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愛知の街道を行く シリーズ1「岡崎宿」-1-

2024-06-24 07:20:48 | 取材・旅行

2024年6月22日(土)、栄中日文化センター主催、「愛知の街道を行く シリーズ1」(2024年1~6月)「岡崎宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、7回にわたって紹介します。

街道シリーズは宮宿、鳴海宿、有松宿、池鯉鮒宿に続いての5回目です。宮宿については 「宮宿」-1- を、鳴海宿については 「鳴海宿」-1-、有松宿については「有松宿」-1- 池鯉鮒宿については「池鯉鮒宿」-1- をご覧ください。

今回歩いたコースです。赤線が東海道です。

第1回は矢作橋駅から矢作橋まで

①名鉄矢作橋駅です。無人駅で初めて利用しました。

駅から北東へ向かって歩きます。

国道一号線を横断します。

東海道です。西側は・・・

東へ向かいます。

十王堂です。奥に、浄瑠璃姫墓所があります。

浄瑠璃姫 と 源義経 の物語は、https://japanmystery.com/aiti/joururi.html をご覧ください。

さらに岡崎市内の浄瑠璃姫の伝説地をめぐるコースもあります。

https://okazaki-kanko.jp/news/152

動画です。

 

さすが、歴史のある町です。

東海道の碑がありました。

弥五騰神社 

ここには矢作城があったとされます。引用します。https://shiro200303.sakura.ne.jp/Yahagi-jo.html


三河 矢作城
Yahagi castle

     矢作城跡【愛知県岡崎市矢作町土井城・羽城】
     矢作神社【愛知県岡崎市矢作町宝珠庵1】
      勝蓮寺【愛知県岡崎市矢作町宝珠庵16】
   矢作東小学校【愛知県岡崎市矢作町切戸28】
誓願寺・矢作保育園【愛知県岡崎市矢作町馬場4】
    弥五騰神社【愛知県岡崎市矢作町羽城78】
      光明寺【愛知県岡崎市矢作町加護畑69】

【立地】平城

【歴史】15世紀中期、美濃国土岐氏の流れを汲む島田氏の居城とされる。矢作城は2ヶ所在ったとされ、矢作町土井城に島田弾正、羽城〔端城〕に島田出雲守が居住し、松平氏に仕えて二十余村を支配したと云う。現在は住宅、アパートが建ち、遺構は無い。


【所感】国道1号線駅前東信号を北へ入ると、弥五騰神社、その裏手に矢作東小学校が在ります。この辺りが羽城と呼ばれる地で、東側が土井城と呼ばれる地です。両城の具体的な場所は分かりませんが、矢作東小学校を挟んだ東西に在ったと思われます。字馬場の誓願寺に兼高長者とその娘浄瑠璃姫の墓が在ります。東北の藤原秀衡を頼って旅を続けていた牛若丸〔源義経〕は兼高長者の屋敷に11日程滞在したと伝わります。義経と恋仲になった浄瑠璃姫は義経との別れ、叶わぬ想いから菅生川に身を投じた言います。


近江屋さんが見えてきました。

近江屋さんです。街道沿いには、和菓子屋さんが多いのが特徴です。

大福餅の自動販売機です。


② 矢作一里塚

https://www.asahi-net.or.jp/~vn6i-hgwr/toukaidou/toukaido-frame.htm

勝蓮寺門前に一里塚がありました。

江戸日本橋から82里の場所です。


③ 出会いの像です。

蜂須賀小六と秀吉が矢作橋で出会ったとされる伝説を像にしたものです。

明治天皇御駐蹕之所の碑です。

説明です。

文字起こししてみましょう。


出合之像 太閤伝説・日吉丸と小六


日吉丸(後の豊臣秀吉)は尾張国中村(今の名古屋市中村公園)の木弥兵衛(弥助)と妻のお仲の子で、八才のころから奉公にだされましたが、十二才の時の奉公先の陶器屋を逃げ出しました。家へ帰ることも
できず東海道を東へ下る途中、空腹と疲れて、矢作橋の上で前後不覚で寝ていました。 ここに海東郡蜂須賀村(今のあま市)に住む小六正勝(後蜂須賀小六)という野武士の頭が、手下をつれてこの付近を荒らし矢
橋を通りかかりました。通りざまに眠りこけている日吉丸の頭をけったところ、日吉丸は「頭をけり、ひと君のあいさつをしないのは無礼である。詫びて行け」と、きっとにらみつけました。 小六は子どもにして
は度胸があると思い、手下にするからその手柄を見せよといいました。
日吉丸はすぐさま承知し、橋の東の味噌屋の門のそばの柿の木によじ登り、郡内にはいり扉を開けて、小六たちを引き入れました。目的を果た逃げようとした時、家人が騒ぎだしました。 日吉丸はとっさに、石を
かかえ井戸に投げ込み、「盗賊は井戸に落ちたぞ」と叫び、家人が走り集まるすきに、すばやく門を抜け、小六たちの一行についたといいます。
史実とは異なりますが日吉丸と小六のこの伝説は、後の太閤秀吉と、武将蜂須賀小六の人間的一側面を語る物語として、今なお私たちの心に生き続け、乱世の時代劇を垣間みる話となっています。
この伝説を後世に語り継ぐため、ここに石彫を建立するものです。


矢作橋を渡ります。もちろん矢作川です。


歌川広重の矢作橋

架橋が簡単にできなかった江戸時代には日本最長の大橋でした。

1911年(明治44年)の矢作橋です。

出典はWikpedia

1913年(大正2年)架設の矢作橋です。旧橋より95メートルほど上流に長さ150間、幅3.5間の橋が架設されました。

出典はWikpedia

1951年(昭和26年)架設の矢作橋(左側)です。

出典はWikpedia

老朽化や耐震化などの観点から新橋への掛け替え工事を2006年(平成18年)10月に着手、2011年(平成23年)3月13日に16代目の橋が完成しました。

新しい橋の車道の幅員は、従来の3.25mから3.5mに広がり、歩道の幅員もそれまでの1.75mから3mに広がりました。

車線数は現行通りの片側二車線です。現代の矢作橋の橋長は300mです。

現在の矢作橋

画像出典 Wikipedia

現在の矢作橋は東海道に架かっていた橋よりも少し南側に位置していました。

動画です。説明は、我らが七種英康先生です。

 

明日に続きます。

「岡崎宿」-1- -2- -3-    -4- -5- -6- -7-


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