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政治風土

2009-07-24 06:04:06 | 社会科こぼれ話
衆議院が解散し、いよいよ選挙モードになります。

 このようなときに、いつも思い出す新聞記事があります。2003年10月4日朝刊です。
 「政治風土」と題された、“編集局デスクより”に、当時の編集局長、小出宣昭氏が原稿を寄せています。
 その時に、当時の私は次のようにコメントしています。

 これこそがプロの仕事と言うべき署名記事を発見した。明治時代からの日本の政治の流れを、自民党と民主党という対立の構図から説明し、それを名古屋市と岐阜県に象徴化している。見事という他はない。

 それでは、その新聞記事をご覧ください。
 ----------- 以下引用 -----------

 民主党と自由党がくっついて新しい民主党が誕生した。対する自民党は、昭和三十年に自由党と民主党が合体して生まれた自由民主党なんだから、名前だけみると、日本の与野党とは何が何だか分からなくなってしまう。

 二つの政党の変遷は複雑を極めるが、私は大ざっぱに、地方を基盤とする保守・本流(自民党)と大都会を基盤とする保守・左派(民主党)として見ることにしている。この枠組みでながめると、遠く明治時代からの日本の政治の流れが見えてくる。

 明治の後期には、今とよく似た二大政党が生まれた。

 一つは、政友会。フランス革命の自由と人権の思想的影響を受けた板垣退助の自由党が根っこで、農村が基盤。地方の資源に強かった三井財閥が支持し、東海地方では岐阜がその牙城だった。

 もう一つは、進歩党-憲政会だ。英国議会主義の影響を受け、後に民政党となる。都市の勤労者が支持基盤で、産業資本の三菱財閥がバックについた。この地方では、名古屋が最大の牙城だった。

 農村の保守本流(政友会),と都会の保守左派(憲政会から民政党)という大筋の流れは、大正、昭和、そして戦後にまで続く。政友会は吉田茂の自由党となって本流を形成し、民生党とは進歩党、改進党という保守左派になる。

 昭和二十一年、左派の強い愛知県で初めて本流の自由党を立ち上げた辻寛一さんや江崎真澄さん(いずれも故人)は「自由党なんぞ地元でははじかれ者でね。二人とも、岐阜で入党したんですよ」と語っていた。岐阜には自由党の大野伴睦、牧野良三といった大物がいたのだ。

 その後、日本の政治は二転三転して今に至るが、今度の総選挙を前にした岐阜と名古屋の政党図をみよう。

 岐阜県全体と名古屋市の人口は、二百万余でほぼ同じ。だが、岐阜県の衆院議員は自民5で民主はゼロ。名古屋市は逆に、自民がゼロで民主が5である。地方の本流と大都会の左派とみれば、明治からの流れは変わっていない。

 変わるものと変わらぬものと。小泉改革の嵐は、政治風土にどう響くのだろう。
----------- 以下終わり -----------

 自民党と民主党の争いは、政友党と民政党の争いであり、それは、フランス風民主主義とイギリス風民主主義に対比しています。

 時代を超えたこの見方に私はしびれました。

 こういう人が今の政治をどう見るか、知りたいものです。

 最近、新聞記事にしびれた事がない気がしますが…。

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