松下政経塾が中国や韓国の紙面をにぎわしています。
まずは韓国から・・・
松下政経塾出身者、日本政界第4の勢力に
国粋主義的な歴史観、歴史問題などでの韓国・中国の批判を問題視
国会議員38人、地方議員や首長含めると80人の一大勢力
「カネ」「コネ」がなく、現場主義に徹する
「日本の首相による靖国神社への参拝や歴史教科書問題について、中国や韓国は必ず干渉してくる。中国はことあるたびに南京大虐殺、韓国は従軍慰安婦の問題を持ち出し、それに対し日本政府は謝罪している」
日本の野田佳彦首相は、政治エリート養成機関として知られる「松下政経塾」の1期生だ。野田首相は2009年『わが国はどんな国家を志向すべきか』(非売品)という本で、国粋主義的な歴史観を表明した。
野田首相は、松下政経塾の塾生やOBによって結成された「松下政経塾政経研究所国策研究会」の座長として、06年から行ってきた月例討論会の結果を整理し、この本をまとめた。
■国粋主義的な歴史観と現実的な戦略
野田首相はこの本の第1章『日本人の歴史観を正す』で「東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決は、戦前の日本を断罪するものだ。裁判によって、戦争行為だけでなく、それまで日本が歩んできた歴史をも否定してしまった」として、戦犯を処罰した東京裁判を批判した、と産経新聞が8日報じた。
野田首相を含む松下政経塾出身者たちは「強い日本」という政治哲学を共有し、国粋主義的な歴史観や対中強硬派という共通点を持っている。
だが、同塾出身の政治家たちは「強い日本」を実現するため、まずは韓国や中国との摩擦を引き起こすべきではない、という現実主義的な路線を掲げている。このため、野田首相は就任直後、靖国神社への公式参拝を行わない意向を表明し、保守派から「言葉だけで行動しない」と批判された。
■「脱金権・脱世襲」の政治哲学
松下政経塾出身者として初の首相になった野田首相は、閣僚や民主党の要職に同塾出身者たちを起用した。例えば、外交経験がない玄葉光一郎氏(8期生)を外相に起用した。外相は将来の首相候補と目されるポストのため、「出世コース」を歩ませるというわけだ。
前原誠司前外相(8期生)は民主党の政策調査会長(政調会長)に起用された。政調会長は法案提出の権限が与えられ、事実上の「ナンバー2」とされるポストだ。
樽床伸二議員(3期生)は幹事長代行、長浜博行議員(2期生)は官房副長官に起用された。また、野田首相の秘書官に起用された河井淳一氏も同塾の1期生だ。
野田首相が同塾出身者たちを起用したのは「脱金権・脱世襲」「強い日本」という政治哲学を共有しているためだ。同塾出身の議員は38人で、公明党(40人)に次ぐ「第4の勢力」といわれている。地方自治体首長や地方議員を含めると、同塾出身の政治家は80人に達する。
前原氏、樽床氏、玄葉氏などはいつでも首相の座を狙えるポストに就いているため、同塾の全盛期は今後長らく続く見通しだ。
■「カネ」「コネ」はなくても現場主義で勝負
松下政経塾は1979年、松下電器産業(現・パナソニック)の創業者として知られる故・松下幸之助が、日本の政治の現実を打破するという目的を掲げて設立した。その門をたたいた人たちの大部分は「カネ」と「コネ」がない。そのため、地域住民の輪の中に入り、有権者たちの心をつかむという「現場主義」に徹することも共通点として挙げられる。
同塾の教育も現場主義に徹している。国内外の工場で働いたり、販売員を経験したりすることもカリキュラムに含まれている。塾生たちは自らテーマを決め、国内外の現場を訪問し、調査・研究を行う。そんな同塾の出身者たちは「松下政経塾は何か特別なことを教えるところではない」と話している。
同塾の出身者の政界入りも、派閥に入ることではなく、選挙運動がきっかけとなっている。在学中から先輩たちの選挙運動を手伝い、政策の樹立や演説、住民たちとの触れ合いなどを通し、実戦的な選挙戦術を学んでいく。こうした過程を経ることにより、派閥に縛られたこれまでの政治家たちとは異なり、有権者の心をつかむ政治家として成長していく。世襲政治家が主流となっている日本で、同塾出身の「庶民派」議員たちが首相を送り出すことができたのも、そのおかげだ。
以上は http://www.chosunonline.com/news/20110909000042
続いて中国 チャイナネットより
政界の最前線に立つ松下政経塾の政治家
「今後、日本の政局を左右するのは民主とでも、自民党でもない。おそらく松下政経塾だ」。日本の政界と深いつながりをもつ企業家、吉川明希氏はこう語る。
◇日本独特の政治と商業の結合
