著者 | P.パステルス 著 松田毅一 訳 |
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内容
日欧交渉史の世界的な権威が、スペインはセビリヤの総文書館に残る古文書を校訂したパステルスの名著『フィリピン史』を心血を注いで訳出、日本に関わる貴重な記録を網羅する。信長・秀吉・家康に至る激動の近世日本における外交史、キリスト教布教史の第一級の史料。
目次
序章
スペイン人の東アジア進出。日本人との出会い、イエズス会、托鉢修道会宣教師たちの来日
第一章
一、平戸の松浦氏がフィリピン総督に書状を送り、大村領のキリスト教徒らマニラを訪れる
二、在日イエズス会員、マニラから宣教師の増援を求めていたが、事態急変してローマ教皇これを禁止
第二章
一、バウティスタ師、豊臣秀吉がイエズス会員の追放例を発したので、教皇令にもかかわらず托鉢修道会員が渡日すべきことを国王に陳情
第三章
一、原田喜右衛門、秀吉にフィリピンを帰服させることを容易と進言し、マニラとの交渉始まる
二、総督、スペイン国王宛に日本の君主太閤に関する情報と、危険が切迫する旨通知する
三、イタリア人マルコ・アントニオ、マニラにおいて日本人侵寇の可能性について証言
四、マニラにおいては日本人の侵寇に対する諸準備が急がれる ……ほか
第四章
一、太閤秀吉、使節コボ師引見し、帰服したものと誤解し、再度、総督宛に書状を認める
二、使節コボの一行が太閤に謁見し、帰国の途に就くまでの動静を原田喜右衛門が証言
三、原田喜右衛門と別の船でマニラに向かうのでコボ師は総督宛の証言を託す。渡日下船長らもマニラで証言 ……ほか
第五章
一、原田喜右衛門はフランシスコ会司祭を第二次遣日使節に推挙し、イエズス会員は反対する ……ほか
第六章
一、バウティスタ師、名護屋で太閤に謁し、船長カルバハール、太閤の書状をマニラに届ける
二、新総督、L・ダスマニーリャスは憤慨を抑制しつつ、太閤に返書も認める ……ほか
第七章
一、サン・フェリーペ号、土佐の浦戸で座礁し、司令官は使者を大坂、京都に派遣
二、太閤秀吉はスペイン人の征服、またバウティスタ師の不況を憤り、京都、大坂聖職者と信徒を逮捕し処刑すべしと命令
三、サン・フェリーペ号乗船者の報告書――カビテ港出航から遭難、長崎での殉教事件までの経過
四、長崎における二十六名の殉教しついての別の報告書――アルカンタラ師の証明 ……ほか
第八章
一、長崎の殉教事件につき、マカオにおいて諸証人を集めて行った訊問の十三の質問事項
二、日本に赴いたポルトガル船事務長らの諸訊問に対する証言
三、フィリピンのサン・グレゴリオ管区長の申請による追加訊問。総督の国王宛の報告
第九章
一、総督テリョと側近モルガ博士、スペイン国王に宛てサン・フェリーペ号に関して報告
二、日本人が台湾を占領する可能性があるため、マニラではスペイン人が先に占領すべきかを検討 ……ほか
第十章
一、第七代総督にアクーニャが就任し、日本では内府様(家康)が天下人となる
二、フランシスコ会のジェロニモ・デ・ジェズーズ師、内府様の庇護のもとに日本、マニラ間の交渉を促進する
三、土佐清水港にエスピリトゥ・サント号漂着し、日本人との間に闘争が生じたが、内府様が円満に解決 ……ほか
第十一章
一、前フィリピン臨時総督ドン・ロドゥリーゴはソテーロの企図を知り、内府様に自分が日本船で使命を帯びて渡航すると申し出る ……ほか
第十二章
一、マニラの学院長モンテス師、江戸・駿河・都を経て長崎に赴き、ついでサンタ・アナ号でヌエバ・エスパーニャへ
二、国王及び副王の遣日使節に任命された司令官ビスカイーノの前歴
