黒沢清だから期待値がいやが上でも高くなる。
それが可哀相…って思われたら負けだ。
劇場で観るのは初めてだ。
「回路」の衝撃は今でも覚えている。
伊丹十三監督に見出されて「スウィート・ホーム」を撮ったのも懐かしい。
トップランナーでやってるんだから力量は無くはない。
期待させるがゆえに…厳しい目がそそがれる。
でもこれって監督冥利につきることだ。
よし時間と手間をかけてもこの監督の撮った作品は封切で、館で観てみるんだといち映画ファンに想ってもらえるんだからね。
まずは褒めたい↓
香川照之扮する殺人鬼の棲家にある倉庫から風に靡いている屋外用のビニールカーテン。不気味で良かった!
東出昌大(←読めないよっ!)がカッコイイ良かった♥…さすが杏を射止めた男だけあるなと。
食べるシーンがよくあったが、美味そうで良かった。
それからドアチェーン越しから覗いた殺人鬼の見つめる香川の目。良かった。
…しかし、
しかし監督の意図したところなのかは微妙なのだが、
主人公含めて警察が間抜けだ。あまりにも酷い。
オープニングで主人公高倉が人質を助けようと勇み足で交渉しにいったら背中向けてフォークでブスッと刺されるなんて…間抜けだ。
このオープニングである意味不吉な予感が漂ってきた。こんなので最後まで観とおせるだろうかと。
殺人鬼から妻を救出する最後の方のシーンも酷い。
俺が全力で君を守る!と言って妻を取り戻してから吐くセリフ。
モンスターを目の前にしてそんな歯の浮いたセリフを吐けるのだからオメデタイ。
その直後その妻に薬物注射を打たれて気絶しちゃうんだから、ズッコケる。
あと主人公が普段から怒鳴りすぎる!ウルサイっていうの。
お蔵入りした事件の生存者に無謀な聴き込みをするとこも酷すぎる。だから生存者の女性にあんたは人の心ってもんがないの?!
って言われる始末。
この主人公の利己主義身勝手さはおそらく監督の意図したところでわざと観客を不愉快にさせているのだろう。ならば狙い通りということにもなるんだろう。
でも…主人公に共感できないまま最後までいくのは辛いよね。
ラストシーンで愛犬を撃って始末させようとするところもダメだ。
殺人鬼が銃を高倉に手渡して、自分の後頭部を指で指してここを狙うんだよ。というシーンでも
手渡された時にその後頭部を撃つでしょ?問答無用で。
なのにまたまた能書きがはじまってこれがお前の落とし穴だ!とか言ってバンバン!って…
だから「ンなわけねえだろう!」ってつぶやきながら見届けた。
最後の最後のシーンで竹内結子が洗脳と緊張から一瞬解放されるところで「ウギャーーーー!」と泣き叫ぶところも
観ていてシンドかった。
この映画の教訓は間違いなくある。
これはデビッド・フィンチャー監督の映画でも教えてくれたことだ。
ひとは波風をなるべくたてないようにするため人間関係を崩さないようにするほうを最優先するのだ。その隙を悪魔的に
ついてくるのがサイコパスだ。
会話が噛み合わないなと思ったら、そいつからなるべく距離を取る。
危ないなと思ったら近寄らない。
世間常識に囚われて手作りチョコなんか持って「地獄の家」にのこのこ引越挨しに行かない。
あと唯一主人公に共感が持てた行動として…
殺人鬼の棲家に奥さんを助けに行くとき靴を脱がないで侵入したところは、素直にそれでイイ!と思えた。
後輩刑事もベテラン刑事もみんな靴脱いで一人で侵入するんだもの…やっぱ皆殺しにされてるし。
この映画の流れるテーマの一つとして…
日本人は日本人を怖がり過ぎている。
向こう三軒両隣は、殺人鬼とストーカーとサイコパスばかりだ。という空気が漂っている。
だからがガス爆発で殺されちゃたお隣のお隣の田中さんみたいに
ご近所づきあいとかはいたしませんっ!みたいに変人さんあつかいされるくらいの人じゃないと
サイコパスに接して洗脳監禁されちゃいますよ、が底辺で流れている。
これが村上春樹の言うところの「世界には大きな穴がぽっかりと口を開けている。そこにハマらないようにすることは誰も
できない。ハマったら…残念だけどもそうなるしかない。」まあまあこんな感じのはなしだ。
だからって部屋から一歩も出ず生きていくわけにはいかない。
そう。生きていくこと自体がリスクなんだよな。
生まれてきた瞬間に危険と死が隣り合わせになって目の前に屹立している。
その中でどうやって生き抜くか、喜びを見い出していくのか、生きがいを見つけるか。
そして、一家消滅した現場からグオーンと画面が飛び立ってノーカットで空撮するところがあったが
あれはドローンじゃないかなと気になった。
それが可哀相…って思われたら負けだ。
劇場で観るのは初めてだ。
「回路」の衝撃は今でも覚えている。
伊丹十三監督に見出されて「スウィート・ホーム」を撮ったのも懐かしい。
トップランナーでやってるんだから力量は無くはない。
期待させるがゆえに…厳しい目がそそがれる。
でもこれって監督冥利につきることだ。
よし時間と手間をかけてもこの監督の撮った作品は封切で、館で観てみるんだといち映画ファンに想ってもらえるんだからね。
まずは褒めたい↓
香川照之扮する殺人鬼の棲家にある倉庫から風に靡いている屋外用のビニールカーテン。不気味で良かった!
