今日、10月15日から1週間は新聞週間です。
今日は新聞休刊日なので、昨日(14日)のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
・「欧州の天地は複雑怪奇」と言い残して辞職したのは、戦前の首相平沼騏一郎(きいちろう)だった。あまたの国が国境を接し合い、深謀と機略の渦巻く大陸の駆け引きは、島国の政治家には見通せなかったらしい。その4日後、ドイツがポーランドに侵攻して第2次大戦が始まる
▼「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争」と国連憲章にある。2度の世界大戦で欧州は戦場になった。惨禍を繰り返すまい、という理念の下につくられた欧州連合(EU)に、今年のノーベル平和賞が贈られる
▼「ヨーロッパを戦争の大陸から平和の大陸に変えた」というのが授賞の理由という。争いを繰り返した仏と独が協調してEUを引っ張る。その図を奇跡と評する声もあると聞く
▼9年前のこと、イラクとの開戦にはやる米国が、反対する仏独を「古くさい欧州」と非難した。それを逆手に取り、仏外相は国連で「戦争と占領と蛮行を経験した古い国から」と意見を述べて異例の拍手を浴びた。演説に込めた思いはEUの原点でもあったろう
▼とはいえ、貧すれば鈍す。いま経済危機という最大のピンチに、ユーロ圏の国々はきしみ、反目も目立つ。震源のギリシャは「底の抜けた樽(たる)」といった謗(そし)りを浴び、反動から極右政党が台頭している
▼批判もあるのが平和賞の常だが、まさに真価を問われる受賞となる。欧州は自信を持て、とのメッセージでもあろう。グローバル時代、かの天地の先行きに世界の誰も無縁ではいられない。
毎日新聞
・ 小紙の書評欄「今週の本棚」の担当だった当時、作家の丸谷才一(まるや・さいいち)さんにお世話になった。年1度、書評委員をお招きしてパーティーをしたのだが、最初は原稿を読みながらの丸谷さんの挨拶(あいさつ)に驚いた
▲なぜ、原稿を用意するのか。丸谷さんは二度と同じ人が集まらないパーティーで自分の思いばかりを長々としゃべるような挨拶は困るからだという。聞き手あってこその挨拶である。みんなに楽しんでもらえる話題をきちんと話すには原稿にした方がいいというのだ
▲「読者あっての文章なのと同じです」。実は挨拶の話は文芸の話なのだ。自分の思いのたけを記すのが文学と思われてきた日本の風土で、一席の歓(かん)を尽くすパーティーのように読者と歓を共にする文学を掲げた丸谷さんだ
▲「今週の本棚」創設にあたって丸谷さんは新聞書評の革新を提唱した。書評委員会の合議制を排して文筆家個人の責任で書評をする。書評1本当たりのスペースを格段に広げる。何より書評そのものが読者を魅了(みりょう)する読み物でなければならないというのが原則だった
▲文芸評論でもない。単なる本の紹介でもない。「この本面白いよ」と知人に伝える心の弾み、どう面白さを書けば伝わるかという知的興奮、それらを行間に秘めた文芸の一ジャンルとしての書評こそ丸谷さんが求めたものだった。「一席の歓」を共にする書評である
▲本の楽しさを心ゆくまで味わい、喜びを共にするパーティーのような書評文化は今ではさまざまな広がりを見せる。そこで説教好きの挨拶や、独りよがりの長広舌(ちょうこうぜつ)をあまり耳にしなくてすむようになったのも、天国の丸谷さんのおかげだ。
日本経済新聞
・ 2人が結婚しようとしたとき、夫となる男性は事実上、獄中にあった。法的な手続きを進めるのは、ずいぶん大変だったらしい。だが、2人の、とりわけ妻となる女性の固い意志が渋る役人たちを押し切った。そして16年。夫となった男性は今、ふたたび獄中にある。
▼知人によると、2人は仲むつまじい「恩愛夫妻」として有名だそうだ。夫が出獄している時でも逆境続きだったが、強いきずなで乗り切ってきた、という。夫の名前は劉暁波氏。言うまでもなく、2年前にノーベル平和賞を受賞した中国の作家だ。妻の名前は劉霞さん。2年前から北京の自宅で軟禁状態に置かれている。
