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小牧羽柴軍陣跡 -1-

2024-10-27 07:24:41 | 取材・旅行

2024年10月26日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る 愛知の古城・史跡 秋シリーズ1」(2024年10~12月)「小牧長久手合戦 羽柴軍陣跡巡り」(小牧市)へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、6回にわたって紹介します。

今回の訪問地です。

集合は名鉄小牧線味岡駅。上の「S」に13時集合です。

①に向かいます。上街道の説明がありました。

文字起こししてみましょう。


上街道と藤塚の一里塚
 上街道(木曽街道)は、元和九 (一六二三)年、尾張藩初代藩主徳川義直の命により開設されたとされる藩営の街道である。
名古屋城東御門を出た道は、清水から味鋺の渡しで庄内川を越え、 味美、春日井原、小牧宿、楽田、善師野宿、土田宿を経て伏見宿で中山道に合流する。
街道の道幅は三間二尺(約六メートル)で、両側には松や柳が並木として植えられた。 一(約四キロメートル)ごとに一里塚が設けられ、名古屋城から四番目の一里塚が、ここから約四〇〇メートル南西の街道西側に築かれていた。


上街道については、次をご覧ください。

https://network2010.org/article/234


第1回のメインは、年貢橋(清正橋)です。

年貢橋とは、岩崎山の南東部の原川に架けられていた、石材だけを組合せて作った石橋です。

碑が立っています。

慶長15年(1610年)に始まる名古屋城築城にあたり、岩崎山からも石垣用の石材が切り出されて名古屋へ運ばれました。その際に加藤清正が命じて作らせたという言い伝えから、清正橋とも呼ばれる。しかし、岩崎山は、加賀前田家の採石場です。清正は篠島から石を切り出しているため、この「清正橋」という名称は伝承の誤りでしょう。

七種先生は、「清正」の人気にあやかって、人々がそう呼んだと言っていました。

次のサイトをご覧ください。

https://fanblogs.jp/shirononagori/archive/729/0

名古屋城の「清正石」も、この場所(本丸搦手枡形)は黒田長政の担当場所であり、本来は「長政石」と呼ぶべきだが、清正の人気で名前が変わったようだというのはなるほどと思います。

年貢橋(清正橋)は、現在は土地区画整理事業に伴う水路改修工事により、本田公園内に解体移設され、復元されています。

すぐ下流からは、名古屋城の石垣と同じ刻文を持つ石材3個が発見されており、この石は「原川の落とし石」として市民会館駐車場に展示されています。ともに岩崎山が石材の産地であったことを示す資料として貴重です。

説明です。

「原川の落とし石」は愛知ウォーキング城巡りクラブに説明されています。

ここから https://sengokushiseki.com/?p=4347

明日に続きます。明日は、岩崎山砦です。

小牧羽柴軍陣跡 -1 -2- -3- -4- -5- -6-


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