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市内巡りシリーズ-7- 宮後城

2009-08-01 07:39:40 | 郷土の歴史
今晩は阿波踊り。
 市内の教師チームが「江師連」として参加します。もちろん、私も踊ります。天候が心配ですが…。

 7月25日のブログで、「なぜ江南で阿波踊り?」として蜂須賀家政について紹介しました。今日は、少し別の視点で…。

 ここで問題です。

 次の人たちは、TVである共通の人物を演じました。その人物とは?

 〈 ハナ肇、室田日出男、ケーシー高峰、ガッツ石松、大仁田厚 〉

 最後の「大仁田厚」で分かる人が多いのではないでしょうか。
 
 正解は、蜂須賀小六(正勝)。顔ぶれを見て分かるように、親分肌、でもどこか憎めない、そんなキャラだと思います。

 「太閤記」等では、蜂須賀小六は“野盗の親分”とされ、一般に信じられていました。私もそんなイメージでした。

 こんな事があったそうです。(Wikipediaより)

 徳島藩第14代藩主、蜂須賀 茂韶(もちあき)の話です。

 茂韶が宮中に参内して応接室で待たされたとき、ふと卓上にあった紙巻タバコを一本失敬したところ、やってこられた明治天皇がそれに気づかれ、諧謔を以って「蜂須賀、先祖は争えんのう」と嬉しそうに茂韶をながめられたという。これは明治天皇が『太閤記』の記述に基づき阿波の徳島藩主蜂須賀氏の初代蜂須賀小六(正勝)が盗賊あがり(土豪あがり)だと思っていたためだろう。(以上 Wikipediaより引用)
 
 しかし、実際には、蜂須賀茂韶には蜂須賀正勝の血は流れていません。

 ところが、「明治天皇の祖父・仁孝天皇の生母・東京極院の母は池田仲庸の娘であり、池田仲庸の曽祖父池田光仲の母は蜂須賀至鎮(正勝の孫)の娘・三保姫である。(Wikipediaより)」

 要するに、明治天皇には、蜂須賀正勝の血が流れていたというオチです。

 蜂須賀小六が盗賊あがりであったというのは、史実ではありません。 

 それはさておき、小六の息子、家政は、宮後八幡社、常蓮寺、曼陀羅寺の本誓院を寄進し、その後には曼陀羅寺の正堂を再建しました。
 美和町の蓮華寺、徳島市の丈六寺など、多くの寺にも寄進しています。

 家政が蜂須賀家のイメージアップには大きな貢献をしたのは間違いありません。

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