今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
・ どの国にも人々の胸に強い感慨を呼びさます日付がある。ドイツではベルリンの壁が崩れた11月9日、中国なら天安門事件の6月4日か。ミャンマーでは8月8日だろう。1988年のその日、民主化を求めるデモが全土に広がった
▼四つの8を合わせて8888と記憶される。続く連日の街頭行動に軍事政権は銃を向け、逮捕やログイン前の続き拷問で多くの若者の人生が急転した。東京・築地のすし店で働くマウントントンさん(49)もそのひとりだ
▼文学を志す大学院生だった。連行され、頭に袋を被(かぶ)せられ、足を蹴られた。「学生幹部の居どころを吐け」。翌年、家族と別れ、タイ経由で日本へ逃れた
▼東京で運よく見つけた仕事がすし店の見習だった。日本語を覚え、魚を覚え、旬を覚え、握り方を覚えた。四半世紀がたち、いまでは包丁さばきを日本人に日本語で教える立場にある
▼故国の将来を左右する総選挙が、きょう8日に投票される。軍政の流れをくむ与党・連邦団結発展党USDPに対し、アウンサンスーチーさん率いる野党・国民民主連盟NLDの優勢が伝えられる。だがマウントントンさんは楽観していない。「25年前の選挙でもNLDが圧勝したのに、政権は選挙結果を無視しましたから」
▼今回もし投開票に不正がなく、NLDが政権に加われば、彼の夢は一歩実現に近づく。「いつか東京とヤンゴンの両方に店を構え、築地の味を母国の人々に広めたい」。手際よくサバやマダイを握りながら、板場で20年来の夢を語った。
毎日新聞
・ 江戸の火付け(放火)は火あぶりの刑と決まっていた。強欲な帯屋に大金を貸したのが因縁で没落した呉服屋・与兵衛、さらに帯屋の策略で火付けの罪に問われる。落語「帯久(おびきゅう)」である
▲いよいよ裁きの場となるわけだが、与兵衛を追い詰めたつもりが一転、帯屋は10年前に借りた100両を返していないことを自白させられる。さらに利子50両の支払いを命じられ、毎年1両ずつの分割払いを願い出るはめになる
▲町奉行の大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)、全額返済されるまで与兵衛の火あぶりを延ばすとの裁きを下す。江戸の大火を防ぐため火付けを極刑とした法の秩序を守りつつ、61歳の与兵衛に50年先まで刑を執行しない、つまり実質的に赦免する温情判決だ
▲とりあえず死罪を免れた与兵衛が残された人生をどう送ったのか、気に掛かる。静かに隠居していたとも思えない。当時の人々は高齢になってもよく働いたからだ。幕臣や諸藩の武士の多くは70歳を過ぎるまで老齢を理由とする隠居は認められなかったという
▲定年退職の制度は大正のころに始まったそうで、1970年代までは55歳が普通だった。現在、政府は企業に65歳までの雇用安定を義務付け、さらに雇用保険の65歳以上への適用を検討している。早晩、年金支給開始年齢の引き上げも論議されることになろう
▲現代の私たちが直面している少子高齢化の難題ではあるが、大岡越前が聞いたら苦笑するかもしれない。格上の寺社奉行へ出世したのが60歳、知行高が1万石に加増され大名になったのは72歳。将軍吉宗(よしむね)公の葬儀を取り仕切った年に75歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた人なのだ。
日本経済新聞
・ 純文学の月刊誌「文学界」が文部科学省にかみついている。最新号の特集は「『文学部不要論』を論破する」。こうした雑誌らしからぬ企画だが、文科省が国立大に対し、文系学部の改廃を求めた通知がアタマにきているようだ。この要請への世の反発はいよいよ強い。
▼「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院は組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に取り組んでほしい」。6月に出た文書は、普通に読めば文学部も法学部も経済学部も、すぐには役立たないから不要と解釈できる内容だ。ブーイングが噴出し、経団連からも産業界の意向ではない、と突き放された。
