前野には、前野長康の屋敷跡があります。
前野長康は、秀吉の最古参の家臣の一人です。
常に秀吉の側にいて、天下統一を陰で支えてきました。
秀次の家老となり、あの秀次事件で秀次を弁護したため、連座して自害を命じられます。(秀次事件については、7月9日のブログをご覧ください。)
その屋敷跡は、現在は前野町吉田龍雲氏の屋敷の一帯です。
この屋敷の土蔵が、伊勢湾台風で被害に遭い、多くの古文書が発見されました。その一つが「武功夜話」なのです。
この「武功夜話」の史料的な価値については賛否両論ありました。しかし、昨年小和田哲男氏が「偽書ではない」と発表したために、「賛」が優勢になったと思います。
もともと「武功夜話」の原本は判読不能なものが多く、子孫による写本が原本になっています。
写し間違いや、写した人による加筆もあるでしょう。
さらに、先祖の武勇伝なので、誇張もあることでしょう。
そのあたりの吟味は確かに必要です。
しかし、一部の問題を捉えて全体を否定するのはやりすぎで、歴史から目をそむけることになっていまいます。
また、私でも疑問に思う批判があります。
例えば次のような批判です。
「昭和29年の町村合併で初めて誕生した合成地名のような、明治以前には存在しなかった地名が散見され、この書物が昭和29年以降に書かれたものであることを明証している。」(Wikipediaより)
これは「江南」のことです。
「江南」という文字があるから、これは昭和29年以降に書かれたと言えるでしょうか?
唐の時代、杜甫は「江南逢李龜年」という漢詩を詠んでいます。
新潟には江南区があり、ソウルには江南と呼ばれる一帯があります。
一般的に、大きな川の南側という理解があっても不思議ではありません。
「江南」という文字があるから、昭和29年以降に書かれたとは、あまりにも短絡的な批判です。
また、「ヒソヒソ話」といった戦国期にはない言葉があるともされています。
原本を見ないと分かりませんが、少なくとも、「ヒソヒソ」は「密密」と書き、漢語に由来しています。
戦国期にこの言葉がないとする方こそ無理があります。
今でも中国語で「密密的話」と書きますし、香港映画「ラブレター」の原題は「甜密密」でした。
というように、私でも首をかしげる否定論です。
みなさんも、考えてみてください。
もっとも、原本が公開されないことには始まりませんが…。