8月12日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介します。
今日8月12日は、私の誕生日であり、日航機の墜落した日でもあります。
朝日新聞
・ 「泣く子と地頭(じとう)には勝てぬ」と諺(ことわざ)に言うほどだから、泣く子をあやすのは難しい。俳人の中村汀女(ていじょ)に〈秋暑き汽車に必死の子守唄〉の一句があって、親の方が泣きたくなるような光景が目に浮かぶ
▼自分のことではなく、汽車に乗り合わせた母子だそうだ。残暑の車中、母親への同情をこめた描写は、まわりの乗客の困った顔まで想像させる。汽車は混んでいたに違いない
▼時は流れて平成。子どもの声への不寛容は往時の比ではなくなった感がある。「泣く子のせいでバスから降ろされた」「機内で泣きやまず、降りるときに何人かから罵声を浴びた」といった声が、半年前の本紙別刷り「be」に載っていた。この手の話を、昨今よく聞く
▼かつて小欄で子どもの肩を持ったら、ずいぶん反論を頂戴(ちょうだい)した。若い親の甘やかしや、公共の場での無責任を叱る声が目立っていた。意外なことに年配の女性からの苦言が多かった
▼うなずく点もあったが、生身の存在である子どもが泣いて、周囲の不機嫌に親が縮こまる図はいかがなものだろう。遊び声さえ迷惑がるご時世、「社会で育てる」という言葉はむなしくないか――などと、お盆休みの交通混雑のニュースを見ながら考えた
▼親御さんの処世術としては、新幹線でも飛行機でも、先に周囲にあいさつしておくだけでだいぶ違うようだ。気づかいと寛容で歩み寄り、「お互いさま」の雰囲気をつくりたいものだ。「旅は道づれ世は情け」と、これも諺に言う。道中は楽しい方がいい。
毎日新聞
・ 19世紀のフランスの文豪バルザックはジャーナリズムへの毒舌(どくぜつ)で有名だ。「もしジャーナリズムが存在していないなら、まちがってもこれを発明してはならない」(「ジャーナリズム性悪説」ちくま文庫)という言葉が代表的だろう
▲だが彼は一時期、売れっ子ジャーナリストだった。同書の訳者・鹿島茂(かしま・しげる)さんの解説によると、「谷間の百合」の作家がジャーナリズムに傾く背景には「金と権力」への欲望が働いていた。評論を書きまくったり雑誌を作ったりしたが成功せず、巨額の借金を背負って業界に憎悪を募らせたというのが真相らしい
▲ではバルザックは実績ある米ワシントン・ポスト紙に対してもジャーナリズム不要論を唱えるだろうか。同紙は1970年代のウォーターゲート事件報道でニクソン大統領を辞任に追い込んだことで知られる。取材したボブ・ウッドワード記者は毎朝アパートにニューヨーク・タイムズが届くと必ず20ページ目を開いた
▲情報提供者(ディープスロート)は会って話したいことがあると新聞のページ番号を円で囲み、会う時刻を示す時計の針を描いていたからだ。どうやって書き込むのか不明としつつ、同記者が共著の「大統領の陰謀(いんぼう)」で明かしている
▲これぞ取材の醍醐味(だいごみ)。宅配される新聞がスクープに一役買ったわけで、ポスト紙を買収した米アマゾン・コムの最高経営責任者がタブレットでしか新聞を読まないのは時代の変化というべきか
▲だがバルザックの時代も今も、ジャーナリズムに「金と権力」を求めるのは筋違いだ。買収による経営基盤の強化は結構だが、金で買えぬよき伝統を大事にしてほしい。
日本経済新聞
・ むかし上方では、男の日傘がはやったという。講談社版「日本大歳時記」の夏の部に「江戸後期には京阪地方で男の日傘が流行したことがあったが、後に禁制になった」などとある。禁制とはまた穏やかではないが、そのたたずまいがお役人のカンに障ったのだろうか。
▼「大阪に住みつき男日傘かな」小原野花。こちらの句はずっとのちの昭和の作だから、やはり関西には男性が日傘をさす習慣が残っていたとみえる。さて時は移り平成のいま、近畿方面にかぎらず男の日傘が見直されているようだ。年々ひどくなる暑さのなかで省エネ、クールビズのご時世、なかなか理にかなってはいる。
