「北方領土の日」社説(2019年2月8日朝刊)を保存しておきます。
まずは毎日新聞です。
「北方領土の日」と安倍首相 立脚点の後退が目につく
北方四島(歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島)の返還実現を求める全国大会がきのう開かれた。
2月7日は、1855年に択捉島の北に国境線を引いた日露通好条約の調印日にあたる。政府は1981年に「北方領土の日」と定め、毎年恒例で大会を開催してきた。
ただ、今年は会場に独特の空気が漂っていた。従来通り、4島の返還にこだわるのか、2島で妥協するのかという岐路に立っていることを多くの参加者が感じていたからだ。
安倍晋三首相は「領土問題を解決して、平和条約を締結する」と型通りのあいさつをし、「日本固有の領土」や「北方四島の帰属」といった表現は避けた。首相退席後、元島民代表が「4島返還のメッセージが影をひそめた」とあいさつすると、会場から拍手が起きた。
揺れた講和条約の解釈
昨年11月、シンガポールで安倍首相とロシアのプーチン大統領が「56年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速する」と合意して以来、この岐路が明確になった。
4島か2島か。戦後の領土問題をめぐる歴史をたどると、確かに「揺れ」が存在している。
日本は51年9月、サンフランシスコ講和条約に署名した。そこには日本が千島列島を放棄すると書かれている。政府は条約批准の国会で千島には国後、択捉が「含まれる」と答弁し、吉田内閣の見解となった。
ところが、次の鳩山内閣になってソ連との平和条約交渉が始まると、56年2月に千島に国後、択捉は「含まれない」とする新たな政府統一見解をまとめる。東西冷戦を背景にした自民党や米国の圧力があった。
ただし、鳩山内閣は日本の国連加盟やシベリア抑留者の送還でソ連の協力を得るため、歯舞、色丹の2島で妥協した。それが、56年10月に署名した共同宣言だった。
この宣言は、平和条約締結後に歯舞、色丹を日本に引き渡すと定めている。残る国後、択捉の扱いに関する記述はない。
今、安倍首相は歯舞、色丹の「2島返還」に軸足を置いた、とみるのが自然だろう。こうした歴史を踏まえ、交渉のテーブルにある「2島返還」で決着した場合のメリットとデメリットを考えてみたい。
国際情勢を見渡せば、「自国第一」の米国が指導力を低下させ、台頭する中国とせめぎ合う。中東の混乱は日本の資源外交に影響を与える。
ロシアとの関係構築は、地域の安定につながるだろう。米国との同盟を維持しつつ、外交の選択肢も増える。強大化する中国へのけん制になる。液化天然ガス(LNG)を豊富に産出するロシアとの関係強化はエネルギー安全保障に資する。
一方で、クリミア併合で関係を険悪化させる欧米は日本の外交姿勢に疑念を抱くだろう。冷戦で疲弊しながら復活したロシアは蓄えた国力を誇示しようとしている。日本が在日米軍を展開させないと確約するなら、安全保障に関わる主権を放棄したと映る。領土問題での妥協は国際的な威信を傷つけるかもしれない。
利益と不利益の比較を
これらを比較考量したうえで、メリットがより大きいなら、妥協することも必要だろう。しかし、昨年11月以降の交渉過程を見る限り、強い懸念を持たざるを得ない。
北方四島について日本はソ連が第二次大戦末期に、中立条約に違反して侵攻し占拠したという立場だ。だが、ロシアは大戦の結果としてソ連領となり、日本が認めなければ領土問題の解決はないと主張する。
ラブロフ露外相は「北方領土」の名称さえ日本は使うべきではないと要求した。これに応じるかのように、日本はこのところ「不法占拠」の表現を封印し、ラブロフ発言にも反論しない。これでは対等な交渉とは言えないのではないか。
問題なのは、歴史認識の違いを交渉に絡めるロシアに、日本が対抗戦略を打ち出せていないことだ。
首相が「2島返還」にかじを切ったとしても、プーチン氏は領土問題を交渉から切り離し、平和条約を先行させる可能性がある。これまでの交渉では、日本側が立脚点を後退させているように見える。
