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【戦国物語】うつけの覚醒 〜 尾張の雄となった織田信秀にも 戦や政とは違う 大きな悩みがあった…〜

2023-09-19 06:50:48 | 織田信長

【戦国物語】うつけの覚醒 〜 尾張の雄となった織田信秀にも 戦や政とは違う 大きな悩みがあった…〜

時は戦国時代 中期 応仁・文明の騒乱以来 室町幕府の権威は崩れはじめていく。 それは同時に各地の守護大名の衰退に繋がり 守護を補佐するはずの守護代が 守護を追放しその座に就く下剋上が発生しはじめる。 畿内からほど近い 尾張国も例外ではなかった… 尾張と遠江の守護 斯波義達は 駿河の今川氏親に攻められ遠江国を奪われたため守護代の岩倉織田氏や清洲織田氏らの反対を押し切り 自ら 遠江奪還に動いた。しかし 士気の高い今川軍の前に 斯波義達は大敗してしまう。 その責を負い 織田氏により義達は追放され まだ幼い 義達の子 斯波義統を守護として置くも、それは 義統を庇護する 清洲織田家の傀儡を意味しており、尾張の政は清洲織田家が牛耳る形となった。 一方 その頃 隣国 三河国では 松平宗家を継いだ 松平清康が三河守護の座を狙い台頭してきた。三河を平定した清康は その勢いのまま尾張へ侵攻するも 守山の陣中で家臣に討たれてしまう大事件が発生する。 ここで動いたのが 清洲織田家臣団の中で 頭角を現していた 勝幡城主 織田信秀であった。 信秀は下剋上で成り上がった 美濃の守護 斎藤利政との戦いが続く中、松平清康の不慮の死を好機とし 三河攻めを決行。 天文9年(1540)には 安祥松平家の居城 安祥城を陥落させ、その7年後の天文16年(1547)には 松平家を継いだ 松平広忠の居城 岡崎城を一度は奪取し広忠の嫡子 竹千代を捕虜とするまでに 松平勢を駆逐していった。 尾張の守護でも 守護代でもない織田信秀の勢力・財力 そして名声は、主家である 清洲織田家を凌駕するまでに成長し もはや尾張で信秀に逆らう者はいないと言われるほどであったが しかし ただ一人 そんな信秀を悩ませる者がいた…


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