マーラー:交響曲第7番『夜の歌』 (スコア付き)
グスタフ・マーラー: 交響曲第7番『夜の歌』 (スコア付き) 作曲年代:1904–06年 管弦楽:南西ドイツ放送交響楽団 指揮:ミヒャエル・ギーレン
00:00 第1楽章 Langsam (ロ短調 – ホ短調) 22:03 第2楽章 Nachtmusik. Allegro moderato (ハ長調 – ハ短調) 38:49 第3楽章 Scherzo. Schattenhaft (ニ短調) 48:36 第4楽章 Nachtmusik. Andante amoroso (ヘ長調) 1:01:38 第5楽章 Rondo - Finale. Tempo I (Allegro ordinario) (ハ長調)
1904年、グスタフ・マーラーは、指揮者としてだけでなく作曲家としても国際的名声を獲得し始めていた。6月には次女が生まれ、夏季保養地のマイエルニッヒの湖畔で《交響曲第6番》を完成させた後すぐに、《交響曲第7番》のスケッチが開始された。1905年8月15日にはスケッチが完成し、1906年にオーケストレーションが完成した。初演までは2年ほどかかっているが、マーラーはこの間にウィーン国立歌劇場の指揮者を辞任し、長女の病気で亡くし、自身の心臓病が発覚するなど、人生に劇的な変化があった。この間にも《交響曲第7番》の改訂が行われており、交響曲の持つ楽観的な部分はこの改訂で軽減されたと推測される。初演は、1908年9月19日にプラハにおいて、マーラーの指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われた。 《交響曲第6番》とは、同時期の作品のため楽器編成などに類似性がみられる。一方、書法や楽章構成は《第6番》というよりかは《第5番》と類似しており、多調や無調の使用は《第5番》より顕著である。直感的な印象は《第5番》より親しみにくく、難解な音楽となっている。 第2楽章と第4楽章には「夜曲 (Nachtmusik)」と付けられており、このことから交響曲全体の標題としても用いられることがある。ただし、標題として用いられ始めたのはマーラーの死後で、もちろんマーラーの公認ではない。