週刊池上彰と学ぶ日本の総理 石橋湛山
第7号は、病気を患い、たったの65日間だけで辞職した総理、石橋湛山です。
戦前の彼の言論は、その時代からすると見事です。
戦前は『東洋経済新報』を拠点に、一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱えるリベラルな言論人として知られています。
今でこそ当たり前ですが、戦前に民主主義を主張し、台湾・朝鮮・満州の放棄を主張する小日本主義を訴えたのは先が見えていたということです。
日本の敗戦後は日中米ソ平和同盟を主張して活躍し、退陣後は中華人民共和国との国交回復に力を尽くしました。
存在感のある政治家だったことがわかります。
【7号】
*石橋湛山
信念のジャーナリスト宰相
◆石橋湛山総理誕生
◆プロフィール 石橋湛山
◆大仕事 大一番
ジャーナリスト宰相の原点 言論人・湛山の戦い
◆交友交際図
◆追跡!総理65日
◆池上彰の5分でわかる政策
「小日本主義」
◆人物伝 総理への道
自身の理論を実践するため、混迷続く戦後に政界入り
◆参謀 石田博英
◆写真で見る世相 昭和33年(1958年)
東京・上野駅 山女たち
◆男の引き際
病に倒れ、信念貫くために辞任を決意
◆リーダーの魅力
石橋湛山の名言・揮毫・人間力
◆派閥人脈
石橋派主要メンバーと支持議員
◆ファーストレディ秘話
石橋うめさん
◆多芸余話 趣味と逸話で知る、総理の横顔
◆連載 総理の秘密 池上彰
総理秘書官とは
大辞林です。
いしばしたんざん 【石橋湛山】 ○
(1884~1973) 政治家。東京生まれ。早大哲学科卒。東洋経済新報社社長を経て,第二次大戦後第一次吉田内閣蔵相。1956年(昭和31)自由民主党総裁となり,内閣を組織したが,病に倒れ三か月足らずで辞職。日中・日ソ交流促進に尽力。