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11月11日は新聞休刊日

2013-11-11 05:13:08 | 社説を読む
11月11日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。

朝日新聞
・ サクランボは色っぽい流行歌になったし、リンゴは青春詩歌に無くてはならない。そこへいくと柿は、同じフルーツながら「わび、さび」のたたずまいが渋い。このあいだ東京西郊の武蔵野を歩いたら、熟した実が斜陽に赤く照っていた

▼筆者が育った田舎にも、あちこちに柿の木があった。竿(さお)でもいでよく食べたものだ。今はそうでもないらしい。何年か前の川柳欄に〈熟れ柿の少しも減らず少子国〉と載っていた。これでは「木守(きまも)り柿」の風習も意味をなさない

▼取り尽くさず、いくつか木に残す実をそう呼んだ。来年もよく実るように、お守りとして、あるいは鳥のために残しておくと聞かされた。葉の散った枝にぶら下がる光景を、懐かしく思い出す方もおいでだろう

▼〈ふるさとを捨つる勿(なか)れと柿赤し〉山崎みのる。この国の秋景色にしみじみ似合う柿を、京都生まれの名料理人だった辻嘉一(かいち)さんが「国果」と言っていた。なるほどと思ったものだが、近頃は年若い世代の人気がいま一つなのだという

▼皮をむきにくいためらしい。昨今はミカンの皮むきも面倒がられると聞く。日本人の手はいつしか怠け癖がついたようだ。丸ごと口に入れて腹に収まるイチゴや種なしブドウが今は人気者である

▼暦は立冬を過ぎて、季節は晩秋。いつぞや小欄で冬枯れに向かう11月のイメージを「いささか不遇」と書いたら、霜月擁護のお便りをずいぶん頂いた。冷雨のあとには小春日和がめぐって、そして、ふるさとの柿はいよいよ赤い。

  
毎日新聞
・ その言葉は新鮮に響いた。「日本人に生まれて、本当によかったと、きょう思いました」。先週の日曜日、文化勲章をもらった高倉健(たかくらけん)さんが口にしたひと言だ。人が喜びを語ろうとする時、こんな表現はなかなか浮かばない

▲そして言葉を継いだ。「ほとんどは前科者をやりました。そういう役が多かったのに、こんな勲章をいただいて。一生懸命やっていると、ちゃんと見ててもらえるんだな、と」

▲確かに「網走番外地」などで受刑者、やくざといった役柄を演じ、俳優としての土台を築いた人である。文化の発展や向上にめざましい功績のある人なのか、といぶかる声があがってもおかしくはない

▲前科者ではなかったが、昨年公開の最新作「あなたへ」は、複雑な過去を抱える刑務所の職員だった。健さんの映画には、自らの弱さやふがいなさに向き合い、迷いながら生きる人物がよく描かれる。自身も俳優養成所では「他の人の邪魔になるから見学していてください」と言われる落ちこぼれだったという

▲恵まれない境遇に生まれたり、何をやってもうまくいかない時をすごしたり、日の当たらないところばかりを歩んできたりした人にも、いつかなにがしか喜びがもたらされる。この国には元来、そういう寛容な風土、懐の深さがあるし、ちゃんと見ている人がいるんだよ。82歳の健さんは、そんな思いを込めたのではないだろうか

▲「日本人に生まれて本当によかった」と口にできる瞬間は、だれにも等しく、たくさん訪れてほしい。この国に住む人々が望み、政治や経済が目指すべきなのは、わかりやすく言えば、そうした風景なのだ。
 

日本経済新聞
・ 囲碁や将棋の棋士が「顔を立てる」と言うことがある。「自分が選んできた手の顔は立てなくちゃ」という具合に使う。一局の勝負をどう戦うか決めた以上、途中で趣旨に背くような手を選んではいけない。そんな戒めのなかに、見苦しさを嫌う棋士の美意識がのぞく。

▼美意識と無縁の人たちに驚いた。法律の顔を立てることを忘れ、恬(てん)として恥じない自民党である。すったもんだした揚げ句、憲法改正の手続きに必要な国民投票に参加できる年齢を当面は20歳以上とする国民投票法の改正案を決めたのだという。野党はもちろん、相棒の公明党すら「理解できない」と怒っている。当然だ。