▼「『廃止』の対象は教員養成系のうち一部のコースだ」「組織や教育内容の見直しをお願いしているだけ」。通知が誤解を招く文章だったと釈明に躍起の文科省だが、ならば潔く撤回すればいい。国語の教員だった馳浩大臣によれば「あの文章は32点くらい」。そんな不出来なものをいつまで国民の前にさらしておくのか。
▼巨大な産業のエネルギーを生む若者を育てるには、国の思惑とは遠く離れた人間が生きられる場をつくるほかない――。鈴木幸一・インターネットイニシアティブ(IIJ)会長が、かの「文学界」の特集でこんな指摘をしている。大学の社会的な役割は即戦力養成だと思い込む文科省には、意味が伝わらぬかもしれない。
産経新聞
・ 芝居茶屋の使いで、若い衆が見物客に鍋物を届けに来た。鍋をはしごの下に置き、幕あいを待つうちに別の客が誤って足を突っ込んだ。飛んできた茶屋の先輩が場を丸く収めたものの、肝心の鍋をどうしたものか。
▼先輩いわく「分かりゃしねえ」。そのまま届けたところ、客の口からジャリジャリ音がする。やがて足を突っ込んだ客が戻ってきて、「忘れ物を取りに来た」。何を。「鍋ん中に草履忘れたんでい」。落語『鍋草履』である。いつの世も口に入れる物に「見ぬこと清し」のほおかむりは禁物だろう。
▼食べる側にも、それなりの自衛策が求められる時代になった。期限切れの中国産鶏肉を使った、世界的ファストフード店の大騒動は苦い教訓である。食材の多くを海外に頼るいま、異物が「草履」の姿形をしているとはかぎらない。
▼環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)により、肉や農作物が自由に海を行き交う時代は近い。安い食材が店頭に並べば、遺伝子組み換え作物を使った食品も、食卓との距離を縮めよう。値札以外にも消費者の目利きが必要になる。
▼きょう8日の立冬を境に、食膳も冬の装いというご家庭は多かろう。とりわけ肉に魚に野菜と彩り豊かな鍋物は、箸を持つ手を躍らせる。まずは、食材への安心があってこそ。TPPの合意で期待より懸念が先立つ日本の農漁業だが、「信用」という気高い風味で勝負する余地はあるのではないか。
▼庶民感情としては、健康的でなおかつ懐具合にも優しい鍋物が食べられるに越したことはない。再来年4月には懐に響く消費税の増税も控えている。〈湯豆腐のかけらの影のあたゝかし〉(飴山(あめやま)実)。今年は、あれやこれやと思い悩むことのない、最後の冬になりそうである。
中日新聞
・ <ピッピロッタ・タベルシナジナ・カーテンアケタ・ヤマノハッカ・エフライムノムスメ・ナガクツシタ>
▼世界中の子どもたちを楽しませている、その長い名を持つ女の子を主人公とする児童文学作品への評価は出版当初は必ずしも好意的ではなかった。奇妙な主人公の振るまいに「不快」という厳しい指摘もあったそうだ。スウェーデン人作家アストリッド・リンドグレーンさん(一九〇七~二〇〇二年)の『長くつ下のピッピ』。出版は一九四五(昭和二十)年で、今年七十年である
▼七十年と書いたが、ピッピが実際に誕生したのはその四年前の一九四一年の寒い季節である。リンドグレーンさんの七歳の娘が風邪で寝込んでしまった。娘がおはなしをねだる。「何の話がいいの?」「長くつ下のピッピっていうのがいい」。娘がたまたま口にした名から物語が流れ出した
▼ピッピはなるほど風変わりである。「ごたごた荘」で独り暮らし、足の二倍もある靴を履き、肩にはサルの「ニルソン氏」。時には後ろ向きに歩き、理由を問われると、「わたしがすきなようにあるいちゃ、いけないかしら」
▼人と異なることを恐れ、奇妙さや異質さを排除したがる傾向も否定できぬ今の世間においてピッピの強さと自由さはまぶしくもある
▼<チガッテイタッテ・イインダヨ・スベテノコドモタチ>とその名をまねて呪文を唱える。
※ ミャンマー、高齢者雇用、文学部不要論、食の安全、長くつ下のピッピ
よくぞ、こうしたテーマが思い浮かぶものです。
毎日だから、常にアンテナを高くし、また、教養を拡げ、思考をし続けなければなりません。
