日英同盟が廃棄された背景
つからはの日本史工房 より紹介します。
メールでの質問への応答です(2001.12.02)。
> ワシントン会議で四カ国条約が締結されて、日英同盟が破棄され > た理由を、参考書で探したり、先生にも聞いたんですが、いまい > ち納得いきません。 > > 四カ国条約によって、イギリスは日本に領土拡大をされる恐れが > なくなったから、破棄した。 > > これは、僕の勝手な結論なんですが、この解釈のしかたじゃまず > いですか?? 日英同盟が廃棄された背景は,4つほど挙げることができます。 まず,国際連盟規約との抵触です。 国際連盟はもともと紛争を平和的に処理しようとするために設立された国際平和機関ですから,その規約では紛争平和的処理条項と両立しない連盟加盟国相 互間の義務・了解は廃棄されるべきこととされていたのです。ところが,日英同盟はそもそも軍事同盟であり,お互いが第三国から攻められたときには相互 に援助する義務が規定されており,その国際連盟規約とは相容れないものだったわけです。 ですから,日英両国が国際連盟に加盟して以降,第3次日英同盟を更新するかどうかが大きな政治問題となっていました。もちろん,相互援助規定を削除し て同盟関係を更新するということも可能なのかもしれませんが。 2つめに,イギリス内部に日英同盟更新への反対論があったこと。 第1次世界大戦のなかで日本は中国へ勢力を大きく拡大しましたが,もともと中国で最大の勢力を誇っていたのはイギリスです。ですから,中国をめぐる日 英間の利害対立が生じる可能性がありました。 また,第1次世界大戦中からイギリスはアメリカに対して莫大な借款を負っており,そういった金融面からいっても英米関係の重要性が高まっていたわけで す。 こういった点から日英同盟更新への反対論がイギリス内部に存在していたのです。 ただ,アメリカは中国に対しては領土保全・門戸開放・機会均等という立場をとっており,アメリカの立場からすればイギリスが中国に有していた既得権益 は否定されるべき性格のものでした。つまり,イギリスにしてみれば,英米関係を良好に保ちたいと思っても,だからといって中国での既得権益まで放棄す るつもりはない。そこで,アメリカの門戸開放主義に対抗して中国での既得権益を守るために,日英同盟をカードとして活用されていくのです。 3つめは,アメリカが日英間の同盟関係を廃棄させようとねらっていたことで す。 第3次日英同盟はアメリカを仮想敵国から除外していたとはいえ,アメリカが覇権を獲得するためには日英両国の提携はめざわりでしかなく,覇権獲得のた めに日英同盟廃棄は必須条件と判断されていたのです。 そして最後に,当時の日本政府の外交姿勢です。 当時の内閣は立憲政友会の原敬内閣~高橋是清内閣ですが,この政友会内閣は対英協調よりも対米協調路線を取っていました。それは,第1次世界大戦によ ってイギリスの国際的地位が極めて低下し,経済的にも軍事的にも急成長をとげたアメリカの発言力が大きくなっていたためです。 もちろん,だからといって積極的に日英同盟を廃棄しようという立場にたっていたわけではないのですが,イギリスよりもアメリカとの協調を優先させると いう外交姿勢を原・高橋内閣がとっていたため,日本は四か国条約締結にともなう日英同盟廃棄を了承したのです。 > あと、山川の日本史B用語集のP227の右上の、 > 日英同盟改定 ・・・・・・・。1911年改定(第三次)はドイツ進出 > に対応。英米接近より、米国を適用外とした・・・・・・・・・・・・・ > > とありますが、なぜ米国を適用外にしたんですか?? > これもまた勝手な解釈なんですが、 > > イギリスは、アメリカと組んで中国の植民地の範囲を広げようとして、何ら > かの条約を締結した。だから適応外にした。 > この考え方じゃ、まずいですか?? 残念ながら,君の推理は間違っています。 アメリカの対中国政策は領土保全・門戸開放・機会均等を原則としていて,イギリスや日本などのように中国のなかに自国の独占的な勢力範囲を確保しよう とする姿勢とは相容れないものでした。ですから,イギリスとアメリカが組んで領土分割のような形での独占的な勢力範囲の確保をねらうという事態はまず ありません。 そうではなく,当時,英米両国間のさまざまなレベルでの紛争処理を平和的に行うための条約(総括的仲裁裁判条約)を締結しようとする動きがあったため, 第3次日英同盟では,締約国の一方が第三国と総括的仲裁裁判条約を締結した場合には,その締約国はその第三国と交戦する義務を負わないこととしたので す。なにしろ,日英同盟とは第三国を仮想敵とする攻守同盟です。だから,英米間では紛争を平和的に処理しようという話になってきているので,アメリカ は仮想敵から外そうということになったわけです。
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