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第386回 社楽の会 -宮沢賢治の世界-

2013-03-15 07:08:05 | 社説を読む
 昨日の社楽の会は、修文大学 太田昌孝先生に、宮沢賢治について熱く語っていただきました。



 強く感じたのは、「やまなし」という作品を理解しようと思ったら、他の賢治の作品をいくつか読まないといけない、というお話でした。

 その通りだと思います。

 あらためて、じっくり『春と修羅』『銀河鉄道の夜』を読んでみたいと思いました。



 私が、昨年、「やまなし」の授業の指導の時に作成した資料の一部です。


2 「やまなし」について
 小学校の文学教材の最高峰。
 賢治27歳の作品で、翌年発表した心象スケッチ『春と修羅』と共に、(トシを失った)当時の賢治の思想が色濃く反映している。

 「やまなし」 :小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。

『春と修羅』序:わたくしという現象は 仮定された有機交流電灯の 一つの青い照明です

3 宮沢賢治の人生(「やまなし」との関わりにおいて)

1896年(明治29年)8月岩手県に生まれる。
     質店の息子であった賢治は、凶作の農民の困窮した姿をたびたび目撃する。

1903年 小学校入学。童話を好み、石や昆虫を採集した。仏教講話に参加。

1909年 旧制中学に入学。鉱物採集に熱中。哲学書を愛読し短歌の創作を始める。
    法華経(輪廻・永遠の生命)に心酔する。

1920年 大学研究生を卒業。助教授推薦の話を辞退。法華経の会に入信。

1921年 上京し盛んに童話の創作をおこなう 11月、農学校教師となる。

1922年 最愛の妹、トシの病死。

1923年 4月、「やまなし」岩手毎日新聞に掲載。

1924年 4月、心象スケッチ『春と修羅』を自費出版。
    12月、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』を刊行。

その他の参考事項
 ベジタリアンだった。エスペラントを学習した。オルガンやセロを習った。
 『農民芸術概論綱要』:「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

 1933年(昭和8年)9月21日に急性肺炎で死去。享年37。


 最愛の妹・宮沢トシは、賢治より2歳若い、11月5日生まれ。
そして、24歳の11月27日、亡くなりました。

 法華経のテーマ「輪廻・永遠の生命」は、「やまなし」のテーマでもあり、そのベースには、その前年のトシの死があります。

 トシが11月に生まれ、11月に亡くなったことにも、賢治は輪廻を感じていたのではないでしょうか。

 「やまなし」は、5月と12月と書かれていますが、賢治の原稿は、5月と11月でした。 
 岩手毎日新聞の誤植で、12月で世に出て、そのまま12月になってしまいました。


 しかし私は、11月に戻すべきだと思います。

 5月の対比月は11月です。(1→7,2→8、3→9と、6を足せばよい。)

 本来ヤマナシは、春の5月頃開花し、秋の10月頃に成熟するもので、12月では遅すぎます。

 何より、トシは、11月に生まれ11月に亡くなっています。

 12月ではいけないのです。

 ・・・・・と、私は思います。 

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