4島の帰属を確定させないまま平和条約だけが進めば、もはや領土交渉を動かすてこを失い、「2島」ですら返還は難しくなるだろう。
このまま前のめりで進めるのは危うい。冷静に現状を分析し、戦略を描き直すべきだ。
次に産経新聞です。
北方領土 四島返還明確に決意語れ 「スターリンの犯罪」が本質だ
安倍晋三首相の口から、日本固有の領土である北方四島が、ソ連・ロシアによって不法占拠されてきたという歴史の真実と、四島を必ず取り戻すという明確な決意が語られることはなかった。残念というほかない。
「北方領土の日」の7日、都内で開かれた返還要求全国大会での首相挨拶(あいさつ)のことである。
元島民でつくる千島歯舞諸島居住者連盟の脇紀美夫理事長は大会で、政府から「四島返還というメッセージ」が影を潜めたと指摘し、「どうしてなんでしょうか」「元島民は365日が北方領土の日であるとの思いで、四島の返還を待ち望んでいる」と訴えた。
政府と国民が共有すべき認識である。
≪不法占拠の認識あるか≫
四島は日本の正当な領土であり日本人の古里だ。現代の日本人が返還をあきらめるようなことがあれば悔いを千載に残す。
首相は、北方領土問題の解決と日露平和条約締結について「容易ではないが、やり遂げなければならない」との決意は語った。ならば、四島返還が問題解決のゴールであると発信すべきだった。
対露外交の責任者である首相の言葉が弱ければ、大会アピールが四島を「わが国固有の領土」とし、「返還実現を目指す」とした意味が減じてしまう。このアピールにしても、不法占拠の事実を指摘しない不十分なものである。
ロシアは、四島は第二次世界大戦の結果、自国領になったと偽りの主張を繰り返している。法と正義に反するロシアに迎合し、慮(おもんぱか)るような姿勢では、交渉の基盤は弱まるばかりではないか。
安倍政権に求められるのは、ソ連の独裁者スターリンの「犯罪」である四島占拠の問題性と、それを返還によって是正する正当性をロシアに毅然(きぜん)として求め、国際社会へも訴えていくことだ。
「北方領土の日」は、1855年の2月7日に日魯通好条約が調印されたことにちなむ。条約は択捉、国後、色丹、歯舞群島を日本の領土として国境線を定めた。北方四島はこれ以来、他国に帰属したことがない。
ソ連は第二次大戦末期の1945年8月9日、スターリンの決定で日ソ中立条約を破り、対日参戦した。日本降伏後に占拠したのが北方四島である。
四島奪取は、戦後の領土不拡大をうたった大西洋憲章(41年)やカイロ宣言(43年)に反する。
ロシアでは北方領土問題の不当性への理解が足りていない。
良識派とされる知識人が、北方領土は「ソ連兵が血で獲得した」などと語り、日本が千島列島全てを要求しているかのような事実誤認も目立つ。
日本の外務省と在露日本大使館は、露国民に向けた広報活動に本腰を入れてもらいたい。
≪国際社会に広く訴えよ≫
その際、四島奪取は「スターリン体制の犯罪」だという視点がロシア人に理解されやすい。スターリンによる弾圧がピークに達した36~37年だけで、ソ連では約150万人が逮捕され、うち約70万人が銃殺された。多くのロシア人に犠牲となった親族がいる。
スターリンの犯罪は許されないと考えているロシアの広い層に、北方領土問題の本質を根強く訴える努力が必要だ。
ソ連・ロシアに苦しめられた国々の行動にも学びたい。
旧ソ連の秘密警察が大戦中の40年、ポーランド人将校ら約2万2000人を銃殺して隠蔽(いんぺい)した。「カチンの森事件」と呼ばれる。
ソ連はこれを「ナチス・ドイツの仕業」と宣伝したが、ポーランドは粘り強く、国内外にソ連の犯罪だと訴え続けた。その結果、90年にはソ連は秘密警察の関与を認めた。2010年には、プーチン首相(当時)が慰霊行事に参加し、「スターリン体制の犯罪は正当化されない」と述べた。
バルト三国は、独ソ不可侵条約の秘密議定書を受け、1940年にソ連に併合された。当事国を無視した密約は無効との認識が広がり、91年の独立回復につながった。ロシアが四島支配の根拠に挙げるヤルタ協定(45年)も日本と無関係の秘密合意にすぎない。
ポーランドもバルト三国も、自ら「スターリンの犯罪」に声を上げ、結果を出した。ロシアに遠慮して黙っていたのなら成果はなかったはずだ。安倍政権はこれら対露交渉の成功例に学ぶべきだ。