▼この2年間、劉霞さんは外との接触を厳しく制限されてきた。まれに伝わってくるところでは、家に2人の女性警官が常駐していて、外出はおろか、電話やインターネットを利用することも自由にできないようだ。長らく不眠症を患ったことがあるだけに、精神的に追い詰められているのではないかと心配する人は多い。
▼今年のノーベル平和賞は欧州連合(EU)が受賞した。「60年以上にわたり、欧州の平和と和解、民主主義に貢献してきた」との授賞理由は、近ごろの東アジア情勢や劉夫妻が対峙(たいじ)する中国の体制と引き比べたとき、格段に説得力を持つ。受賞が新たな苦闘の始まりとなった2人の名前こそ、改めて胸に刻みたいと思う。
産経新聞
・ チベット文化研究所名誉所長のペマ・ギャルポ氏が月刊誌『教育再生』に巻頭言を寄せている。「中国の侵略主義に対抗する政策」という、領土問題での日本人へのアドバイスである。中でも興味深いのは、領土や主権に対する日本人と中国人の意識の違いだ。
▼中国では徹底した領土拡張主義の教育が浸透し、自信を持って自国の理屈を唱える。これに対し日本は、専門家でさえも他人事のように自国の主権に関わる問題を語る。しかも「恥ずかしくなるくらいに地球市民を気取っているのが情けない」と述べる。
▼見事なご指摘と感心ばかりしてはおれない。専門家どころか、外相経験者の前原誠司国家戦略担当相までが領土問題を「他人事」と見ているようだからだ。民放の番組収録で、石原慎太郎東京都知事の尖閣購入計画を批判したという発言からそう思えた。
▼前原氏は「石原氏が(購入を)言い出さなかったら問題は起きていない」と述べた。中国の反日はそのせいだというのだ。だが中国はそれ以前から尖閣への攻勢を強めていた。これに対する政府の無策を見かねて購入計画を打ちだしたのだ。
▼前原氏は、石原氏と野田佳彦首相の会談で石原氏が「戦争も辞せず」みたいな話をしたことを明かしたそうだ。だがそれを批判するなら戦争の代わりにどうやって尖閣を守るかを語るべきだ。そうしないなら「他人事」であることを露呈したにすぎない。
▼日露戦争前夜、黒岩涙香は主宰する新聞で、けんかの最中に賊に入られた夫婦が力を合わせて退ける話を例に存亡の機の不毛な論争を戒めた。領土が脅かされているとき、政府要人が相手国ではなく国内に批判の矛先を向ける。中国の思うツボである。
中日新聞
・ たばこの吸い殻の形で、男のうそに気付くというのは、男女の機微に通じた演歌の世界。<うそつきは、うそ一つを信じ込ませるために、ほんとうのことを百言う>と米国の諺(ことわざ)にあるように、事実の中に紛れ込んだうそは、見抜くのが難しい
▼説明は変遷を重ねるばかりだ。iPS細胞(人工多能性幹細胞)からつくった心筋細胞を患者に移植することに成功した、との研究成果を発表した森口尚史氏。事実無根だったとして、共同通信の配信記事を掲載した本紙もおわびを載せた
▼「米ハーバード大客員講師」を名乗った森口氏が、iPS細胞に関する研究などでメディアに登場するようになったのは一九九〇年代半ばからだ
▼二〇一〇年から、東大付属病院で細胞や臓器の凍結保存技術の確立を目指す国際共同研究プロジェクトに関与し、iPS細胞の保存研究をしていたことは事実のようだ
▼それ以前は東大先端科学技術研究センターの特任教授だったが、技術の評価や戦略の研究者だった。医師免許は持っているかどうかも定かではないという
▼いずれ明らかになる作り話をなぜメディアに持ち込んだのかは分からないが、誤報はiPS細胞の実用化を心待ちにしている難病患者や家族の気持ちを踏みにじってしまった。裏付けを十分に取るという取材の基本をあらためて思い知らされた。自戒を胸に取材に臨みたい。
いつもながら、コラムの著者の文章力には感嘆します。
短い言葉の中に意味があり、ムダがなく、ストレートに伝わります。
さらに文章全体の中にもオチ、あるいは落としどころがあり、読者をニヤッとさせることも。
新聞週刊を機に、新聞に感謝をしながらコラムを味わってみましょう。
