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哲学入門20 デカルト 我思う、ゆえに我あり

2019-02-07 05:25:13 | 哲学の窓
白坂慎太郎先生の哲学入門

第20回は、デカルト 我思う、ゆえに我あり です。
 ここから https://www.youtube.com/watch?v=ezFxPaGzqno



今回は、巨人 デカルトです。

キリスト教の権威が衰え、伝統や先入観にとらわれない、新しい学問が生まれます。

その1人が経験論のベーコン。そして、経験よりも理性を重んじたのがデカルトです。



江戸時代前期の人です。
数学者としても有名ですね。



そのために



自分自身の身体まで疑うのです。

しかし、



疑っている自分は確実に存在することにたどり着いたのです。

そこで、我思う、ゆえに我あり

真理探究の不動の拠点です。

精神としての私、理性としての私です。

そこから


確実な真理から論理的につないでいく方法です。

1 全ての人は死ぬ。
2 ソクラテスは人である。
3 だからソクラテスは必ず死ぬ。

これが演繹法です。

ただ、1番は帰納法で導かれた大前提です。
この大前提がどれだけ確実かで論理が決まるのです。

デカルトは、1に考える私を置いたわけです。

しかし、「全ての人は死ぬ」のですら、100年後の科学では真実かどうかは分かりません。
脳だけ生かされ続けた場合、その人は生きていると言えるかもしれません。

絶対的な確実な真理とは、時代と共に変わるのです。

となると、帰納法も演繹法も絶対確実ではありません。

とはいえ、この時代に演繹法をあみだしたデカルトは偉大です。

合理的に理性を用いて学問を形成する合理論近代哲学の一つの特徴なのです。

次回はデカルトの後編です。





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