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12月10日は新聞休刊日

2012-12-10 06:31:38 | 社説を読む
今朝は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。

朝日新聞

赤シャツといえば、漱石の小説「坊っちゃん」に出てくる嫌みな中学教頭だ。赤シャツ氏は文学士で、作中、坊っちゃんは「文学士といえば大学の卒業生だからえらい人なんだろう」と言う。時は明治、学士様の値打ちは今と比べものにならない

▼とはいっても、漱石の盟友だった子規は〈孑孑(ぼうふら)の蚊になる頃や何学士〉と揶揄(やゆ)したような一句を詠んでいる。大学を中退した頃の作というから、微妙な屈託もあるようだが、諧謔(かいぎゃく)のセンスはこの人らしい

▼ところで昨今は、漱石らが聞いたら戸惑うような学士が急増しているそうだ。先の本紙記事によれば、50年ほど前には文、法、工、経済などおなじみの25種だったのが、今や何と700を超えた。何を学んだのか分かりにくいものも多い

▼例えばデザインストラテジー、ホスピタリティ経営、人間文化共生……まだまだある。大学設置基準が変わって、自由に学位名をつけられるようになったためらしい

▼右の例のことではないが、専門家は「日本の大学が変な学位を出して、世界から低く見られないよう自覚を促すほかない」と憂える。大学は乱立、学位は撩乱(りょうらん)。機会が広がる一方、首をかしげる向きが多いのも事実だ

▼漱石が東京帝大講師の職をなげうったのはよく知られる。「大学屋も商売である」と言い、「大学は月給とりをこしらえて威張っている所」と嘆いた人だ。少子化の時代に最高学府はどうあるべきか。三途(さんず)の川に糸電話を張って尋ねてみたい、きょう漱石忌である。

毎日新聞
衆院選に合わせて、もう一つの「投票」が進んでいるのをご存じだろうか。まだ選挙権のない10代の若者に投票を疑似(ぎじ)体験してもらう模擬(もぎ)選挙だ

▲02年の東京都町田市長選を皮切りに大学生や会社員、教員ら有志でつくる「模擬選挙推進ネットワーク」が取り組み始めてもう10年になる。今度の衆院選でも呼びかけに応じて全国の中学・高校約30校が実施。このほか独自に行う学校もある

▲各党の公約を取り寄せて比較し、討論したうえで生徒一人一人が実物を模した投票用紙で1票を投じる−−というのが一般的な方法だ。今回は党名を記入する比例代表選挙を試みる学校が多いという。政党乱立の衆院選。さぞかし生徒たちも悩むことだろう

▲「10代だって機会さえ設けてあげれば政治への関心は低くないことが分かる。教室の議論をきっかけに家で親子の対話につながることも多い」と同ネットワークの林大介事務局長(36)は言う。「政治教育」と聞くと二の足を踏む学校は今もあるが、徐々にこんな取り組みが広がっている

▲総務省の調査によると、前回衆院選の投票率は最も高い65〜69歳が85%。20〜24歳が最も低く46%だった。若者の投票率が低いから政治家は高齢者を優先しがちになるともいわれる。「シルバーデモクラシー」と呼ばれる現実がここにある

▲雇用や社会保障など世代間格差の解消は今度の選挙でも大きなテーマだ。「10代投票」の結果は衆院選後に集計して公表される。実際の結果と比較するのも参考になりそうだ。無論、模擬ではいられない大人は、公約や候補者の実力を一層吟味して、時に子供と相談しながら、ぜひ投票所に。

日本経済新聞
「余震」を広辞苑で引くと「大地震の後に引き続いて起こる小地震」とある。おとといの夕方、東北と関東地方を襲ったマグニチュード7.3の地震も、東日本大震災の余震だという。あの日から1年9カ月近く。大地の暦では「引き続いて起こる」の範囲内なのか。

▼きのうの本紙朝刊の解説記事によれば、「アウターライズ地震」に分類されるそうだ。列島の東側で、海の底が陸の下にもぐりこむ。その境目の外側(アウター)で起こる地震を指す。遠い地盤が上下にずれるため、陸地の揺れが小さい割に津波が大きくなりやすい。災害や事故のたび、後追いであれ知識が増えていく。