▼特設コーナーを設けたデパートもあるし、先日は炎天下をゆうゆうと行く黒いコウモリを見た。ならばためしに、と手持ちの折り畳み傘を広げて猛暑の街を歩いてみたら、これが思った以上によい。ちょっとした発見だ。まわりの人の目が気になるけれど、強烈な日差しで汗みどろになるよりずっとスマートかもしれない。
▼そう考える人が増えれば、男の日傘ももっと普及するだろう。18世紀の英国では雨傘だってもっぱら女性の愛用品だったという。ところがジョナス・ハンウェイという男がひとり使いはじめて、やがて男女の別がなくなっていったそうだ。世の常識なるもの、案外たいしたことはない。そんなことも思わせる傘事情である。
産経新聞
・ この時期に言うのもおかしいが、ここ2、3日、気象庁や全国の気象台は「盆と正月」のような忙しさだった。猛暑が戻ってきて熱中症への注意を呼びかける。そこへ地震の緊急速報の誤報があり、東北地方は思わぬ豪雨に見舞われ被害が広がった。
▼猛暑の方はほぼ予報通りだった。しかし「奈良で震度7」などという速報は完全に空振りで終わった。東北の豪雨も「経験のないような大雨」に注意を呼びかけたときには、もうあちこちで土砂降りだった。気象庁もその都度、謝罪や説明に追われていた。
▼そのことを責めようというのではない。地震の誤報は、早く正確な速報のために設置した地震計の不具合が原因だった。全く速報できずに被害が甚大になった場合を考えれば、我慢しなければなるまい。豪雨の方も、今回は予測が極めて難しいケースだったらしい。
▼積乱雲が発生し雷雨をもたらすのは夏には珍しくない。しかし今回は風上で積乱雲が次々に生まれ、風下の同じ場所を長時間にわたり襲う。ビルが立ち並ぶようだから「バックビルディング現象」といい、これが被害を大きくした。極めて局地的なのが特徴だという。
▼先月の山口、島根のときもそうだったが、洪水が起きた町の隣の市ではほとんど降らないケースもあった。むろん地震も豪雨も速報や予報の精度は上げてもらいたい。しかし思いがけぬ天変地異に襲われても、対応できる心の備えをしておくことも大事だろう。
▼一方、自然の脅威と違い国際情勢の激震はある程度、予測できる。それなのに中国の横暴も北朝鮮の跳ね上がりも全く予測しようとはせず、憲法改正や集団的自衛権の容認阻止に躍起になってきた。そんな一部政治家やマスコミは責められて当然だ。
中日新聞
・ <土の中から けさ でてきて/もう セミが うたえている/ならったことも ない/きいたことも ない/とおい そせんの日の うたを/とおい そせんの日の ふしで…>
▼まど・みちおさんの詩「セミ」だ。蝉(せみ)は「たいよう ばんざい ざいざいざい」と歌って、その歌は<もえて もえて こずえへのぼり くもへのぼり…たいようの てに すくわれて>いく
▼まこと蝉の声は、真夏の太陽に向かって上っていく。ここ数年で緑がめっきり少なくなった住宅地に住んでいるのだが、切られず残っている木々はまるで蝉の集合住宅だ。朝食時など窓を閉めないと、ニュースも聞き取れない。蝉時雨(しぐれ)という風情はなく、蝉の豪雨だ。ただでさえ寝苦しいのに、やたら朝早くから鳴る目覚まし時計が無数にあるようなものだ
▼しかし、何事もプラス思考で乗り切るしかない。『昆虫食入門』(内山昭一著、平凡社新書)によれば、蝉をフライや天ぷらにして、揚げたてをほおばると、「ナッツの香りとうま味がある」そうだ
▼人口増や気候変動による食料危機に備え、栄養価の高い昆虫食に目を向けるように、国連も促しているという。つまり蝉の集合住宅は宝の山という訳だ
▼…と考えながらも、やはりその声に辟易(へきえき)する。歳時記を開いても、目に留まるのはこんな句だ。<蝉の音も煮ゆるがごとき真昼かな>闌更(らんこう)
※ それにしても、みなさん、毎日、どうやってネタを集めるのでしょうか。
