昨日の社楽の会は、修文大学 太田昌孝先生に、宮沢賢治について熱く語っていただきました。
強く感じたのは、「やまなし」という作品を理解しようと思ったら、他の賢治の作品をいくつか読まないといけない、というお話でした。
その通りだと思います。
あらためて、じっくり『春と修羅』『銀河鉄道の夜』を読んでみたいと思いました。
私が、昨年、「やまなし」の授業の指導の時に作成した資料の一部です。
2 「やまなし」について
小学校の文学教材の最高峰。
賢治27歳の作品で、翌年発表した心象スケッチ『春と修羅』と共に、(トシを失った)当時の賢治の思想が色濃く反映している。
「やまなし」 :小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。
『春と修羅』序:わたくしという現象は 仮定された有機交流電灯の 一つの青い照明です
3 宮沢賢治の人生(「やまなし」との関わりにおいて)
1896年(明治29年)8月岩手県に生まれる。
質店の息子であった賢治は、凶作の農民の困窮した姿をたびたび目撃する。
1903年 小学校入学。童話を好み、石や昆虫を採集した。仏教講話に参加。
1909年 旧制中学に入学。鉱物採集に熱中。哲学書を愛読し短歌の創作を始める。
法華経(輪廻・永遠の生命)に心酔する。
1920年 大学研究生を卒業。助教授推薦の話を辞退。法華経の会に入信。
1921年 上京し盛んに童話の創作をおこなう 11月、農学校教師となる。
1922年 最愛の妹、トシの病死。
1923年 4月、「やまなし」岩手毎日新聞に掲載。
1924年 4月、心象スケッチ『春と修羅』を自費出版。
12月、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』を刊行。
その他の参考事項
ベジタリアンだった。エスペラントを学習した。オルガンやセロを習った。
『農民芸術概論綱要』:「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
1933年(昭和8年)9月21日に急性肺炎で死去。享年37。
最愛の妹・宮沢トシは、賢治より2歳若い、11月5日生まれ。
そして、24歳の11月27日、亡くなりました。
法華経のテーマ「輪廻・永遠の生命」は、「やまなし」のテーマでもあり、そのベースには、その前年のトシの死があります。
トシが11月に生まれ、11月に亡くなったことにも、賢治は輪廻を感じていたのではないでしょうか。
「やまなし」は、5月と12月と書かれていますが、賢治の原稿は、5月と11月でした。
岩手毎日新聞の誤植で、12月で世に出て、そのまま12月になってしまいました。
しかし私は、11月に戻すべきだと思います。
5月の対比月は11月です。(1→7,2→8、3→9と、6を足せばよい。)
本来ヤマナシは、春の5月頃開花し、秋の10月頃に成熟するもので、12月では遅すぎます。
何より、トシは、11月に生まれ11月に亡くなっています。
12月ではいけないのです。
・・・・・と、私は思います。
強く感じたのは、「やまなし」という作品を理解しようと思ったら、他の賢治の作品をいくつか読まないといけない、というお話でした。
その通りだと思います。
あらためて、じっくり『春と修羅』『銀河鉄道の夜』を読んでみたいと思いました。
私が、昨年、「やまなし」の授業の指導の時に作成した資料の一部です。
2 「やまなし」について
小学校の文学教材の最高峰。
賢治27歳の作品で、翌年発表した心象スケッチ『春と修羅』と共に、(トシを失った)当時の賢治の思想が色濃く反映している。
「やまなし」 :小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。
『春と修羅』序:わたくしという現象は 仮定された有機交流電灯の 一つの青い照明です
3 宮沢賢治の人生(「やまなし」との関わりにおいて)
1896年(明治29年)8月岩手県に生まれる。
質店の息子であった賢治は、凶作の農民の困窮した姿をたびたび目撃する。
1903年 小学校入学。童話を好み、石や昆虫を採集した。仏教講話に参加。
1909年 旧制中学に入学。鉱物採集に熱中。哲学書を愛読し短歌の創作を始める。
法華経(輪廻・永遠の生命)に心酔する。
1920年 大学研究生を卒業。助教授推薦の話を辞退。法華経の会に入信。
1921年 上京し盛んに童話の創作をおこなう 11月、農学校教師となる。
1922年 最愛の妹、トシの病死。
1923年 4月、「やまなし」岩手毎日新聞に掲載。
1924年 4月、心象スケッチ『春と修羅』を自費出版。
12月、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』を刊行。
その他の参考事項
ベジタリアンだった。エスペラントを学習した。オルガンやセロを習った。
『農民芸術概論綱要』:「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
1933年(昭和8年)9月21日に急性肺炎で死去。享年37。
最愛の妹・宮沢トシは、賢治より2歳若い、11月5日生まれ。
そして、24歳の11月27日、亡くなりました。
法華経のテーマ「輪廻・永遠の生命」は、「やまなし」のテーマでもあり、そのベースには、その前年のトシの死があります。
トシが11月に生まれ、11月に亡くなったことにも、賢治は輪廻を感じていたのではないでしょうか。
「やまなし」は、5月と12月と書かれていますが、賢治の原稿は、5月と11月でした。
岩手毎日新聞の誤植で、12月で世に出て、そのまま12月になってしまいました。
しかし私は、11月に戻すべきだと思います。
5月の対比月は11月です。(1→7,2→8、3→9と、6を足せばよい。)
本来ヤマナシは、春の5月頃開花し、秋の10月頃に成熟するもので、12月では遅すぎます。
何より、トシは、11月に生まれ11月に亡くなっています。
12月ではいけないのです。
・・・・・と、私は思います。