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2月5日は新聞休刊日

2018-02-05 05:29:03 | 社説を読む
今日、5日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを一部振り返ってみましょう。

毎日新聞
・ 早春の風を受けて走るのは約3900人。別府大分毎日マラソン大会がきょう行われる。その中に京都大iPS細胞研究所所長の山中伸弥(やまなか・しんや)さんがいるはずだ。昨年2月の京都マラソンで3時間27分45秒を出して、3時間半以内の参加条件を満たした

▲山中さんは本紙のコラムで「走り続けるもう一つの理由」を書いている。研究所の教職員は大半が非正規雇用だ。国からの研究費に加えて寄付による支援が欠かせない。別大マラソン以外の大会にチャリティーランナーとして出場してきたのは寄付を募るためでもある

▲先日、研究所で任期付きの助教による論文不正が発覚した。安定したポストをつかみたい焦りがあったのかもしれない。山中さんには何とも皮肉で悔やまれる出来事だが、iPS細胞の臨床応用というゴールを目指し走り続けてほしい

▲自己ベストが山中さんとほぼ同じ3時間27分の著名な市民ランナーがいる。作家の村上春樹さんだ。自分を長距離ランナーに例えて「少しでも長く生きて、一冊でも多くの小説を書き続けたい」(村上春樹 雑文集)

▲村上さんは同書で、小説を書く姿勢に触れている。「我々を囲む厳しい寒さや飢え」や「恐怖や絶望」に対し、語り手自身が希望や喜びを持っていなければ、どうやって説得力を持ちうるのかと。「希望」を読者に伝えるために人生のマラソンを走っているのであろう

▲きょうは立春。冬が過ぎ、万物が動き始める。それぞれのランナーが、それぞれの春の兆しを感じるだろう。


日本経済新聞
・  平日朝、通勤ラッシュのJR東京駅前。背広姿の会社員たちが次々に歩道と車道を区切る柵を乗り越え、足早に広い道路を渡っていく。ここ1カ月あまり、そうした光景を見かけることが増えた。場所は赤レンガ駅舎で有名な丸の内側。北口改札を出てすぐのあたりだ。

▼昨年まで、ここには東京駅と大手町などのオフィス街を最短距離で結ぶ横断歩道があった。利用者は多く、マスメディアが通勤風景を撮影する定番の場所でもあった。駅前広場が整備され位置が少しずれた。遠回りになっただけではない。新たに引かれた横断歩道の手前には、地下街への大きな下り口がでんと構えている。

▼大勢の通勤客が、階段脇の狭い隙間を通り抜けようとひしめく。何とも不思議な位置に付け替えたものだと感じる。ラッシュ時の混雑や混乱は避けられず、遅刻すまいと柵を乗り越える大人たちが現れることになった。3日前の木曜朝なら8時半からの30分間で12人ほど。多くはないが、子供に見せたくない光景ではある。

▼東京都やJRの資料によれば「首都東京の顔にふさわしい魅力あふれる都市景観」を目指す駅前整備だそうだ。なるほど新しい横断歩道は観光客が広場を回るには便利な位置にある。設計図面上も美しい配置になっている。観光や見た目の時代ではあるが、通勤客や生活者の利便性とのバランスにも配慮がほしいところだ。


産経新聞
・ 相撲に「顔の傷は力士の勲章」という格言がある。顔をかばい、相手より先に手をつけば負けになる。傷を負っても顔から落ちよ、と。平幕時代の貴乃花親方(元横綱)は格言を地で行く相撲で勝ったことがある。

▼顔をすりむいた当時10代の若者に父で師匠の藤島親方は「力士の仲間入りだ」と喜んだという(『貴花田』ワニブックス)。土俵の美学はしかし、処世万般に通じるものでもない。不利といわれた選挙である。「かばい手」ならぬ不戦敗で傷を負わない手もあった。

▼日本相撲協会の理事改選で敗れた貴乃花親方に、嘆息する好角家は多かろう。周囲の制止を振り切っての出馬だといい、同じ一門の親方から「ついて行けない」と見かぎる声も出たと聞く。かつて「将来の理事長」と目された人も、この黒星で負った傷は浅くない。

▼誰よりも強い発信力を持ちながら、元横綱日馬富士の暴力事件はもとより、この選挙でも沈黙を貫いたのはどうしたことか。部屋のウェブサイトに載せた声明文は改革への熱意をつづるのみで、角界をどう変えるのか何一つ語っていない。負けるべくして、だろう。


中日新聞
・ 机の奥にあった電卓に久しぶりに触ってみる。最近はスマートフォンの電卓機能を使うのがもっぱらで、見向きもしなかったが、その人の訃報に、その電子機器の労をねぎらいたくなる。小型電卓の開発で知られる元シャープの佐々木正さんが亡くなった。百二歳

▼かつて電卓は高かった。東京五輪の一九六四年、当時の早川電機(現・シャープ)が発売した電卓は自動車一台分の五十三万五千円。重さは二十五キロ。若い人には想像もできまい

▼六〇年代から七〇年代にかけての「電卓戦争」。その中で佐々木さんらは技術、低価格競争に挑んだ。「立ち止まらぬ人」だったという。集積回路(IC)、太陽電池、液晶画面。新技術導入をためらわぬ佐々木さんの判断力。同社が七七年発売した電卓は六十五グラム、価格は八千五百円まで下がった。電卓は短期間に身近な道具になった

▼古い電卓をもう一度見る。「電卓戦争」で開発された技術はやがてスマートフォン、コンピューター、ゲーム機などにつながっていく。電卓は日本を支える電子産業の礎であり、その人の功績の大きさを思う

▼ある若者が電子翻訳機を持ってきた。誰も見向きもしなかったが、佐々木さんだけは「おもしろいやつだ」とその技術に大金を出した。銀行に口も利いた

▼育てたのは技術だけではなく人もか。若者とは、ソフトバンクの孫正義会長である。

※ 3時間27分45秒を目標にがんばりたい!
 その前に、膝を治さないと・・・。

 産経は、結局何を言いたいのかわかりません。

 今日の日経はひねりがありません。

 もっともよいと思ったのは中日です。特に最後の一文が・・・。

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