今日は新聞休刊日なので、昨日(14日)のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
・「欧州の天地は複雑怪奇」と言い残して辞職したのは、戦前の首相平沼騏一郎(きいちろう)だった。あまたの国が国境を接し合い、深謀と機略の渦巻く大陸の駆け引きは、島国の政治家には見通せなかったらしい。その4日後、ドイツがポーランドに侵攻して第2次大戦が始まる
▼「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争」と国連憲章にある。2度の世界大戦で欧州は戦場になった。惨禍を繰り返すまい、という理念の下につくられた欧州連合(EU)に、今年のノーベル平和賞が贈られる
▼「ヨーロッパを戦争の大陸から平和の大陸に変えた」というのが授賞の理由という。争いを繰り返した仏と独が協調してEUを引っ張る。その図を奇跡と評する声もあると聞く
▼9年前のこと、イラクとの開戦にはやる米国が、反対する仏独を「古くさい欧州」と非難した。それを逆手に取り、仏外相は国連で「戦争と占領と蛮行を経験した古い国から」と意見を述べて異例の拍手を浴びた。演説に込めた思いはEUの原点でもあったろう
▼とはいえ、貧すれば鈍す。いま経済危機という最大のピンチに、ユーロ圏の国々はきしみ、反目も目立つ。震源のギリシャは「底の抜けた樽(たる)」といった謗(そし)りを浴び、反動から極右政党が台頭している
▼批判もあるのが平和賞の常だが、まさに真価を問われる受賞となる。欧州は自信を持て、とのメッセージでもあろう。グローバル時代、かの天地の先行きに世界の誰も無縁ではいられない。
毎日新聞
・ 小紙の書評欄「今週の本棚」の担当だった当時、作家の丸谷才一(まるや・さいいち)さんにお世話になった。年1度、書評委員をお招きしてパーティーをしたのだが、最初は原稿を読みながらの丸谷さんの挨拶(あいさつ)に驚いた
▲なぜ、原稿を用意するのか。丸谷さんは二度と同じ人が集まらないパーティーで自分の思いばかりを長々としゃべるような挨拶は困るからだという。聞き手あってこその挨拶である。みんなに楽しんでもらえる話題をきちんと話すには原稿にした方がいいというのだ
▲「読者あっての文章なのと同じです」。実は挨拶の話は文芸の話なのだ。自分の思いのたけを記すのが文学と思われてきた日本の風土で、一席の歓(かん)を尽くすパーティーのように読者と歓を共にする文学を掲げた丸谷さんだ
▲「今週の本棚」創設にあたって丸谷さんは新聞書評の革新を提唱した。書評委員会の合議制を排して文筆家個人の責任で書評をする。書評1本当たりのスペースを格段に広げる。何より書評そのものが読者を魅了(みりょう)する読み物でなければならないというのが原則だった
▲文芸評論でもない。単なる本の紹介でもない。「この本面白いよ」と知人に伝える心の弾み、どう面白さを書けば伝わるかという知的興奮、それらを行間に秘めた文芸の一ジャンルとしての書評こそ丸谷さんが求めたものだった。「一席の歓」を共にする書評である
▲本の楽しさを心ゆくまで味わい、喜びを共にするパーティーのような書評文化は今ではさまざまな広がりを見せる。そこで説教好きの挨拶や、独りよがりの長広舌(ちょうこうぜつ)をあまり耳にしなくてすむようになったのも、天国の丸谷さんのおかげだ。
日本経済新聞
・ 2人が結婚しようとしたとき、夫となる男性は事実上、獄中にあった。法的な手続きを進めるのは、ずいぶん大変だったらしい。だが、2人の、とりわけ妻となる女性の固い意志が渋る役人たちを押し切った。そして16年。夫となった男性は今、ふたたび獄中にある。
▼知人によると、2人は仲むつまじい「恩愛夫妻」として有名だそうだ。夫が出獄している時でも逆境続きだったが、強いきずなで乗り切ってきた、という。夫の名前は劉暁波氏。言うまでもなく、2年前にノーベル平和賞を受賞した中国の作家だ。妻の名前は劉霞さん。2年前から北京の自宅で軟禁状態に置かれている。
