も勤めた家柄である、近郷の豪族生駒・蜂須賀・安井・坪内氏などとの姻戚関係をもつ名門として地域の開発・発展に大きく貢験したことが古文書や「言い伝え」て知られている。
 昭和三十四年の伊勢湾台風で屋内の土蔵が被害を受け、整理中に先祖が残した「武功夜話」などの文書類が発見されて先祖をはじめこの地の様子が鮮明に浮かびてきた。

 特に天下統一を進めた織田信長や豊臣秀吉とは深い関係を持ち、また、蜂須賀小六とは義兄弟の契りを結んだ前野将右衛門をはじめ 小坂孫九郎雄吉(かつよし)、同助六尉雄善(かつまさ)、野田清助、森勘解由などの武将たちを輩出したのもこの屋敷である。
                江南市觀光協会


 特に、前野長康(将右衛門)は、秀吉が織田信長に仕えていた頃からの最古参の家臣で、いろいろな戦で活躍をしました。

 しかし、秀次事件に連座し、キリシタンであったこともあり、子孫は隠れたように生活をしていました。かつて、庭でキリシタン灯籠を見せてもらった記憶があります。

 

家紋は違い鷹の羽

前野小兵衛加賀守由緒碑

文字起こししてみましょう。句読点は私がつけました。


前野小兵衛「加賀守」由緒碑

 越中井波城主 前野加賀守勝長は、岩倉織田伊勢守 家老 前野小次郎尉宗康の三男として此地に生れる。佐々家の猶子となり、佐々成政の鉄砲隊を率い三段撃の戦術を以て名声を博す。天正12年「1584」成政に扈従し厳寒立山さら峠越を敢行、浜松徳川家康、清須城の織田信雄を訪ねる其の折、故郷の山河に佇み、措別涕涙同道の一子嘉兵衛を在所に托し、壮途も空しく領国新川郡で没す。訃報に接し、一族の者八屋敷土居下に供養の為五輪塔を建立。今は観音寺に現存する。子孫繁栄し、水戸光圀に仕官の彰考館総裁、佐々介三郎「子朴」もあり、先祖由緒の此の地を訪ね一首を詠む。
   おもひゆるも 心ほそしや夕けふり
          たつる野原の行ずえの身を  子朴


佐々介三郎は、「助さん、格さん」の助さんのモデルになった人です。

さて、伊勢湾台風のあとで、この土蔵で見つかったのが『武功夜話』

 

 

『武功夜話』は、真贋論争が行われてきました。

出典 毎日新聞 2024/1/17  https://mainichi.jp/articles/20240115/k00/00m/040/211000c

私も、セミナーでいくつか本物が展示されているのを見ました。

この写真を拡大してみます。

豊田工業高専の松浦由起名誉教授が吉田蒼生雄さんの自宅で撮影した「武功夜話」に関する文書の一部=松浦名誉教授提供

現物は段ボール50箱分ほどあるそうです。

私のセミナーレポートのひとつです。

https://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/25e06b4248bac55c7951a802332b6ce0

私の個人的な思いは、話せば長くなりますが、『武功夜話』といわれているもののうち、「五宗記」などは元々は前野長康が書いたと思います。

ただ、写本がつくられていく内に、内容が一部変わったのも事実です。

また、偽書とされている根拠、例えば「江南」という昭和29年にできた地名が使われているという批判は、「大きな川の南にある」という意味で、かねてから使われている言葉です。偽書とする人の知性が疑われます。

確かに、歴史研究の根拠資料としては使えませんが、参考にはなる文書だと思っています。

動画です。

豊臣秀吉の墨俣一夜城は嘘なの?武功夜話は偽書なの?そうとも限らない…【ゆっくり解説日本史】

『武功夜話』は歴史史料として使えるのか?それとも使えないのか?その辺りを考えてみました。


江南市のホームページでも次のサイトが作られています。


 動画です。

【日本の城】尾張国前野屋敷跡 令和5年(2023) 晩冬

前野宗氏

良岑高成

前野長康


明日に続きます。明日は最終回  宮後城です。

小口城周辺史跡-1--2--3--4--5--6-


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