梅雨が明けました。今朝も蝉が短い夏を取り戻そうと思うのか、元気に鳴いています。
すいとぴあ江南の4階にはトレーニングルームがあります。雨で外を走れない日には、この4階でトレーニングをしています。
この土日も通いましたが、窓の外を見ると、正面に愛岐大橋。
手前に草井の渡し跡、そして対岸には前渡不動を見渡すことができます。
ここが、まさに、承久の乱の時に、北条泰時率いる10万の軍勢が渡って都へ攻め上った地なのです。
当時の木曽川は、おそらく細い川が幾筋にも分かれていたのでしょう。
そこを、騎兵の大群が北進する様子を想像していました。
もっとも東海道は細いので、かなり細長い行列だった可能性が高いと思われますが…。
承久の乱は、1221年に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた戦乱です。
歴代天皇の中でも特に優秀な一人といわれた後鳥羽上皇は、公家勢力の回復を目指して、3代将軍実朝の死をきっかけに討幕計画を進め、執権北条義時追討の兵を挙げましたが、北条政子の演説に奮い立ち団結した幕府軍に大敗しました。
これまでの鎌倉幕府、すなわち武家政権は東国支配のみでしたが、これにより、全国に力を及ぼすようになりました。
首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ流されました。
後鳥羽上皇は、隠岐島で次の歌を詠みます。百人一首にも選ばれています。
人ひとを惜をし 人ひとも恨うらめし 味気あぢきなく
世よを思おもふゆゑに もの思おもふ身みは
なぜ、藤原定家は百人一首にこの歌を選んだのか?
その裏には、おそるべき理由がありました。
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百首に秘められた暗号を、著者 織田 正吉氏が解き明かしていきます。
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