1979年、松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助氏は70億円の個人資産を投じて私塾を設立した。「松下幸之助は当時、経済で大きな成功を収めた後、政界に辛抱強い政治家が減っていくのを予見し、政治家、企業家、社会のリーダーを育成するため、自らの資産を投じてこの私塾を設立した。松下氏は先見の明があり、将来の日本の政治問題を早くから洞察していた」と吉川氏は話す。
日本には独特の政治と商業の結合があり、名声と人望のある企業家が直接的には政治に参加せずに、私塾を設立して次世代の政治家を育成する。
松下政経塾出身の衆議院議員は31人、参議院議員は7人。よく知られている人物では、野田佳彦氏や逢沢一郎氏のほか、原口一博氏、高市早苗氏、前原誠司氏らがおり、数々の大臣クラスの政治家のほか、相当数の副大臣クラスの政治家を輩出している。
◇演説が得意な松下政経塾出身者
同塾では厳しい訓練を受ける。一期生の野田氏は卒業後、選挙区の駅前で街頭演説を毎日行い、それを24年間続けた。「政治家は国民と直接交流し、国民のニーズを直接理解する必要がある」と野田氏は語る。そのすぐれた演説力は党代表選の終盤でも頭角を現した。
吉川氏は「松下政経塾出身者はみな演説に長けている」という。ただ、だからといって実務に長じているとは限らない。「彼らは特に街頭演説が好きで、市民の集まりには参加したがらない。市民の前で自分の特徴や能力を強調するが、人々がすぐに解決してほしい問題は聞きもしない」と指摘する。
◇野田氏と前原氏は「軍事通」
松下政経塾出身者のもう一つの特徴は、軍事問題に詳しいことだ。自衛隊で訓練を受けた人も多く、そのため軍事動向に強い関心をもつ。
前原氏は日本では「軍事通」として知られる。「米国に訪問すれば、米軍との交流に多くの時間を割き、米軍と深く交流するだろう」と前原氏をよく知る官僚は話す。野田氏も同じだ。多くの場で、自分は財政問題に精通しているだけでなく、軍事問題の専門家でもあると強調している。
「松下政経塾の人と話すとき、軍事の話になると彼らは興奮する」。中日関係セミナーを何度も取材している中国人記者はこう振り返る。
松下幸之助氏の希望通り、「松下政経塾」出身の政治家がすでに日本の政界の最前線に立った。ただ、設立当初の初心とどのくらいの距離があるか、長い時間をかけて検証する必要がある。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2011-09/09/content_23388067.htm
まずは韓国から・・・
松下政経塾出身者、日本政界第4の勢力に
国粋主義的な歴史観、歴史問題などでの韓国・中国の批判を問題視
国会議員38人、地方議員や首長含めると80人の一大勢力
「カネ」「コネ」がなく、現場主義に徹する
「日本の首相による靖国神社への参拝や歴史教科書問題について、中国や韓国は必ず干渉してくる。中国はことあるたびに南京大虐殺、韓国は従軍慰安婦の問題を持ち出し、それに対し日本政府は謝罪している」
日本の野田佳彦首相は、政治エリート養成機関として知られる「松下政経塾」の1期生だ。野田首相は2009年『わが国はどんな国家を志向すべきか』(非売品)という本で、国粋主義的な歴史観を表明した。
野田首相は、松下政経塾の塾生やOBによって結成された「松下政経塾政経研究所国策研究会」の座長として、06年から行ってきた月例討論会の結果を整理し、この本をまとめた。
■国粋主義的な歴史観と現実的な戦略
野田首相はこの本の第1章『日本人の歴史観を正す』で「東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決は、戦前の日本を断罪するものだ。裁判によって、戦争行為だけでなく、それまで日本が歩んできた歴史をも否定してしまった」として、戦犯を処罰した東京裁判を批判した、と産経新聞が8日報じた。
野田首相を含む松下政経塾出身者たちは「強い日本」という政治哲学を共有し、国粋主義的な歴史観や対中強硬派という共通点を持っている。
だが、同塾出身の政治家たちは「強い日本」を実現するため、まずは韓国や中国との摩擦を引き起こすべきではない、という現実主義的な路線を掲げている。このため、野田首相は就任直後、靖国神社への公式参拝を行わない意向を表明し、保守派から「言葉だけで行動しない」と批判された。
■「脱金権・脱世襲」の政治哲学
松下政経塾出身者として初の首相になった野田首相は、閣僚や民主党の要職に同塾出身者たちを起用した。例えば、外交経験がない玄葉光一郎氏(8期生)を外相に起用した。外相は将来の首相候補と目されるポストのため、「出世コース」を歩ませるというわけだ。
前原誠司前外相(8期生)は民主党の政策調査会長(政調会長)に起用された。政調会長は法案提出の権限が与えられ、事実上の「ナンバー2」とされるポストだ。