まずは毎日新聞です。
「北方領土の日」と安倍首相 立脚点の後退が目につく
北方四島(歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島)の返還実現を求める全国大会がきのう開かれた。
2月7日は、1855年に択捉島の北に国境線を引いた日露通好条約の調印日にあたる。政府は1981年に「北方領土の日」と定め、毎年恒例で大会を開催してきた。
ただ、今年は会場に独特の空気が漂っていた。従来通り、4島の返還にこだわるのか、2島で妥協するのかという岐路に立っていることを多くの参加者が感じていたからだ。
安倍晋三首相は「領土問題を解決して、平和条約を締結する」と型通りのあいさつをし、「日本固有の領土」や「北方四島の帰属」といった表現は避けた。首相退席後、元島民代表が「4島返還のメッセージが影をひそめた」とあいさつすると、会場から拍手が起きた。
揺れた講和条約の解釈
昨年11月、シンガポールで安倍首相とロシアのプーチン大統領が「56年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速する」と合意して以来、この岐路が明確になった。
4島か2島か。戦後の領土問題をめぐる歴史をたどると、確かに「揺れ」が存在している。
日本は51年9月、サンフランシスコ講和条約に署名した。そこには日本が千島列島を放棄すると書かれている。政府は条約批准の国会で千島には国後、択捉が「含まれる」と答弁し、吉田内閣の見解となった。
ところが、次の鳩山内閣になってソ連との平和条約交渉が始まると、56年2月に千島に国後、択捉は「含まれない」とする新たな政府統一見解をまとめる。東西冷戦を背景にした自民党や米国の圧力があった。
ただし、鳩山内閣は日本の国連加盟やシベリア抑留者の送還でソ連の協力を得るため、歯舞、色丹の2島で妥協した。それが、56年10月に署名した共同宣言だった。
この宣言は、平和条約締結後に歯舞、色丹を日本に引き渡すと定めている。残る国後、択捉の扱いに関する記述はない。
今、安倍首相は歯舞、色丹の「2島返還」に軸足を置いた、とみるのが自然だろう。こうした歴史を踏まえ、交渉のテーブルにある「2島返還」で決着した場合のメリットとデメリットを考えてみたい。
国際情勢を見渡せば、「自国第一」の米国が指導力を低下させ、台頭する中国とせめぎ合う。中東の混乱は日本の資源外交に影響を与える。
ロシアとの関係構築は、地域の安定につながるだろう。米国との同盟を維持しつつ、外交の選択肢も増える。強大化する中国へのけん制になる。液化天然ガス(LNG)を豊富に産出するロシアとの関係強化はエネルギー安全保障に資する。
一方で、クリミア併合で関係を険悪化させる欧米は日本の外交姿勢に疑念を抱くだろう。冷戦で疲弊しながら復活したロシアは蓄えた国力を誇示しようとしている。日本が在日米軍を展開させないと確約するなら、安全保障に関わる主権を放棄したと映る。領土問題での妥協は国際的な威信を傷つけるかもしれない。
利益と不利益の比較を
これらを比較考量したうえで、メリットがより大きいなら、妥協することも必要だろう。しかし、昨年11月以降の交渉過程を見る限り、強い懸念を持たざるを得ない。
北方四島について日本はソ連が第二次大戦末期に、中立条約に違反して侵攻し占拠したという立場だ。だが、ロシアは大戦の結果としてソ連領となり、日本が認めなければ領土問題の解決はないと主張する。
ラブロフ露外相は「北方領土」の名称さえ日本は使うべきではないと要求した。これに応じるかのように、日本はこのところ「不法占拠」の表現を封印し、ラブロフ発言にも反論しない。これでは対等な交渉とは言えないのではないか。
問題なのは、歴史認識の違いを交渉に絡めるロシアに、日本が対抗戦略を打ち出せていないことだ。
首相が「2島返還」にかじを切ったとしても、プーチン氏は領土問題を交渉から切り離し、平和条約を先行させる可能性がある。これまでの交渉では、日本側が立脚点を後退させているように見える。
4島の帰属を確定させないまま平和条約だけが進めば、もはや領土交渉を動かすてこを失い、「2島」ですら返還は難しくなるだろう。
