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黒田裕樹の歴史講座

2019-02-06 06:01:33 | 歴史関連情報
おすすめの黒田裕樹の歴史講座を紹介します。


 ここから http://rocky96.blog10.fc2.com/

新しい研究成果を取り入れた考え方です。

たとえば「生類憐れみの令」を次のように書いてあります。

このように、現代においても多くの人々から誤解されている生類憐みの令ですが、実は我が国の歴史に輝かしい功績を残していることを皆さんはご存知でしょうか。キーワードとなるのは、現代の私たちに当たり前のように備わっている「ある精神」です。

先述のように、生類憐みの令以前の江戸時代の社会は戦国の遺風の影響で殺伐とした雰囲気が残っていました。病気などで苦しむ人々がいても誰も目を向けず、また動物も役に立たなければ捨てられるというひどい有様でした。

そんな風習が、生類憐みの令によって綺麗(きれい)さっぱり一掃されてしまったのです。確かに人間よりも動物の方が大切であるかのような法令には行き過ぎた問題がありましたが、年月の経過とともに骨の髄(ずい)にまで染み付いてしまった「戦国の遺風」をなくすためには、ある意味では「劇薬」ともいえるショック療法が必要でした。

生類憐みの令の他に「劇薬」として知られているものに織田信長(おだのぶなが)の領地における「一銭斬り」がありますが、これはたとえ一銭であっても盗めば首が飛ぶというとんでもない内容でした。しかし、この法令があったお陰で信長の領地では夜道を女性が一人で歩けるほど安全になったという記録が残されています。信長の無茶な法令に比べれば、約20年間で69件しか処罰されず、死罪も13件しかなかった生類憐みの令の方がよほど人道的(じんどうてき)というべきでしょう。


田沼意次も正しく評価されています。



メルマガも発行されています。

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    黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編
      Vol.126  H30.09.05

        http://rocky96.blog10.fc2.com/

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こんにちは!黒田裕樹です。
通史でたどる歴史講座の「昭和・戦後編」、今回は「特需景気と経済復
興」です。特需景気は「戦後における日本の経済回復は朝鮮戦争という
多大な犠牲によって成り立っている」という見方もあるようですが、そ
れだけが理由ではないのは言うまでもありません。

(※文章中の「◎」は、教科書において太字などで強調された重要語句
です。文末にもまとめて掲載しています)

「特需景気と経済復興」
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-category-571.html

連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)による「ドッジ=ライン」の
強行によって、深刻な不況に陥(おちい)っていた我が国の経済でした
が、昭和25(1950)年の朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)によって、
劇的な変化を遂げることになりました。

朝鮮戦争によって、我が国に駐留していたアメリカ軍が国連軍として出
動しましたが、その際にアメリカ軍と我が国の業者との間で、国連軍へ
の物資の提供やサービスの調達が直接契約で結ばれました。

この契約は、我が国が戦地に近いこともあって、アメリカ軍から繊維(
せんい)・金属・機械などの発注が急増し、巨額の発注高となったほか
、対価の大半がドルで支払われたため、日本政府の手持ちの外貨が戦争
前の約2億ドルから約9億4000万ドル余りまで一気に増加しました


かくして、我が国の経済は朝鮮戦争による特需によって急激に上向きと
なったのです。これを「◎特需景気」といいます。

ところで、特需景気に関しては「戦後における日本の経済回復は朝鮮戦
争という多大な犠牲によって成り立っている」という見方もあるようで
すが、確かに我が国の経済復興が朝鮮戦争をきっかけとしたことは事実
であるといえます。

しかし、もし当時の我が国の工業力などが不足していれば、アメリカ軍
を中心とした巨額な発注を到底受けいれることはできなかったでしょう
。逆に言えば、戦争という悲劇を経験してもなお高い水準を保っていた
我が国の生産力が、特需景気を支えるとともに我が国の経済を復興させ
たとも言えるのです。

この他、当時の吉田茂(よしだしげる)首相がアメリカのダレスからの
再軍備の要請を断ったことも、戦争によって生産を支える人手を失った
り、あるいは経済に多大な負担を強いる軍備によって復興が遅れたりす
ることを防いだとも考えられますし、また朝鮮戦争そのものは昭和28
(1953)年に休戦となりましたが、アメリカの沖縄基地建設に関す
る需要などによって、特需景気はその後も長期間にわたって続いていま
す。

いずれにせよ、敗戦後の混乱の中で国際競争力に乏(とぼ)しかった我
が国の産業に対して、特需景気が巨大な外需をもたらし、日本経済の発
展を促(うなが)す基盤(きばん)となったことは間違いないでしょう


特需景気を受け、昭和26(1951)年から昭和30(1955)年
にかけて、国民総生産(=GNP)や個人消費が戦前の最高水準に達し
たほか、昭和27(1952)年には◎国際通貨基金(=IMF)と世
界銀行に、昭和30(1955)年には◎関税及び貿易に関する一般協
定(=GATT)に加入しました。

IMFや世界銀行は「世界金融の公正かつ円滑な運営」を目的として設
立されたほか、GATTは加盟国間の公平な貿易を実現するために、輸
入制限や関税の障壁(しょうへき)を取り除くことで「自由で平等な国
際貿易を促進する」ことが主な目的でした。

これらは、1930年代から40年代にかけてアメリカやイギリスなど
で行われた「ブロック経済」などによって、資源を持たない我が国など
が経済的に追いつめられ、第二次世界大戦や大東亜戦争を引き起こす原
因の一つとなったことを反省して設立されたものでした。

IMFや世界銀行、あるいはGATTの加盟によって、我が国は経済的
な面での国際社会復帰を実現させるとともに、自由主義経済の世界的な
一員となったことで、貿易上の問題で戦争が起きることを未然に防ぐと
いう抑止力を手に入れることとなったのです。

大東亜戦争期から敗戦直後にかけて、我が国は深刻な食糧難に悩まされ
続けてきましたが、アメリカが救済復興を目的に占領地域に提供した「
ガリオア資金」による緊急食糧輸入が昭和20(1945)年から同2
6(1951)年まで続いたことで、辛うじて確保されていました。

その後、戦争終結によって働き手が増えたことや、生産技術の向上など
によってコメの生産が史上空前の豊作を繰り返したことで、昭和30(
1955)年頃までにはコメの自給が可能となり、食糧難はようやく克
服されました。

また、特需景気によって我が国が経済面での国際社会の復帰を果たした
こともあって、国民の個人所得が増加して消費水準も向上し、物価も安
定したほか、公営住宅の供給が進んだことで住宅事情も改善され始めま
した。

昭和31(1956)年度に発行された我が国の経済白書において、政
府が「◎もはや戦後ではない」と宣言し、当時の国民にも同じような意
識が広がったことで、昭和30(1955)年から同32(1957)
年にかけて「神武(じんむ)天皇以来」とうたわれた「◎神武景気」を
迎えたのです。

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  今回の重要語句(教科書において太字などで強調されたもの)

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◎特需景気
◎国際通貨基金(=IMF)
◎関税及び貿易に関する一般協定(=GATT)
◎もはや戦後ではない
◎神武景気

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