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美濃路・稲葉宿-3-

2025-02-13 07:28:43 | 取材・旅行

2025年2月9日(日)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「美濃路・稲葉宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、7回にわたって紹介しています。今日はその3回目。

今回訪問したところです。

今回は、清洲代官所跡 ほかです。

亀翁寺(きおうじ)   稲沢市北市場町屋敷873

御本尊は虚空蔵菩薩で、国の重要文化財に指定されています。
亀翁寺は御小松天皇の頃(14世紀末~15世紀初め)の創建で、享保17年(1732)まで亀翁寺と称したが、寺号を春日井郡下原新田の薬師堂に譲り、虚空蔵堂と称した。
昭和17年(1942)旧号に復した。(案内板より)

画像引用 https://www.jalan.net/kankou/spt_23220ag2130014154/

境内には役行者、馬頭観音が祀られています。

動画です。

仏像シリーズ12 亀翁寺の木造虚空蔵菩薩坐像(2019年修正版)


立部神社

立部神社はお祭りが有名です。次の動画をご覧ください。

こがし祭り 6年ぶりに山車が動く!


北市場 美濃路公園

朝市が開かれていたようです。

立派な碑ですね。

美濃路の案内板です。

このような説明です。

文字起こしてみます。


美濃路の由来

 美濃路は、天正年間(今から約四百年前) 織田信雄が幅五間(九m)の道路に改修させたのが始まりで、東海道と中山道を結ぶ重要
な脇街道であった。
 宮の宿(熱田)で東海道と分かれて、名古屋・清須(清須市)を経て北市場地内を通り、稲葉・起・墨俣・大垣の各宿を経由して垂
井宿で中山道に合流する。その里程は十四里二十四町十五間(五十七六佃)といわれた。
 この道は慶長五年(一六〇〇年)の関ヶ原の役にも重要な役割を果たした。即ち東軍の先鋒として福島正則がこの道を西に進み、さらに勝利をおさめた徳川家康がこの道を通って凱旋した。家康凱旋路、天下統一に因み、江戸時代にはこの道を吉例街道と呼び、江戸・京都間の往来に盛んに利用された。


東海道を利用しなかったのは、七里の渡がいやだったのでしょう。

絵の部分を拡大してみます。


清洲代官所跡

説明板だけが残っています。

文字起こししてみましょう。


清須代官所跡

清須代官の陣屋は、天明三年(一七八三年)分地地内の四番割六六番地に設けられた。尾張徇行記によると、この面積七反余りとなっている。
古川(寛文以後は五条川)を隔てて六角堂と接しており、村境に「役所橋」が架けられている。
この陣屋は明治元年に廃せられたが、建物の一部その後酉三十四番地に移築され、現在佐藤家が管理、使用している。
この辺りは今でも「オジンヤ」とか、「ジンヤアト」と呼ばれている。


今はこの通り、畑です。

建物の一部は現存しています。

画像出典は https://cmeg.jp/w/castles/4395/pins/35235

個人宅なので、ご注意ください。


代官所はどこにあった?

尾張藩代官所 を拾ってみました。もっとあるかもしれません。

北方代官所

天明元年(1781)に北方堤防上に北方代官所(陣屋)が設置され、その管轄は、尾張(愛知県)、美濃(岐阜県)の両国にまたがっており、併せて川並奉行所も置かれていた。

木曽川の堤防下の道路突き当たり、JR東海道本線沿い西側の一角が整備されており、石碑(昭和53年建立)と説明板がある。

小牧代官所

天明2年(1782年)小牧御殿の一角に代官所が設けられた。 小牧御殿は尾張藩初代徳川義直が寛永2年(1625年)に鷹狩を行った際、江崎善左衛門の屋敷を訪れ、蟹清水の庭園と景観を気に入り、この地に建設したもので、その後休憩や宿泊に利用された。

天明2年(1782年)尾張藩の財政窮迫に伴う改革の一環として小牧代官所を設け、尾張国丹羽郡127村、尾張国春日井郡125村、美濃国可児郡5村を管轄した。代官所には14名ほどが詰めていたという。

太田代官所
  • 所在地:岐阜県美濃加茂市太田町
  • 管轄:尾張藩の美濃国中部・東部の直轄領
太田代官所は、尾張藩が美濃国中部・東部の直轄領支配のために設置した代官所です。
 
【所付代官】
  • 尾張藩は、手代任せで贈収賄の横行など腐敗の温床となっていた地方支配体制を改革すべく、天明農政改革の重要な施策として「所付代官」を設置しました。

清洲代官所

【立地】平城 【別称】清洲代官所
【歴史】1783~1868年に置かれた陣屋〔代官所〕である。現在は畑地に変わり、建物の一部が願乗寺のお宅に移築されている。

水野代官所

水野代官所は同じく天明元年(1781年)に、従来の国奉行制度を改めた新たな所付代官制の下に設けられました。

  • 瀬戸市中水野町(旧中水野村鳥林付近)に位置し、多数の村落(管轄111カ村、6万石余)がその統括対象とされています。この改革は、尾張藩の領内行政を細分化し、より効率的な統治を行うためのものでした。

佐屋代官所

佐屋代官所は、愛知県内の尾張地域に存在した代官所のひとつで、跡地は現在、愛西市で確認されています。

  • 具体的な設置時期や管轄区域については、文献や史跡の資料から詳細な情報が得られる場合がありますが、史跡として市によって指定されるなど、地域行政の歴史的遺産として位置づけられています

代官の一般的な仕事を見てみましょう。

【歴史解説】ゆっくり大江戸㊵~お代官様~激務薄給のお江戸の中間管理職【江戸時代】


こちらが六角堂の方向(西)です。

この古川用水で、市街化区域と調整区域に分けられています。

説明がありました。

役所橋跡
江戸時代中期、この橋の北東、現在の清須市分地に尾張藩の清須代官所(陣屋)が構えられていた。
美濃街道六角堂村集落と代官所とを結ぶ役所道がここを通り、この下を流れる古川用悪水路に役所橋が架けられていた。


美濃路に戻りました。

明日第4回に続きます。明日は 長光寺ほかです。

美濃路・稲葉宿-1- -2- -3-


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