樽床伸二議員(3期生)は幹事長代行、長浜博行議員(2期生)は官房副長官に起用された。また、野田首相の秘書官に起用された河井淳一氏も同塾の1期生だ。
野田首相が同塾出身者たちを起用したのは「脱金権・脱世襲」「強い日本」という政治哲学を共有しているためだ。同塾出身の議員は38人で、公明党(40人)に次ぐ「第4の勢力」といわれている。地方自治体首長や地方議員を含めると、同塾出身の政治家は80人に達する。
前原氏、樽床氏、玄葉氏などはいつでも首相の座を狙えるポストに就いているため、同塾の全盛期は今後長らく続く見通しだ。
■「カネ」「コネ」はなくても現場主義で勝負
松下政経塾は1979年、松下電器産業(現・パナソニック)の創業者として知られる故・松下幸之助が、日本の政治の現実を打破するという目的を掲げて設立した。その門をたたいた人たちの大部分は「カネ」と「コネ」がない。そのため、地域住民の輪の中に入り、有権者たちの心をつかむという「現場主義」に徹することも共通点として挙げられる。
同塾の教育も現場主義に徹している。国内外の工場で働いたり、販売員を経験したりすることもカリキュラムに含まれている。塾生たちは自らテーマを決め、国内外の現場を訪問し、調査・研究を行う。そんな同塾の出身者たちは「松下政経塾は何か特別なことを教えるところではない」と話している。
同塾の出身者の政界入りも、派閥に入ることではなく、選挙運動がきっかけとなっている。在学中から先輩たちの選挙運動を手伝い、政策の樹立や演説、住民たちとの触れ合いなどを通し、実戦的な選挙戦術を学んでいく。こうした過程を経ることにより、派閥に縛られたこれまでの政治家たちとは異なり、有権者の心をつかむ政治家として成長していく。世襲政治家が主流となっている日本で、同塾出身の「庶民派」議員たちが首相を送り出すことができたのも、そのおかげだ。
以上は http://www.chosunonline.com/news/20110909000042
続いて中国 チャイナネットより
政界の最前線に立つ松下政経塾の政治家
「今後、日本の政局を左右するのは民主とでも、自民党でもない。おそらく松下政経塾だ」。日本の政界と深いつながりをもつ企業家、吉川明希氏はこう語る。
◇日本独特の政治と商業の結合
1979年、松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助氏は70億円の個人資産を投じて私塾を設立した。「松下幸之助は当時、経済で大きな成功を収めた後、政界に辛抱強い政治家が減っていくのを予見し、政治家、企業家、社会のリーダーを育成するため、自らの資産を投じてこの私塾を設立した。松下氏は先見の明があり、将来の日本の政治問題を早くから洞察していた」と吉川氏は話す。
日本には独特の政治と商業の結合があり、名声と人望のある企業家が直接的には政治に参加せずに、私塾を設立して次世代の政治家を育成する。
松下政経塾出身の衆議院議員は31人、参議院議員は7人。よく知られている人物では、野田佳彦氏や逢沢一郎氏のほか、原口一博氏、高市早苗氏、前原誠司氏らがおり、数々の大臣クラスの政治家のほか、相当数の副大臣クラスの政治家を輩出している。
◇演説が得意な松下政経塾出身者
同塾では厳しい訓練を受ける。一期生の野田氏は卒業後、選挙区の駅前で街頭演説を毎日行い、それを24年間続けた。「政治家は国民と直接交流し、国民のニーズを直接理解する必要がある」と野田氏は語る。そのすぐれた演説力は党代表選の終盤でも頭角を現した。
吉川氏は「松下政経塾出身者はみな演説に長けている」という。ただ、だからといって実務に長じているとは限らない。「彼らは特に街頭演説が好きで、市民の集まりには参加したがらない。市民の前で自分の特徴や能力を強調するが、人々がすぐに解決してほしい問題は聞きもしない」と指摘する。
◇野田氏と前原氏は「軍事通」
松下政経塾出身者のもう一つの特徴は、軍事問題に詳しいことだ。自衛隊で訓練を受けた人も多く、そのため軍事動向に強い関心をもつ。
前原氏は日本では「軍事通」として知られる。「米国に訪問すれば、米軍との交流に多くの時間を割き、米軍と深く交流するだろう」と前原氏をよく知る官僚は話す。野田氏も同じだ。多くの場で、自分は財政問題に精通しているだけでなく、軍事問題の専門家でもあると強調している。
「松下政経塾の人と話すとき、軍事の話になると彼らは興奮する」。中日関係セミナーを何度も取材している中国人記者はこう振り返る。
松下幸之助氏の希望通り、「松下政経塾」出身の政治家がすでに日本の政界の最前線に立った。ただ、設立当初の初心とどのくらいの距離があるか、長い時間をかけて検証する必要がある。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2011-09/09/content_23388067.htm