たいへんですが、すてきな仕事です。
朝日新聞
・ どの国にも人々の胸に強い感慨を呼びさます日付がある。ドイツではベルリンの壁が崩れた11月9日、中国なら天安門事件の6月4日か。ミャンマーでは8月8日だろう。1988年のその日、民主化を求めるデモが全土に広がった
▼四つの8を合わせて8888と記憶される。続く連日の街頭行動に軍事政権は銃を向け、逮捕やログイン前の続き拷問で多くの若者の人生が急転した。東京・築地のすし店で働くマウントントンさん(49)もそのひとりだ
▼文学を志す大学院生だった。連行され、頭に袋を被(かぶ)せられ、足を蹴られた。「学生幹部の居どころを吐け」。翌年、家族と別れ、タイ経由で日本へ逃れた
▼東京で運よく見つけた仕事がすし店の見習だった。日本語を覚え、魚を覚え、旬を覚え、握り方を覚えた。四半世紀がたち、いまでは包丁さばきを日本人に日本語で教える立場にある
▼故国の将来を左右する総選挙が、きょう8日に投票される。軍政の流れをくむ与党・連邦団結発展党USDPに対し、アウンサンスーチーさん率いる野党・国民民主連盟NLDの優勢が伝えられる。だがマウントントンさんは楽観していない。「25年前の選挙でもNLDが圧勝したのに、政権は選挙結果を無視しましたから」
▼今回もし投開票に不正がなく、NLDが政権に加われば、彼の夢は一歩実現に近づく。「いつか東京とヤンゴンの両方に店を構え、築地の味を母国の人々に広めたい」。手際よくサバやマダイを握りながら、板場で20年来の夢を語った。
毎日新聞
・ 江戸の火付け(放火)は火あぶりの刑と決まっていた。強欲な帯屋に大金を貸したのが因縁で没落した呉服屋・与兵衛、さらに帯屋の策略で火付けの罪に問われる。落語「帯久(おびきゅう)」である
▲いよいよ裁きの場となるわけだが、与兵衛を追い詰めたつもりが一転、帯屋は10年前に借りた100両を返していないことを自白させられる。さらに利子50両の支払いを命じられ、毎年1両ずつの分割払いを願い出るはめになる
▲町奉行の大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)、全額返済されるまで与兵衛の火あぶりを延ばすとの裁きを下す。江戸の大火を防ぐため火付けを極刑とした法の秩序を守りつつ、61歳の与兵衛に50年先まで刑を執行しない、つまり実質的に赦免する温情判決だ
▲とりあえず死罪を免れた与兵衛が残された人生をどう送ったのか、気に掛かる。静かに隠居していたとも思えない。当時の人々は高齢になってもよく働いたからだ。幕臣や諸藩の武士の多くは70歳を過ぎるまで老齢を理由とする隠居は認められなかったという
▲定年退職の制度は大正のころに始まったそうで、1970年代までは55歳が普通だった。現在、政府は企業に65歳までの雇用安定を義務付け、さらに雇用保険の65歳以上への適用を検討している。早晩、年金支給開始年齢の引き上げも論議されることになろう
▲現代の私たちが直面している少子高齢化の難題ではあるが、大岡越前が聞いたら苦笑するかもしれない。格上の寺社奉行へ出世したのが60歳、知行高が1万石に加増され大名になったのは72歳。将軍吉宗(よしむね)公の葬儀を取り仕切った年に75歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた人なのだ。
日本経済新聞
・ 純文学の月刊誌「文学界」が文部科学省にかみついている。最新号の特集は「『文学部不要論』を論破する」。こうした雑誌らしからぬ企画だが、文科省が国立大に対し、文系学部の改廃を求めた通知がアタマにきているようだ。この要請への世の反発はいよいよ強い。
▼「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院は組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に取り組んでほしい」。6月に出た文書は、普通に読めば文学部も法学部も経済学部も、すぐには役立たないから不要と解釈できる内容だ。ブーイングが噴出し、経団連からも産業界の意向ではない、と突き放された。