このまま前のめりで進めるのは危うい。冷静に現状を分析し、戦略を描き直すべきだ。
次に産経新聞です。
北方領土 四島返還明確に決意語れ 「スターリンの犯罪」が本質だ
安倍晋三首相の口から、日本固有の領土である北方四島が、ソ連・ロシアによって不法占拠されてきたという歴史の真実と、四島を必ず取り戻すという明確な決意が語られることはなかった。残念というほかない。
「北方領土の日」の7日、都内で開かれた返還要求全国大会での首相挨拶(あいさつ)のことである。
元島民でつくる千島歯舞諸島居住者連盟の脇紀美夫理事長は大会で、政府から「四島返還というメッセージ」が影を潜めたと指摘し、「どうしてなんでしょうか」「元島民は365日が北方領土の日であるとの思いで、四島の返還を待ち望んでいる」と訴えた。
政府と国民が共有すべき認識である。
≪不法占拠の認識あるか≫
四島は日本の正当な領土であり日本人の古里だ。現代の日本人が返還をあきらめるようなことがあれば悔いを千載に残す。
首相は、北方領土問題の解決と日露平和条約締結について「容易ではないが、やり遂げなければならない」との決意は語った。ならば、四島返還が問題解決のゴールであると発信すべきだった。
対露外交の責任者である首相の言葉が弱ければ、大会アピールが四島を「わが国固有の領土」とし、「返還実現を目指す」とした意味が減じてしまう。このアピールにしても、不法占拠の事実を指摘しない不十分なものである。
ロシアは、四島は第二次世界大戦の結果、自国領になったと偽りの主張を繰り返している。法と正義に反するロシアに迎合し、慮(おもんぱか)るような姿勢では、交渉の基盤は弱まるばかりではないか。
安倍政権に求められるのは、ソ連の独裁者スターリンの「犯罪」である四島占拠の問題性と、それを返還によって是正する正当性をロシアに毅然(きぜん)として求め、国際社会へも訴えていくことだ。
「北方領土の日」は、1855年の2月7日に日魯通好条約が調印されたことにちなむ。条約は択捉、国後、色丹、歯舞群島を日本の領土として国境線を定めた。北方四島はこれ以来、他国に帰属したことがない。
ソ連は第二次大戦末期の1945年8月9日、スターリンの決定で日ソ中立条約を破り、対日参戦した。日本降伏後に占拠したのが北方四島である。
四島奪取は、戦後の領土不拡大をうたった大西洋憲章(41年)やカイロ宣言(43年)に反する。
ロシアでは北方領土問題の不当性への理解が足りていない。
良識派とされる知識人が、北方領土は「ソ連兵が血で獲得した」などと語り、日本が千島列島全てを要求しているかのような事実誤認も目立つ。
日本の外務省と在露日本大使館は、露国民に向けた広報活動に本腰を入れてもらいたい。
≪国際社会に広く訴えよ≫
その際、四島奪取は「スターリン体制の犯罪」だという視点がロシア人に理解されやすい。スターリンによる弾圧がピークに達した36~37年だけで、ソ連では約150万人が逮捕され、うち約70万人が銃殺された。多くのロシア人に犠牲となった親族がいる。
スターリンの犯罪は許されないと考えているロシアの広い層に、北方領土問題の本質を根強く訴える努力が必要だ。
ソ連・ロシアに苦しめられた国々の行動にも学びたい。
旧ソ連の秘密警察が大戦中の40年、ポーランド人将校ら約2万2000人を銃殺して隠蔽(いんぺい)した。「カチンの森事件」と呼ばれる。
ソ連はこれを「ナチス・ドイツの仕業」と宣伝したが、ポーランドは粘り強く、国内外にソ連の犯罪だと訴え続けた。その結果、90年にはソ連は秘密警察の関与を認めた。2010年には、プーチン首相(当時)が慰霊行事に参加し、「スターリン体制の犯罪は正当化されない」と述べた。
バルト三国は、独ソ不可侵条約の秘密議定書を受け、1940年にソ連に併合された。当事国を無視した密約は無効との認識が広がり、91年の独立回復につながった。ロシアが四島支配の根拠に挙げるヤルタ協定(45年)も日本と無関係の秘密合意にすぎない。
ポーランドもバルト三国も、自ら「スターリンの犯罪」に声を上げ、結果を出した。ロシアに遠慮して黙っていたのなら成果はなかったはずだ。安倍政権はこれら対露交渉の成功例に学ぶべきだ。