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美濃路・清州宿-2-

2025-01-14 07:28:54 | 取材・旅行

美濃路・清州宿-2-

2025年1月12日(土)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) GW番外編史跡散策会、「美濃路・清州宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。

今回訪問したところです。

第2回は、西枇杷島問屋記念館 です。

美濃路道標

この道標は、文政10年(1827)に、旧枇杷島小橋のたもとに建てられたものです。

かつての枇杷島橋はこの付近に架けられており、昭和10年(1935)に現在の位置に架けかえられました。

文字起こししてみます。


美濃路道標(解説板)

一、美濃路は江戸時代、東海道と中山道とを結ぶ脇街道として発達しました。当時、旅をするのに道標や一里塚はなくてはならないものでした。

一、道標には次のように彫られています。

 東 にし八つ満てん王うきよす宿みち

 西 飛がし八とうかゐだうなごや道

 南 文政十年丁亥七月吉日

 北 い王くら道

一、この道標は文政十年(一八二七)旧枇杷島橋小橋のたもとに建てられたものです。

   交通の要地であった当地の歴史を物語る大切な道標です。

     平成二十年三月 清須市教育委員会


次の「尾張名所図会」の説明が書かれています。

 この地は慶長年間(一五九六~一六一四)、徳川家康の命を受けた市兵衛と九左衛門の二人によって、青物市問屋が開かれたといわれている。その後、問屋は小田井の市、又は枇杷島市場ともいわれ、江戸の千住や大阪の天満と並び、日本三大市場に数えられた。昭和三十年に移転するまでの約三百年間、尾張地域の流通経済の中心地として栄えた。

 右の絵は江戸時代末期、野口道直や小田切春江らによって編さんされた、尾張名所図會所載 森高雅筆によるものである。生き生きとした市場の姿を、今に伝えている。

 市場での取引は、荷主と買主の相対売買が原則であった。買主は素人すなわち直接消費者でもよく、これは、他の市場にみられない大きな特色の一つであった。


西枇杷島町問屋記念館

 上の説明にある通り、日本三大市場の一つでした。

尾張名所図会原本 下小田井青果問屋

画像出典 https://network2010.org/article/9

江戸時代、山田家、野口家により創設された下小田井の市は日本三大市場の一つであった。山田九左衛門家の住居は現在問屋記念館として西枇杷島(清須市)に移転復元され江戸時代の青果問屋の様子を現代に伝えています。


下小田井青果問屋は、枇杷島橋を下り、北へ300mほど行ったところにあります。

橋詰神社では、どんど焼きが行われていました。

問屋町頼朝車 山車蔵 です。

2019.06.08 尾張西枇杷島まつり 問屋町頼朝車町曳き

No.39 西枇杷島 問屋町 頼朝車「車切」

№40~№44もあります。 №40 №41 №42 №43 №44  

No.45 西枇杷島 問屋町 頼朝車 人形囃子「出端・中ノ舞」

橋詰神社近くの案内です。

東六軒町・泰亨車(たいこうしゃ)山車蔵

尾張西枇杷島まつり「東六軒町・泰亨車(たいこうしゃ)」山車 令和4年

 

六軒神社

問屋記念館です。

まずはここから

西枇杷島祭と問屋記念館-[Network2010]

下小田井の市の創始者の一人といわれる山田九左衛門家の住居を、平成4年(1992年)に、移築復元したものです。山田家は、野口家とともに、日本三大市場の一つである「下小田井の市」を支えた中心的な存在でした。明治の初期に建てられ、美濃路を形成してきた町家のなかでも江戸時代の青物問屋の様式を伝える建物です。
大きさ:母屋98.82平方メートル、離れ52.80平方メートル

文字起こししてみます。


 問 屋 記 念 館(解説板)

                  (旧山田九左衛門家住居)

一.旧山田九左衛門家住居は、住居部分とともに商用部分を持った併用 住宅で、間口が狭く、通り庭にそって部屋が並ぶ中二階建てで、座 敷は奥に配されるという典型的な問屋構造を成している。

一.言い伝えによれば、山田家の先祖の九左衛門は、慶長一九年(一六一四) の大阪冬の陣のおり、徳川家康が当地の庄内川を渡河した際、市兵衛 とともにその世話をして功を成し、問屋業を始めたといわれている。

   後にそこに橋が架かると、元和八年(一六二二)九左衛門は市兵衛とともに「御橋守掃除給」として、一反四畝(一三八八平方メートル)余りの「永代除地」(永久免税地)を賜っている。

一.ここに復元された旧山田家住居は、明治の早い時期に建てられ、当 地の美濃路を形成してきた町家の中でも、江戸期の様式を伝える価値の高い建造物である。

   また、本町は明治二四年(一八九一)の濃尾地震で家屋の大半が倒壊するという被害を受けたが、当旧山田家住居はその被害を免れた数少ない家屋の一つである。

   なお、この家屋は平成四年五月に本町橋詰町五一番地から現在地に移築復元された。

                          清須市教育委員会


 

これを見ると、橋の両側に問屋があったことがわかります。

動画です。

西枇杷島問屋記念館

 

 

 


明日、第3回は、柴田家住宅・屋根神様です。

美濃路・清州宿-1- -2-


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