今朝は、久しぶりに朝陽を見ました。今日は、多くの家で物干しに洗濯物が並ぶことでしょう。
愛岐大橋の下流約300mに「草井の渡し」という渡船がありました。
私も、一度だけ乗った記憶がありますが、本当に草井の渡しだったのか今ひとつ自信がありません。
その歴史は古く、少なくとも鎌倉時代にはありました。
この渡しが公に認めたのが秀吉です。
小牧山合戦を機会に御墨付を与え、堤守や渡船の元締を任命しました。
昭和5年に県営の渡船となりましたが、愛岐大橋の開通とともに廃止されました。
岐阜大学カリキュラム開発研究センターが作成している教育用マルチメディア素材情報の中に、「木曽三川の渡船場・港跡」というのがあります。
その中の、「木曽川筋の渡船場・港跡」をクリックすると、木曽川にかつてあった、河口から美濃加茂辺りまでの渡船場や港跡が紹介されています。
これらを順に訪ねていくだけでも、すばらしいフィールドワークになりそうです。
草井の渡しも紹介されていますので、ぜひご覧ください。(リンク禁止ですので、検索してください。)
これだけ陸運が発達すると、「活気ある草井港」と言われてもピンときませんが、草井にもかつて繁華街があったときくと納得です。
ところで、昨日の「天地人」は1592年の文禄の役、すなわち朝鮮出兵でした。景勝や兼続は、この戦のむなしさを感じていましたが、なぜ秀吉は朝鮮に兵を送ったのでしょうか?
朝鮮出兵を考えることは、後の帝国主義を考えることにもつながります。
後日、考えてみたいと思います。