▼2007年にできた国民投票法は、18歳以上に投票権を認めている。ただこの法律、3年後の10年まで施行されなかった。理由は法律のなかにちゃんとある。いまのように選挙権が20歳から、成人年齢が20歳ではつじつまが合わないから、3年の間に公職選挙法や民法を見直す。これが立法府が法に記した約束ごとだった。

▼いまに至るも約束が果たされないのはひどいが、とはいえ、日本も18歳から大人とみなしましょうという国民投票法の趣旨は変わるまい。約束が守れぬなら、国民投票だけでも18歳から認めるのが筋だろう。法律を6年前成立させたのも安倍政権だ。自らの顔もつぶし、なにより若者の顔をつぶし。理解できない話である。

  
産経新聞
・ 昭和62年4月、島倉千代子さんは福岡の病院に緊急入院した美空ひばりさんを見舞った。会ってもらえるか不安だったが「とにかく行かなきゃ」と、かけつけたのだという。案に相違して、ひばりさんは「お千代よく来たわね」と明るく迎えてくれた。

 ▼その上、島倉さんの好きな鍋焼きうどんの出前を取り、二人ですすったのだという。島倉さん自身がテレビ番組などで明かしていた話である。日本を代表する大歌手同士が、病室でうどんを食べながら話し込んでいる。想像しただけでうれしく、泣けてもくる。

 ▼島倉さんは昭和13年、ひばりさんは12年の生まれだった。年が近いうえ、二人とも数知れぬヒット曲を出し歌唱力も抜群である。世間は二人をライバルと見なし、ファンもひばり派とお千代派に分かれていた。だが島倉さんによれば「とんでもないこと」だった。

 ▼昭和30年「この世の花」でデビューしたとき、ひばりさんはもう、大スターになっていた。「追っかけ」をしていたほどのひばりファンで、デビュー後も恐れ多くて口もきけなかった。ひばりさんが亡くなったときは、その自宅で3日間も寄り添ったという。

 ▼そういえば、長嶋茂雄さんらの国民栄誉賞授与式で、王貞治さんはわがことのように喜び長嶋さんに花束を渡していた。大相撲柏戸の富樫剛さんと大鵬の納谷幸喜さんも引退後は肝胆(かんたん)相照らす仲だったという。相手を認める謙虚さや寛容さが「ライバル」を超越させるのだろう。

 ▼そんな謙虚さと寛容さを持ってほしい人は内外に多いが、それはともかくお千代さん、75歳であわただしく旅立っていった。あちらでは、ひばりさんと「鍋焼きうどん」後の話に花が咲くに違いない。「人生いろいろ」だったわねえと。


中日新聞
・ 東京・有楽町にあるゴジラ像のプレートにこんな言葉が刻まれている。「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」

▼映画「ゴジラ」が封切られたのは一九五四(昭和二十九)年十一月のことだった。怪物が都市を破壊する映画は大当たりした。生誕六十年の来年には米ハリウッド版の新作公開も予定されている。世界の「ゴジラ」である

▼怪物は、水爆実験によって出現する。公開と同じ年の三月、ビキニ環礁で水爆実験の「死の灰」を浴びた、第五福竜丸事件が下敷きになっている。原作ではゴジラは第五福竜丸の帰還とともに日本にやってくる

▼「水爆などいい気になっていたら、人間は自分たちの力で完全に滅びる」。監督の本多猪四郎さんは著書『ゴジラとわが映画人生』で語る。訴えたかったのは進んだ科学を持った人間の恐ろしさだった

▼大戦中の原爆投下の記憶もまだ生々しい「あの時」からの警告は、残念ながら現代に生かされていない。核兵器や原発に限った話ではない。インターネットで知り合った一味がその日のうちに誘拐を働く。スパイ機関が別の国の首相の携帯電話を盗聴する。ネット上の憎悪発言。ゴジラは科学技術を使う人間の心の闇の中にすみ続けている

▼像の言葉は登場する科学者のせりふで、まだ続きがある。「同類が世界のどこかに現れてくるかもしれない」。ゴジラだらけである。

※ コラムの著者は、各社を代表する論説委員が、1人、もしくは複数で担当しています。

 朝日がよくやる、俳句・川柳をもとに季節感と世相を論じるものもあれば、今回の産経のように、旬の出来事に即座に反応するものもあります。

 いずれにしろ、限られた文字数の中に、ある程度の起承転結を入れながら主張を伝えることは簡単ではありません。

 自分なら・・・と考えながら読んでみたいと思います。

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