昨日の大阪教育大学附属平野小学校の研究発表会では、社会科部会ともう一つは国語部会に参加した。
近年、産業界を中心に、国語科における文学教材不要論が巻き起こっている。
野口芳宏先生がよくいう、
「今日は国語の時間、何やったの?」「大きなかぶをやったよ」「昨日も大きなかぶだったけど・・・」
「そこで何を勉強したの?」「おばあさんがかぶを引っ張ったよ」
「そうじゃなくて、そこから何を学んだの?」「明日は娘が来るらしい」
笑い話にもならない。
コンテンツベースの国語授業の実態を表しているからだ。
コンピテンシーに結びつけなければ、それこそ、文学教材不要論に形勢は傾くであろう。
昨日の指導助言者の土山和久先生の論文から紹介しよう。
文学的コンピテンシーを育成する開発的研究 -「文学営為」に見られる行為領域に着目して-
この論文には、文学的コンピテンシーの視点が紹介されている。
なかなか難しい。
これはどうか?
この方が若干わかりやすいか。
しかし、これでも、文学教材の必要性は見えてこない。
読解指導なら、説明文の方が効率的で、しかも教師によって指導内容がぶれない。
1+1は日本全国で2と教えている。
愛知県の県庁所在地は名古屋市と教えている。
しかし、宮沢賢治の『やまなし』では何を教えるのか? おそらくバラバラだ。
あなたはどう思う?
続く・・・
関連論文
国語カリキュラムにとって文学はなぜ必要か
─ 現代米国の文学教育論を手がかりとして
<国語教育に文学は不要か>(上) 「思考や表現力ゆがめる恐れ」 日大文理学部長 紅野謙介さん/東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/2993
<国語教育に文学は不要か>(下) 「教養の格差が不安定を生む」作家・法政大教授 中沢けいさん/東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/2989