▼「『廃止』の対象は教員養成系のうち一部のコースだ」「組織や教育内容の見直しをお願いしているだけ」。通知が誤解を招く文章だったと釈明に躍起の文科省だが、ならば潔く撤回すればいい。国語の教員だった馳浩大臣によれば「あの文章は32点くらい」。そんな不出来なものをいつまで国民の前にさらしておくのか。
▼巨大な産業のエネルギーを生む若者を育てるには、国の思惑とは遠く離れた人間が生きられる場をつくるほかない――。鈴木幸一・インターネットイニシアティブ(IIJ)会長が、かの「文学界」の特集でこんな指摘をしている。大学の社会的な役割は即戦力養成だと思い込む文科省には、意味が伝わらぬかもしれない。
産経新聞
・ 芝居茶屋の使いで、若い衆が見物客に鍋物を届けに来た。鍋をはしごの下に置き、幕あいを待つうちに別の客が誤って足を突っ込んだ。飛んできた茶屋の先輩が場を丸く収めたものの、肝心の鍋をどうしたものか。
▼先輩いわく「分かりゃしねえ」。そのまま届けたところ、客の口からジャリジャリ音がする。やがて足を突っ込んだ客が戻ってきて、「忘れ物を取りに来た」。何を。「鍋ん中に草履忘れたんでい」。落語『鍋草履』である。いつの世も口に入れる物に「見ぬこと清し」のほおかむりは禁物だろう。
▼食べる側にも、それなりの自衛策が求められる時代になった。期限切れの中国産鶏肉を使った、世界的ファストフード店の大騒動は苦い教訓である。食材の多くを海外に頼るいま、異物が「草履」の姿形をしているとはかぎらない。
▼環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)により、肉や農作物が自由に海を行き交う時代は近い。安い食材が店頭に並べば、遺伝子組み換え作物を使った食品も、食卓との距離を縮めよう。値札以外にも消費者の目利きが必要になる。
▼きょう8日の立冬を境に、食膳も冬の装いというご家庭は多かろう。とりわけ肉に魚に野菜と彩り豊かな鍋物は、箸を持つ手を躍らせる。まずは、食材への安心があってこそ。TPPの合意で期待より懸念が先立つ日本の農漁業だが、「信用」という気高い風味で勝負する余地はあるのではないか。
▼庶民感情としては、健康的でなおかつ懐具合にも優しい鍋物が食べられるに越したことはない。再来年4月には懐に響く消費税の増税も控えている。〈湯豆腐のかけらの影のあたゝかし〉(飴山(あめやま)実)。今年は、あれやこれやと思い悩むことのない、最後の冬になりそうである。
中日新聞
・ <ピッピロッタ・タベルシナジナ・カーテンアケタ・ヤマノハッカ・エフライムノムスメ・ナガクツシタ>
▼世界中の子どもたちを楽しませている、その長い名を持つ女の子を主人公とする児童文学作品への評価は出版当初は必ずしも好意的ではなかった。奇妙な主人公の振るまいに「不快」という厳しい指摘もあったそうだ。スウェーデン人作家アストリッド・リンドグレーンさん(一九〇七~二〇〇二年)の『長くつ下のピッピ』。出版は一九四五(昭和二十)年で、今年七十年である
▼七十年と書いたが、ピッピが実際に誕生したのはその四年前の一九四一年の寒い季節である。リンドグレーンさんの七歳の娘が風邪で寝込んでしまった。娘がおはなしをねだる。「何の話がいいの?」「長くつ下のピッピっていうのがいい」。娘がたまたま口にした名から物語が流れ出した
▼ピッピはなるほど風変わりである。「ごたごた荘」で独り暮らし、足の二倍もある靴を履き、肩にはサルの「ニルソン氏」。時には後ろ向きに歩き、理由を問われると、「わたしがすきなようにあるいちゃ、いけないかしら」
▼人と異なることを恐れ、奇妙さや異質さを排除したがる傾向も否定できぬ今の世間においてピッピの強さと自由さはまぶしくもある
▼<チガッテイタッテ・イインダヨ・スベテノコドモタチ>とその名をまねて呪文を唱える。
※ ミャンマー、高齢者雇用、文学部不要論、食の安全、長くつ下のピッピ
よくぞ、こうしたテーマが思い浮かぶものです。
毎日だから、常にアンテナを高くし、また、教養を拡げ、思考をし続けなければなりません。
たいへんですが、すてきな仕事です。