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週刊 日本の100人 第58号 伊能忠敬

2019-09-07 05:22:04 | 歴史関連情報
週刊 日本の100人 第58号 伊能忠敬



私が、偉人で最も尊敬する人のひとり、それが伊能忠敬です。

伊能忠敬の紹介をします。

江戸後期の測量学者です。
千葉県九十九里町に生まれ、18歳の時に造酒屋の伊能家の婿養子となります。
マネジメント能力を発揮し、傾いた酒造業を立て直すと共に、江戸の薪問屋、米穀取り引きの仲買などで立て直します。
1783年(38歳)の天明の大飢饉では、役人に頼らず、私財をなげうって地域の窮民を救済し、ひとりの餓死者も出しませんでした。
こうした功績により、苗字・帯刀を許されます。

やがて49歳で念願の隠居。
幼い頃から興味を持っていた天文学を学ぶために江戸に隠宅を構え、暦学者・高橋至時(よしとき)の門を叩きます。
高橋至時はまだ32歳。一方、弟子入りを申し込んだ忠敬は51歳。当時としては異例なことです。

昼夜を問わず猛勉強し、巨費を投じて自宅を天文観測所に改造し、日本で初めて金星の子午線経過を観測したりもしました。
地球の直径を測るために、東日本全体を測量しても良いという許可を幕府から得ます。
ただし、すべて自費ですが・・。

1800年(55歳)、忠敬は江戸を出発。測量は、歩測を基本としました。昼に測量し、夜は天体観測して誤差を修正しました。
忠敬は3年間をかけて東日本の測量を終えました。そのデータを元に、地球の直径を測ると、現在分かっている地球の外周との誤差は、何とたったの0.1%。
半年後、将軍家斉に東日本の地図を披露したところ、西日本の地図を作れという幕命が下ります。正式な国家事業になったのです。最終的な完成を見ずに、73歳で亡くなります。

その仕事は弟子達が引き継ぎ、3年後に完成を見るのでした。

有能な経営者であり、天文学者であり、篤志家として、日本人のために命を捧げました。
そのキーワードは、生涯学習。

生涯学習の象徴として、語り継がれることでしょう。


■特集
伊能忠敬
 功成り名とげて身しりぞくは天の道

■ライフ&タイム
後半生を地図に捧げた人生の達人の73年
 才能豊かな事業家の誕生/家業の隆盛を見届けて
 新たな人生のスタート/苦難の道はつづく
 日本でいちばん長い旅路の果て

■ヒューマンエピソード
不屈の闘志で学んだ実直なリアリスト

■クローズアップ
日本初の実測図! 完成までの道のり

■人物スクランブル
伊能忠敬人物相関図
 フランツ・フォン・シーボルト/松浦静山/間宮林蔵/井上ひさし

■後世への遺産
 水晶、地図記号……人生を捧げた歩みの足跡

■評伝アラカルト
 伊能忠敬考
  佐野常民/井上ひさし/佐藤一斎
  棚橋正博/松本清張/長岡半太郎

■ビジュアル人物事典
 竹下 登/武田勝頼/武田耕雲斎/武田信玄
 武田信虎/武市半平太/竹中半兵衛/竹久夢二

■日本の100人ミュージアム


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