車の中でショスタコばかり聞いていると、ふと、モーツアルトが聴きたくなります。
モーツアルトの39番を聴いていたときにふと思い出しました。短期間の中で、三大交響曲が作られたことを。
交響曲第39番が完成したのが、1788年6月26日。
日本では寛政の改革が始まった頃。モーツアルト32歳の時です。
K(ケッフェル;モーツァルトの作品を時系列的に配列した学術的な目録番号)では543番です。
この後、ピアノソナタや弦楽四重奏曲の作品が次々に作られ、交響曲第40番が同じ年の7月25日(K.550)、交響曲第41番(K.551)が8月10日に完成しているのです。
(そのあくる日には歌曲「戦いの門出に」K.552が完成)
この間、わずか6週間。
特に、最高傑作の呼び声が最も高い交響曲第41番は、第40番から16日目に完成しています。
40分ほどの大作です。私なら、楽譜を書き写すだけでも1~2週間かかるでしょう。
わずか2ヶ月ほどの間で、10曲ほど、しかも三大交響曲を含めて創作しているのです。
おそらく、私が単純に楽譜を書き写すのと近いスピードで、新しい曲が作られていくのです。
これはまさに驚異です。
この年、ベートーヴェンは18歳。前年には、かねてからあこがれていたモーツァルトに弟子入りを申し入れたといわれています。
ベートーヴェンの初期の作品には、モーツアルトの影響が色濃く感じられます。
ブラームスはそのベートーヴェンを越えられなくて、43歳まで交響曲を発表しませんでした。その第一番は、ベートーヴェン第9番の影響が色濃く表れています。
ベートーヴェンやブラームスが、懸命に真剣に、悲壮感を感じるほど作曲に向かい合っているのに対して、モーツアルトは、まるで呼吸をするように、鼻歌を歌うように曲があふれ出ています。
生活は苦しく、生活のために多作だったともいえますが、それぞれの完成度の高さは、やはり天才という言葉でなければ説明できません。
今日は、ベームの41番を聴くとするか…
モーツアルトの39番を聴いていたときにふと思い出しました。短期間の中で、三大交響曲が作られたことを。
交響曲第39番が完成したのが、1788年6月26日。
日本では寛政の改革が始まった頃。モーツアルト32歳の時です。
K(ケッフェル;モーツァルトの作品を時系列的に配列した学術的な目録番号)では543番です。
この後、ピアノソナタや弦楽四重奏曲の作品が次々に作られ、交響曲第40番が同じ年の7月25日(K.550)、交響曲第41番(K.551)が8月10日に完成しているのです。
(そのあくる日には歌曲「戦いの門出に」K.552が完成)
この間、わずか6週間。
特に、最高傑作の呼び声が最も高い交響曲第41番は、第40番から16日目に完成しています。
40分ほどの大作です。私なら、楽譜を書き写すだけでも1~2週間かかるでしょう。
わずか2ヶ月ほどの間で、10曲ほど、しかも三大交響曲を含めて創作しているのです。
おそらく、私が単純に楽譜を書き写すのと近いスピードで、新しい曲が作られていくのです。
これはまさに驚異です。
この年、ベートーヴェンは18歳。前年には、かねてからあこがれていたモーツァルトに弟子入りを申し入れたといわれています。
ベートーヴェンの初期の作品には、モーツアルトの影響が色濃く感じられます。
ブラームスはそのベートーヴェンを越えられなくて、43歳まで交響曲を発表しませんでした。その第一番は、ベートーヴェン第9番の影響が色濃く表れています。
ベートーヴェンやブラームスが、懸命に真剣に、悲壮感を感じるほど作曲に向かい合っているのに対して、モーツアルトは、まるで呼吸をするように、鼻歌を歌うように曲があふれ出ています。
生活は苦しく、生活のために多作だったともいえますが、それぞれの完成度の高さは、やはり天才という言葉でなければ説明できません。
今日は、ベームの41番を聴くとするか…