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田中角栄の遺したもの 週のはじめに考える

2016-06-12 06:00:03 | 社説を読む
今日(6月12日)の社説は、田中角栄の遺したもの 週のはじめに考えるです。

興味深い内容です。

庶民宰相として戦後の豊かさを全国に広げる一方で、金権政治で失脚した田中角栄元首相。その光と影の再評価がブームになっています。

 若い人にはもう歴史上の人物かもしれません。田中元首相は一九一八(大正七)年五月生まれですから、存命なら九十八歳です。

 雪深い新潟の農村に生まれ、高等小学校を出て上京。土建業で身を起こし、戦後の四七年の衆院選で初当選。郵政相や蔵相、自民党の要職を歴任し、最大派閥の田中派を率いて七二年、「日本列島改造論」を掲げ、五十四歳の若さで首相になります。


その中でも、特筆すべきものを挙げてみます。

日本を第一次石油危機が襲ったのは大阪万国博覧会から三年後、首相就任の翌年、七三年十月です。

 六日にエジプト、シリアとイスラエルの間で第四次中東戦争が勃発。アラブ産油国は米国など敵対国への輸出禁止や削減、価格引き上げに動きます。高度成長に沸く日本は危機に直面しました。

 十一月十五日、田中首相は来日した米国のキッシンジャー国務長官と会談。小長さんによると、やりとりは緊迫したものでした。

独自の資源外交

 イスラエルを支援する米国務長官は田中首相に「アラブ寄りだけはやめてくれ」と強くくぎを刺します。

 「日本は石油の80%を中東から輸入している。米国が肩代わりしてくれるのか」と応じますが、国務長官はイエスとは言わない。

 すると田中首相は「この件ではアラブ寄りにさせてもらう」ときっぱり伝えたのです。日米関係を考えると大きな決断です。

 石油価格の急騰で国内は大混乱したものの、日本はアラブの友好国として輸出削減を免れました。無資源国の首相は資源の安定確保の先頭に立たねばならないという、強い決意があったと小長さんは話します。

 中東以外に資源を求めて田中首相は世界各国を精力的に回ります。この独自の資源外交が招くことになる欧米オイルメジャーの反発、米国との確執は首相退陣後のロッキード事件、受託収賄罪による「前首相逮捕」という大疑獄事件の遠因と言う人もいます。


遠因とありますが、まさしくそれが原因です。
証拠も出てきています。

田中首相が決断した資源政策がもうひとつあります。脱石油依存のための原子力発電所建設です。七四年に電源三法をつくり、原発立地の自治体振興策で建設を強力に進めます。

 日本の原子力政策は米国の利害で進められたとの批判があります。福島原発の事故で脱原発は圧倒的な世論になっています。

 ただ、元首相の胸にあったのは脱石油依存、準国産エネルギーとしての原子力発電だったのでしょう。無資源国の首相がエネルギー自立の道を必死に探す姿が浮かびます。


とにかくクリエイティブ。
日本の弱点をカバーしようと懸命に動きます。

首相就任から四十四年。紆余(うよ)曲折はあったものの、北海道と九州は新幹線でつながり、高速道路網が全国に広がり、農村では軽自動車が一人一台と言われるほどに普及して、「日本列島改造論」が構想したインフラ、豊かさの土台は整備されました。

これはその通り。
角栄さんの描いたプラン通りになってきています。

 ただ大きな変化もあります。太陽光や風力などで再生エネルギーをつくり出す技術革新です。ドイツが脱原発へと転換したように、田中元首相が構想した国産エネルギーによる脱石油依存は着実に視野に入ってきています。

 上告中に亡くなりましたがロッキード事件で元首相は有罪判決を受けています。金権政治と呼ばれた政治手法も、大事故につながった原発建設の推進も、厳しく批判されるべきでしょう。

 それでも政治家として多くを後世に遺(のこ)したのではないか。少子高齢化、格差の拡大、巨額の財政赤字…難問が立ちはだかって前が見えない今、あの時代を振り返ってみてはどうか-それが角栄ブームの背景かもしれません。


ここに書かれてはいませんが、年金額を増額し、福祉にも目配りしました。

しかし、何と言っても人材確保法。

デモしか先生をなくし、教育水準を上げたのは角栄さんです。

戦後最大の教育界の功労者は角さんなのです。

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