▼この2年間、劉霞さんは外との接触を厳しく制限されてきた。まれに伝わってくるところでは、家に2人の女性警官が常駐していて、外出はおろか、電話やインターネットを利用することも自由にできないようだ。長らく不眠症を患ったことがあるだけに、精神的に追い詰められているのではないかと心配する人は多い。
▼今年のノーベル平和賞は欧州連合(EU)が受賞した。「60年以上にわたり、欧州の平和と和解、民主主義に貢献してきた」との授賞理由は、近ごろの東アジア情勢や劉夫妻が対峙(たいじ)する中国の体制と引き比べたとき、格段に説得力を持つ。受賞が新たな苦闘の始まりとなった2人の名前こそ、改めて胸に刻みたいと思う。
産経新聞
・ チベット文化研究所名誉所長のペマ・ギャルポ氏が月刊誌『教育再生』に巻頭言を寄せている。「中国の侵略主義に対抗する政策」という、領土問題での日本人へのアドバイスである。中でも興味深いのは、領土や主権に対する日本人と中国人の意識の違いだ。
▼中国では徹底した領土拡張主義の教育が浸透し、自信を持って自国の理屈を唱える。これに対し日本は、専門家でさえも他人事のように自国の主権に関わる問題を語る。しかも「恥ずかしくなるくらいに地球市民を気取っているのが情けない」と述べる。
▼見事なご指摘と感心ばかりしてはおれない。専門家どころか、外相経験者の前原誠司国家戦略担当相までが領土問題を「他人事」と見ているようだからだ。民放の番組収録で、石原慎太郎東京都知事の尖閣購入計画を批判したという発言からそう思えた。
▼前原氏は「石原氏が(購入を)言い出さなかったら問題は起きていない」と述べた。中国の反日はそのせいだというのだ。だが中国はそれ以前から尖閣への攻勢を強めていた。これに対する政府の無策を見かねて購入計画を打ちだしたのだ。
▼前原氏は、石原氏と野田佳彦首相の会談で石原氏が「戦争も辞せず」みたいな話をしたことを明かしたそうだ。だがそれを批判するなら戦争の代わりにどうやって尖閣を守るかを語るべきだ。そうしないなら「他人事」であることを露呈したにすぎない。
▼日露戦争前夜、黒岩涙香は主宰する新聞で、けんかの最中に賊に入られた夫婦が力を合わせて退ける話を例に存亡の機の不毛な論争を戒めた。領土が脅かされているとき、政府要人が相手国ではなく国内に批判の矛先を向ける。中国の思うツボである。
中日新聞
・ たばこの吸い殻の形で、男のうそに気付くというのは、男女の機微に通じた演歌の世界。<うそつきは、うそ一つを信じ込ませるために、ほんとうのことを百言う>と米国の諺(ことわざ)にあるように、事実の中に紛れ込んだうそは、見抜くのが難しい
▼説明は変遷を重ねるばかりだ。iPS細胞(人工多能性幹細胞)からつくった心筋細胞を患者に移植することに成功した、との研究成果を発表した森口尚史氏。事実無根だったとして、共同通信の配信記事を掲載した本紙もおわびを載せた
▼「米ハーバード大客員講師」を名乗った森口氏が、iPS細胞に関する研究などでメディアに登場するようになったのは一九九〇年代半ばからだ
▼二〇一〇年から、東大付属病院で細胞や臓器の凍結保存技術の確立を目指す国際共同研究プロジェクトに関与し、iPS細胞の保存研究をしていたことは事実のようだ
▼それ以前は東大先端科学技術研究センターの特任教授だったが、技術の評価や戦略の研究者だった。医師免許は持っているかどうかも定かではないという
▼いずれ明らかになる作り話をなぜメディアに持ち込んだのかは分からないが、誤報はiPS細胞の実用化を心待ちにしている難病患者や家族の気持ちを踏みにじってしまった。裏付けを十分に取るという取材の基本をあらためて思い知らされた。自戒を胸に取材に臨みたい。
いつもながら、コラムの著者の文章力には感嘆します。
短い言葉の中に意味があり、ムダがなく、ストレートに伝わります。
さらに文章全体の中にもオチ、あるいは落としどころがあり、読者をニヤッとさせることも。
新聞週刊を機に、新聞に感謝をしながらコラムを味わってみましょう。