昨日は、市内巡り。
ちょうどその間だけ晴れて、最高の条件でした。
39名の参加者も熱心に学習してくれました(と思います)。
資料集に載っている事はそちらに譲り、このブログではそれ以外の事で説明できなかった話を紹介します。
久昌寺関係では、やはり、徳姫。ある意味、戦国の女性を象徴しています。
徳姫は、信長と吉乃の間の長女。
生駒屋敷の吉乃御殿(現在の龍神社社務所付近)で産まれています。
戦略的に、徳川家康の嫡男、信康に嫁がされます。
女の子は産まれますが、嫡子が産まれないのを心配した築山殿(家康の正室)が、信康に、元武田家家臣の娘を側室に迎えさせたため、徳姫が怒ります。
「お父さん、何とかしてよ!」と十二ヶ条の訴状を書き送りました。
通説では、今川義元の姪にあたる築山殿が、武田と協力して家康を倒し、連合で織田打倒を企てたとされています。
築山殿にとっては、嫁は憎っき信長の娘。そもそもうまくいくはずはありません。
徳姫と築山殿の「嫁・姑関係」の話なのか、謀反なのか?このあたりの真相ははっきりしませんが、結果的に、信長は、信康の殺害を命じ、築山殿も殺害されています。
徳姫にとっては、自分の訴えで、夫が殺されてしまったのです。政策上の具だったのか、スパイだったのか…、それが戦国の女性なのです。
本来、家康の後を継ぐはずの信康が殺された事で、確実に歴史が変わった事は事実です。
徳姫の人生はその後も翻弄され、77才で亡くなりました。