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教師は自分の子供の入学式を優先すべきだ

2014-06-09 05:49:58 | 教育関連情報
教師は自分の子供の入学式を優先すべきだ

Newsweek に興味深い記事がありました。

ここから
http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2014/06/post-839.php

 高校入学式で、1年生担任が欠席して自分の子の入学式に出席したことで議論が盛り上がりました。
 これは、その欠席した教師を擁護する意見です。
 
 その是非はともかく、この意見はとても興味深いものでした。
 比較文化論なのです。

近所に住むフランス人の友人は子持ちではないが、この反応にひどく失望していた。日本の出生率が低いのも当然だ、と彼は怒って言った。「職務は家族より大事というのが行政の公的立場なら、子供を持つ親が増えるわけがない」

 これはわからないでもない。

 注目は次です。

日本人の倫理観の根底にあるのは、義務や役割を果たすことを強調する儒教の伝統だ。平穏で安全で秩序正しく、効率がいい日本社会に、外国人は目を見張る。あらゆる職業の日本人が示す自己犠牲や勤勉さ、献身には畏敬の念を抱く。このように義務や職責を重視する倫理観には多くの利点がある。

 それなら欧米人はなぜ、義務感に基づいて行動を決めることがずっと少ないのか。その理由は「義務」の概念が絶対視され、他のあらゆる行動原理より優先されると問題が起きるからだ。


 日本人は義務を果たす。欧米では少ない。
 それはなぜかという意見です。

私の友人のようにサルトルなどの実存主義に強い影響を受けたヨーロッパ人は、役割や職責や義務が人間を定義付けるとは考えない。人間は完全な選択の自由を与えられ、その選択に伴う最終的な責任を負うと考えるのだ。

 ややインテリくさい、いかにもフランス的な理屈に聞こえるかもしれないが、これはホロコーストという悲痛な歴史的経験に裏打ちされた価値観だ。ユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだドイツ軍兵士の多くは、自分の行為を「職務を果たそうとしただけ」と説明していたからだ。


 サルトルや実存主義がが出てくれば、私の領域です。
 入学式の出欠席とは、全くつなげて考えていませんでした。

 筆者はどうまとめるか?

皮肉なことに、欧米人に特有のこの価値観は、日本人外交官の杉原千畝が日本国外で最も敬愛される日本人の1人になった理由でもある。ナチスによるユダヤ人迫害が進むなか、杉原は日本の領事代理としてユダヤ人にビザを発行し、多くの人命を救った。彼は職務規定を破り、義務より愛を優先させた。自分の行動を職務ではなく、人間としての選択に基づいて決めたのだ。

 ここから先は、ぜひ原典で確認してください。

 私自身は、自分は日本人だと再認識しました。

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