FREAKY 13 DEAKY

酔いどれの誇りと踊る熊へ

自分の顔。その人の顔。

2010-02-17 16:18:39 | 日記
昨日、二人の会話にてあることが話題になった。

彼女は、とある場所にある有名な施設の

介護士だ。

多くの認知症を患った老人のサポートをしている。

一言でサポートといってもやることは様々だ。

そこで亡くなられた患者さんたちのお見送りから、死化粧

や正装などもやるそうだ。

彼女はそこで何人いや何十人もの死に立ち合っているようだ。

介護の仕事を天職として日々、打ち込んでいる。

その彼女が様々な場面で気が付いたことの、一つを私に教えてくれた。

人は生き方がその人の死に顔に必ず表れる、というのだ。

それを聞いたとき、あれっと思った。

そうか・・死と生は切り離しはできないのだ。

とても当たり前のことなのだが、彼女のエピソードを聞いたとき

新鮮な気持ちになった。

死と生は別物にできないのだ。

我々が現に生きている、生の延長線上に死があるのだから。

この当然至極のことをどれだけ人は「実感」として受けて

生きているのだろうか。

その人の生き方が顔に表れる。

その人の生き方が死を迎えたときの顔に表れる。

その死に顔はどう生きてきたかの顔なのだ・・。

人の人生は様々だ・・・。

それを受け入れられない人の顔。

それを徐々に受け入れていく、受け止めていく人の顔。

彼女が坦々と仕事をしながら感じ、ふと気が付いたことの

もう一つ教えてくれたこと。

それを受け止めていった人の顔、最初は頑として認めない人が

少しずつ落ちる一滴の水のごとく受け入れていき心の準備が

徐々に徐々に出来た人は、例えれば仏様の様な顔になってくる

そうだ。

自分も今年43歳。

人生後半戦。人生の折り返し地点を回ったころ。

生きることを考えることは死を考えることの裏返し。

どう死ぬかはどう生きるかの裏返し。

日々悔いなく生きていきたい。

悔いがないことは受け入れられるということだからだ。

なかなか言うは易し、のことを書いているかもしれない。

ある人から見たら、甘いことを言っているように見えるかもしれない。

でも、こういうことは大事にして生きていきたいと思う。

人の顔は生き方が表れる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする