柳街道を小折の五叉路から北上すると、右手にこんもり盛り上がった塚が見えてきます。
それが富士塚です。
富士塚は、もともと前方後円墳です。
今は後円部のみが残され、高さ6.5メートルの塚に亀型の台座の上に六角形の碑が立っています。
それは生駒家の家紋(亀甲に五三の桐)に由来しています。
時は、小牧・長久手の戦い。
吉乃の兄、生駒家長は、甥に当たる織田信雄の命を受け伊勢長島城へ。
小折城は、幼い利豊が守っていました。
心配になった家康は、信雄とともに信雄の実家、小折城を訪ねます。
その時に、富士塚に立って敵情を視察したのです。
確かに、あの辺りでは、曽本の二子山か富士塚ぐらいしか、高いところはありません。
小牧山もしっかりと見えたはずです。
その六角形の碑は、6代目の利勝(5代利豊の養子)が建てたものです。初代家広以来の先祖の活躍を、あの林羅山の孫の信篤に碑詞を依頼し、石碑に刻みました。
何かの形で残す事は、大切な事です。