松平郷周辺FW -4-
令和6年5月5日、いつものメンバー(積知積徳会)で、松平郷周辺へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせしています。
今回の訪問地です。
今回は、第4回 大給氏の子孫 です。
さらに見学を続けましょう。
物見岩から4の屋敷跡に移動します。
写真ではわかりにくいのですが、石がでかい!
狭い曲輪です。
かなりまとまった広さです。
当時、政治のための建物が集まっていたところです。
水手に移動します。
石塁です。
この奥にも平地が広がり、殿の居館があったと思われます。
水手1です。
堰です
石が積まれた堰でした。ダムと言ってもよいでしょう。これは大興奮です!
人の高さと比べてください!
積まれた石がよくわかります。
すごい高さです。
これまでいろいろな城址を見てきましたが、石塁と言うことなら、この大給城が№1です。
さて、大給松平家の子孫の有名人は?
いただいた系図を紹介します。
乗利は、第1回の手水を納めた人です。
その祖父乗友の弟が乗尹。
乗尹は、幕末に活躍した永井尚志(なおゆき/なおむね)の実父です。
永井尚志 は三島由紀夫の父方の高祖父にあたります。
実は、このブログの 碧南FWへ行ってきました -最終回- で次のように書きました。
宝珠寺は、永井直勝の父・長田重元の屋敷です。
長田(永井)直勝は、家康に仕官しようとしたのですが、父・長田重元は、平治の乱の際に源義朝を殺した長田忠致の兄親致の後裔ということで、断られました。源氏を名乗る家康なので、無理な話です。
そのため、長田から永井に変えました。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは池田恒興を討ち取る戦功を挙げました。
家康や織田信雄らから賞賛されたそうです。
文禄3年(1594年)、恒興の次男・池田輝政は家康の次女の督姫を娶ります。
その際、輝政は、父・恒興が長久手の戦いでを討ち取った時の事を教えてほしいと家康の臣下・直勝に申し入れました。
このとき、直勝の知行が5000石と知った輝政は、父を討ち取った功績の価値が5000石しかないのかとため息をついたとこか・・・・。
子孫に作家の永井荷風や三島由紀夫、狂言師の野村萬斎などがいる。すなわち、直勝と大河内秀綱次女の由利姫との間に生まれた正直(鳴尾永井家)が荷風の12代前、萬斎の14代前の祖先であり、直勝と阿部正勝の娘との間に生まれた尚政が三島の11代前の祖先にあたる。
複雑ですが、Wikiの「永井氏」をご覧ください。
動画を紹介します。
明日へ続きます。
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