一つのネタから、教養とセンスが満ちあふれています。
今日8月12日は、私の誕生日であり、日航機の墜落した日でもあります。
朝日新聞
・ 「泣く子と地頭(じとう)には勝てぬ」と諺(ことわざ)に言うほどだから、泣く子をあやすのは難しい。俳人の中村汀女(ていじょ)に〈秋暑き汽車に必死の子守唄〉の一句があって、親の方が泣きたくなるような光景が目に浮かぶ
▼自分のことではなく、汽車に乗り合わせた母子だそうだ。残暑の車中、母親への同情をこめた描写は、まわりの乗客の困った顔まで想像させる。汽車は混んでいたに違いない
▼時は流れて平成。子どもの声への不寛容は往時の比ではなくなった感がある。「泣く子のせいでバスから降ろされた」「機内で泣きやまず、降りるときに何人かから罵声を浴びた」といった声が、半年前の本紙別刷り「be」に載っていた。この手の話を、昨今よく聞く
▼かつて小欄で子どもの肩を持ったら、ずいぶん反論を頂戴(ちょうだい)した。若い親の甘やかしや、公共の場での無責任を叱る声が目立っていた。意外なことに年配の女性からの苦言が多かった
▼うなずく点もあったが、生身の存在である子どもが泣いて、周囲の不機嫌に親が縮こまる図はいかがなものだろう。遊び声さえ迷惑がるご時世、「社会で育てる」という言葉はむなしくないか――などと、お盆休みの交通混雑のニュースを見ながら考えた
▼親御さんの処世術としては、新幹線でも飛行機でも、先に周囲にあいさつしておくだけでだいぶ違うようだ。気づかいと寛容で歩み寄り、「お互いさま」の雰囲気をつくりたいものだ。「旅は道づれ世は情け」と、これも諺に言う。道中は楽しい方がいい。
毎日新聞
・ 19世紀のフランスの文豪バルザックはジャーナリズムへの毒舌(どくぜつ)で有名だ。「もしジャーナリズムが存在していないなら、まちがってもこれを発明してはならない」(「ジャーナリズム性悪説」ちくま文庫)という言葉が代表的だろう
▲だが彼は一時期、売れっ子ジャーナリストだった。同書の訳者・鹿島茂(かしま・しげる)さんの解説によると、「谷間の百合」の作家がジャーナリズムに傾く背景には「金と権力」への欲望が働いていた。評論を書きまくったり雑誌を作ったりしたが成功せず、巨額の借金を背負って業界に憎悪を募らせたというのが真相らしい
▲ではバルザックは実績ある米ワシントン・ポスト紙に対してもジャーナリズム不要論を唱えるだろうか。同紙は1970年代のウォーターゲート事件報道でニクソン大統領を辞任に追い込んだことで知られる。取材したボブ・ウッドワード記者は毎朝アパートにニューヨーク・タイムズが届くと必ず20ページ目を開いた
▲情報提供者(ディープスロート)は会って話したいことがあると新聞のページ番号を円で囲み、会う時刻を示す時計の針を描いていたからだ。どうやって書き込むのか不明としつつ、同記者が共著の「大統領の陰謀(いんぼう)」で明かしている
▲これぞ取材の醍醐味(だいごみ)。宅配される新聞がスクープに一役買ったわけで、ポスト紙を買収した米アマゾン・コムの最高経営責任者がタブレットでしか新聞を読まないのは時代の変化というべきか
▲だがバルザックの時代も今も、ジャーナリズムに「金と権力」を求めるのは筋違いだ。買収による経営基盤の強化は結構だが、金で買えぬよき伝統を大事にしてほしい。
日本経済新聞
・ むかし上方では、男の日傘がはやったという。講談社版「日本大歳時記」の夏の部に「江戸後期には京阪地方で男の日傘が流行したことがあったが、後に禁制になった」などとある。禁制とはまた穏やかではないが、そのたたずまいがお役人のカンに障ったのだろうか。
▼「大阪に住みつき男日傘かな」小原野花。こちらの句はずっとのちの昭和の作だから、やはり関西には男性が日傘をさす習慣が残っていたとみえる。さて時は移り平成のいま、近畿方面にかぎらず男の日傘が見直されているようだ。年々ひどくなる暑さのなかで省エネ、クールビズのご時世、なかなか理にかなってはいる。