▼1933年(昭和8年)に三陸地方を襲った大地震も、1896年(明治29年)の地震の影響で起きたアウターライズ地震だとされる。この間、37年。インドネシアのスマトラ島沖で今春に起きた大地震は、8年前のそれに誘発された可能性が高い。復興への努力と並行し、「余震」への警戒も強いられる。つらい話だ。

▼被災地を取材した際、ご高齢の方が悔しそうに語った。津波警報に「いつも実際は大したことはない」と家にとどまり亡くなった友人も多かった、と。その被災地で今回、徒歩避難の原則をよそに車で逃げる人の渋滞が発生。昨年の教訓が生きていないと自治体は衝撃を受けている。正しく恐れ、行動する難しさを思う。


産経新聞
『万葉集』には防人歌(さきもりのうた)といわれる短歌・長歌が98首収められているそうだ。古代、主に東国から徴用され、筑紫、壱岐、対馬で唐や新羅の軍の来襲に備えた防人たちの歌である。妻をはじめ家族との別れを惜しんだり、家への思いを込めたりしたものが多い。

 ▼歌人であり、政治家でもあった大伴家持(おおとものやかもち)が詠ませたとされている。家持は防人たちを統括する立場にいたこともある。当時の政府が3年間のつらい任務につくその労苦に報いるために、歌を万葉集に採用したのかもしれない。それだけ、防人の仕事を重要視していたと言ってもいい。

 ▼今、沖縄やその近海では「現代の防人」たちが国の守りについている。中国公船の尖閣侵犯を防ぐ海上保安庁の保安官や、北朝鮮のミサイル発射を警戒する自衛官たちだ。特にいつ飛んでくるかわからないミサイルに備えることは厳しい任務だ。

 ▼一部が日本の領土に落下するようなら、地対空誘導弾などで撃ち落とすことになっている。成功して当たり前、失敗すれば非難の矢を浴びるし、危険も伴う。しかしもっとつらいのは、万葉集の時代と違い迎撃を命じた政府が何とも冷たく思えることだろう。

 ▼藤村修官房長官が「さっさと(ミサイルを)上げてくれればいい」と述べた。衆院選で自らの選挙区にあまり帰れないことへのボヤキのようなものだった。しかし粛々と任務についている彼らのことを少しでも気遣えば、とても出てこない言葉である。

 ▼選挙戦の最中とあれば多少の失言には目をつむるべきかもしれない。だが、国の守りより選挙を優先させる発想だけは許されない。国難だから帰らない。そのことへの判定は、有権者に任せるという気概がほしかった。

中日新聞
 「命を守るために、一刻も早く逃げてください!」「東日本大震災を思い出してください!」。七日夕、宮城県沿岸に津波警報が出された。避難を呼び掛けるNHKのアナウンサーの叫ぶような声に3・11の記憶が生々しくよみがえった

▼大津波の教訓から、呼び掛けは緊迫感が強まり、テレビ画面も赤色で「津波!避難!」という大きな字で強調した。震災以降、初めて最大一メートルの津波が到来し、沿岸の二万六千人が高台に避難した

▼津波情報の間に太平洋側にある原発の情報も流れた。福島は震度4。最も危険といわれる福島第一原発4号機の核燃料プールは損傷しなかっただろうかと、ひやひやしながら見守った

▼幸いどの原発にも異常はなかったが、地震列島の中に五十基もの原発を抱え込む恐ろしさを思い知らされた。大規模な余震はまだ続くだろう

▼東大地震研究所が作成した「日本の地震活動」と題する地図が手元にある。一九九六年から昨年五月までに起きたマグニチュード3以上の地震の震源に赤い丸印が付けてある。東日本の太平洋は真っ赤に染まっている

▼地震学者の石橋克彦さんによると、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつある。それでも原発の新設すら認めようとする政党がある。郷土を半永久的に破壊しかねない政策を平然と続ける政党を果たして「保守」と呼べるのだろうか。


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