三、ビスカイーノ、謁見の際の儀礼について日本当局と紛糾した後、江戸城で将軍に謁す ……ほか
第十三章
一、伊達政宗の使節、支倉六右衛門と徳川幕府の使節ソテーロ師ら、日本船でヌエバ・エスパーニャに向かう ……ほか
スペイン人の東アジア進出。日本人との出会い、イエズス会、托鉢修道会宣教師たちの来日
第一章
一、平戸の松浦氏がフィリピン総督に書状を送り、大村領のキリスト教徒らマニラを訪れる
二、在日イエズス会員、マニラから宣教師の増援を求めていたが、事態急変してローマ教皇これを禁止
第二章
一、バウティスタ師、豊臣秀吉がイエズス会員の追放例を発したので、教皇令にもかかわらず托鉢修道会員が渡日すべきことを国王に陳情
第三章
一、原田喜右衛門、秀吉にフィリピンを帰服させることを容易と進言し、マニラとの交渉始まる
二、総督、スペイン国王宛に日本の君主太閤に関する情報と、危険が切迫する旨通知する
三、イタリア人マルコ・アントニオ、マニラにおいて日本人侵寇の可能性について証言
四、マニラにおいては日本人の侵寇に対する諸準備が急がれる ……ほか
第四章
一、太閤秀吉、使節コボ師引見し、帰服したものと誤解し、再度、総督宛に書状を認める
二、使節コボの一行が太閤に謁見し、帰国の途に就くまでの動静を原田喜右衛門が証言
三、原田喜右衛門と別の船でマニラに向かうのでコボ師は総督宛の証言を託す。渡日下船長らもマニラで証言 ……ほか
第五章
一、原田喜右衛門はフランシスコ会司祭を第二次遣日使節に推挙し、イエズス会員は反対する ……ほか
第六章
一、バウティスタ師、名護屋で太閤に謁し、船長カルバハール、太閤の書状をマニラに届ける
二、新総督、L・ダスマニーリャスは憤慨を抑制しつつ、太閤に返書も認める ……ほか
第七章
一、サン・フェリーペ号、土佐の浦戸で座礁し、司令官は使者を大坂、京都に派遣
二、太閤秀吉はスペイン人の征服、またバウティスタ師の不況を憤り、京都、大坂聖職者と信徒を逮捕し処刑すべしと命令
三、サン・フェリーペ号乗船者の報告書――カビテ港出航から遭難、長崎での殉教事件までの経過
四、長崎における二十六名の殉教しついての別の報告書――アルカンタラ師の証明 ……ほか
第八章
一、長崎の殉教事件につき、マカオにおいて諸証人を集めて行った訊問の十三の質問事項
二、日本に赴いたポルトガル船事務長らの諸訊問に対する証言
三、フィリピンのサン・グレゴリオ管区長の申請による追加訊問。総督の国王宛の報告
第九章
一、総督テリョと側近モルガ博士、スペイン国王に宛てサン・フェリーペ号に関して報告
二、日本人が台湾を占領する可能性があるため、マニラではスペイン人が先に占領すべきかを検討 ……ほか
第十章
一、第七代総督にアクーニャが就任し、日本では内府様(家康)が天下人となる
二、フランシスコ会のジェロニモ・デ・ジェズーズ師、内府様の庇護のもとに日本、マニラ間の交渉を促進する
三、土佐清水港にエスピリトゥ・サント号漂着し、日本人との間に闘争が生じたが、内府様が円満に解決 ……ほか
第十一章
一、前フィリピン臨時総督ドン・ロドゥリーゴはソテーロの企図を知り、内府様に自分が日本船で使命を帯びて渡航すると申し出る ……ほか
第十二章
一、マニラの学院長モンテス師、江戸・駿河・都を経て長崎に赴き、ついでサンタ・アナ号でヌエバ・エスパーニャへ
二、国王及び副王の遣日使節に任命された司令官ビスカイーノの前歴
三、ビスカイーノ、謁見の際の儀礼について日本当局と紛糾した後、江戸城で将軍に謁す ……ほか
第十三章
一、伊達政宗の使節、支倉六右衛門と徳川幕府の使節ソテーロ師ら、日本船でヌエバ・エスパーニャに向かう ……ほか