▼特設コーナーを設けたデパートもあるし、先日は炎天下をゆうゆうと行く黒いコウモリを見た。ならばためしに、と手持ちの折り畳み傘を広げて猛暑の街を歩いてみたら、これが思った以上によい。ちょっとした発見だ。まわりの人の目が気になるけれど、強烈な日差しで汗みどろになるよりずっとスマートかもしれない。
▼そう考える人が増えれば、男の日傘ももっと普及するだろう。18世紀の英国では雨傘だってもっぱら女性の愛用品だったという。ところがジョナス・ハンウェイという男がひとり使いはじめて、やがて男女の別がなくなっていったそうだ。世の常識なるもの、案外たいしたことはない。そんなことも思わせる傘事情である。
産経新聞
・ この時期に言うのもおかしいが、ここ2、3日、気象庁や全国の気象台は「盆と正月」のような忙しさだった。猛暑が戻ってきて熱中症への注意を呼びかける。そこへ地震の緊急速報の誤報があり、東北地方は思わぬ豪雨に見舞われ被害が広がった。
▼猛暑の方はほぼ予報通りだった。しかし「奈良で震度7」などという速報は完全に空振りで終わった。東北の豪雨も「経験のないような大雨」に注意を呼びかけたときには、もうあちこちで土砂降りだった。気象庁もその都度、謝罪や説明に追われていた。
▼そのことを責めようというのではない。地震の誤報は、早く正確な速報のために設置した地震計の不具合が原因だった。全く速報できずに被害が甚大になった場合を考えれば、我慢しなければなるまい。豪雨の方も、今回は予測が極めて難しいケースだったらしい。
▼積乱雲が発生し雷雨をもたらすのは夏には珍しくない。しかし今回は風上で積乱雲が次々に生まれ、風下の同じ場所を長時間にわたり襲う。ビルが立ち並ぶようだから「バックビルディング現象」といい、これが被害を大きくした。極めて局地的なのが特徴だという。
▼先月の山口、島根のときもそうだったが、洪水が起きた町の隣の市ではほとんど降らないケースもあった。むろん地震も豪雨も速報や予報の精度は上げてもらいたい。しかし思いがけぬ天変地異に襲われても、対応できる心の備えをしておくことも大事だろう。
▼一方、自然の脅威と違い国際情勢の激震はある程度、予測できる。それなのに中国の横暴も北朝鮮の跳ね上がりも全く予測しようとはせず、憲法改正や集団的自衛権の容認阻止に躍起になってきた。そんな一部政治家やマスコミは責められて当然だ。
中日新聞
・ <土の中から けさ でてきて/もう セミが うたえている/ならったことも ない/きいたことも ない/とおい そせんの日の うたを/とおい そせんの日の ふしで…>
▼まど・みちおさんの詩「セミ」だ。蝉(せみ)は「たいよう ばんざい ざいざいざい」と歌って、その歌は<もえて もえて こずえへのぼり くもへのぼり…たいようの てに すくわれて>いく
▼まこと蝉の声は、真夏の太陽に向かって上っていく。ここ数年で緑がめっきり少なくなった住宅地に住んでいるのだが、切られず残っている木々はまるで蝉の集合住宅だ。朝食時など窓を閉めないと、ニュースも聞き取れない。蝉時雨(しぐれ)という風情はなく、蝉の豪雨だ。ただでさえ寝苦しいのに、やたら朝早くから鳴る目覚まし時計が無数にあるようなものだ
▼しかし、何事もプラス思考で乗り切るしかない。『昆虫食入門』(内山昭一著、平凡社新書)によれば、蝉をフライや天ぷらにして、揚げたてをほおばると、「ナッツの香りとうま味がある」そうだ
▼人口増や気候変動による食料危機に備え、栄養価の高い昆虫食に目を向けるように、国連も促しているという。つまり蝉の集合住宅は宝の山という訳だ
▼…と考えながらも、やはりその声に辟易(へきえき)する。歳時記を開いても、目に留まるのはこんな句だ。<蝉の音も煮ゆるがごとき真昼かな>闌更(らんこう)
※ それにしても、みなさん、毎日、どうやってネタを集めるのでしょうか。
一つのネタから、教養とセンスが満ちあふれています。