松平郷周辺FW -8-
令和6年5月5日、いつものメンバー(積知積徳会)で、松平郷周辺へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせしています。
今回の訪問地です。
第8回 高月院 です。
松平氏の菩提寺です。
家光が寄進した山門。高麗門です。
高月院の住職は、寛永寺や増上寺の住職と同格で、大きな大名並だったそうです。
仏足石がここにもありました。
十八代恒孝(慶喜が十五代)お手植えの松
家康公お手植え???
家光が寄進した本堂。
浄土宗なので、阿弥陀様が祀ってあります。
何回目でしょうか。
幼少期の家康の筆です。「竹(千代)」が見えますね。
阿弥陀様の左右が、初代親氏と家康です。
欄間がすばらしい
歴代住職の位牌
歴代将軍の位牌
寄付者の名前です。金二万疋を寄付したのは、徳川家達(いえさと)宗家第十六代です。
「疋」はもとは布地二反の単位ですが、中世にはお金の単位としても使われました。
あるサイトによれば、「嘉永年間の百川の1人分の食事代金は、上が200疋、中が150疋、下が100疋だったそうで、100疋は1,000文、現在の金額でおよそ10,000円」に相当するそうです。これによると二万疋は、200万円です。
家康のお母さんです。
文字起こししてみましょう
国指定文化財 (史跡)
松平氏墓所
国指定 平成一二年二月四日
徳川家康(松平氏九代)の祖先である松平氏の墓所です。歴代住職の墓地より一段高い石垣上にあり、中央に松平氏の始祖である親氏(ちかうじ)の墓塔、右に二代泰親(やすちか)、左に四代親忠(ちかただ)夫人の墓塔が配されています。
墓塔は三基とも花崗岩(かこうがん)製の宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、室町時代中期から後期のものと思われますが、いずれも一部が欠損しています。四代親忠夫人の墓があるのは、親忠の第四子超誉存牛上人(ちょう よ ぞん ぎゅうしょうにん)が高月院第七代住職(一五七五年入山)であるため、母を祖先の陵墓の地に葬ったものと思われます。
墓域は五〇平方メートルあり、文政年間に一一代将軍徳川家斉(いえなり)、明治二三年に旧大和郡山藩主(やまと こおりやま)柳沢保申(やなぎさわやすのぶ)がそれぞれ修築して現在に至っています。
この画像出典 https://kazusa.jpn.org/b/archives/4556
松平郷館です。
殿様作曲家 松平信博が大きく紹介されていました。
その作品をお聞きください。
松平信博作曲編・旅は青空・侍ニッポン・天国に結ぶ恋400UP記念
侍 ニッポン(徳山 璉)
昭和06年(1931年) 日本ビクター 日活映画主題歌 作詞:西條八十 作曲:松平信博 獨唱:徳山 璉 伴奏:日本ビクター管絃樂団
松平郷館の出展物は次の動画でご覧ください。
徳川家 発祥の地 “松平郷館・高月院” 豊田市
明日へ続きます。
松平郷周辺FW -1- -2- -3- -4- -5- -6- -7- -8- -9- -10-
このブログでの他のシリーズは・・・
ベトナム・ホーチミン みてある記 -1- タイ・バンコク 見てある記-1- シェムリアップみてある記 -1- 香港に来ています 台湾レポート-1- 平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾- 函館 京都散策 さわやか中欧 見てある記 -1- 美濃 見てある記 -1- 東京散策 みちのく三陸海岸 見てある記-1- 滋賀探訪 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW 長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1- 犬山城周辺 -1- 近江FWⅡ 安祥城周辺-1- 「有松宿」-1- 堀川七橋めぐり-1- 松平郷周辺FW -1- 桑名城 -1- 「池鯉鮒宿」-1-
「社楽の会」HP:中国ODAみてある記 韓国研修・その2 ブリスベン