東出昌大(←読めないよっ!)がカッコイイ良かった♥…さすが杏を射止めた男だけあるなと。
食べるシーンがよくあったが、美味そうで良かった。
それからドアチェーン越しから覗いた殺人鬼の見つめる香川の目。良かった。
…しかし、
しかし監督の意図したところなのかは微妙なのだが、
主人公含めて警察が間抜けだ。あまりにも酷い。
オープニングで主人公高倉が人質を助けようと勇み足で交渉しにいったら背中向けてフォークでブスッと刺されるなんて…間抜けだ。
このオープニングである意味不吉な予感が漂ってきた。こんなので最後まで観とおせるだろうかと。
殺人鬼から妻を救出する最後の方のシーンも酷い。
俺が全力で君を守る!と言って妻を取り戻してから吐くセリフ。
モンスターを目の前にしてそんな歯の浮いたセリフを吐けるのだからオメデタイ。
その直後その妻に薬物注射を打たれて気絶しちゃうんだから、ズッコケる。
あと主人公が普段から怒鳴りすぎる!ウルサイっていうの。
お蔵入りした事件の生存者に無謀な聴き込みをするとこも酷すぎる。だから生存者の女性にあんたは人の心ってもんがないの?!
って言われる始末。
この主人公の利己主義身勝手さはおそらく監督の意図したところでわざと観客を不愉快にさせているのだろう。ならば狙い通りということにもなるんだろう。
でも…主人公に共感できないまま最後までいくのは辛いよね。
ラストシーンで愛犬を撃って始末させようとするところもダメだ。
殺人鬼が銃を高倉に手渡して、自分の後頭部を指で指してここを狙うんだよ。というシーンでも
手渡された時にその後頭部を撃つでしょ?問答無用で。
なのにまたまた能書きがはじまってこれがお前の落とし穴だ!とか言ってバンバン!って…
だから「ンなわけねえだろう!」ってつぶやきながら見届けた。
最後の最後のシーンで竹内結子が洗脳と緊張から一瞬解放されるところで「ウギャーーーー!」と泣き叫ぶところも
観ていてシンドかった。
この映画の教訓は間違いなくある。
これはデビッド・フィンチャー監督の映画でも教えてくれたことだ。
ひとは波風をなるべくたてないようにするため人間関係を崩さないようにするほうを最優先するのだ。その隙を悪魔的に
ついてくるのがサイコパスだ。
会話が噛み合わないなと思ったら、そいつからなるべく距離を取る。
危ないなと思ったら近寄らない。
世間常識に囚われて手作りチョコなんか持って「地獄の家」にのこのこ引越挨しに行かない。
あと唯一主人公に共感が持てた行動として…
殺人鬼の棲家に奥さんを助けに行くとき靴を脱がないで侵入したところは、素直にそれでイイ!と思えた。
後輩刑事もベテラン刑事もみんな靴脱いで一人で侵入するんだもの…やっぱ皆殺しにされてるし。
この映画の流れるテーマの一つとして…
日本人は日本人を怖がり過ぎている。
向こう三軒両隣は、殺人鬼とストーカーとサイコパスばかりだ。という空気が漂っている。
だからがガス爆発で殺されちゃたお隣のお隣の田中さんみたいに
ご近所づきあいとかはいたしませんっ!みたいに変人さんあつかいされるくらいの人じゃないと
サイコパスに接して洗脳監禁されちゃいますよ、が底辺で流れている。
これが村上春樹の言うところの「世界には大きな穴がぽっかりと口を開けている。そこにハマらないようにすることは誰も
できない。ハマったら…残念だけどもそうなるしかない。」まあまあこんな感じのはなしだ。
だからって部屋から一歩も出ず生きていくわけにはいかない。
そう。生きていくこと自体がリスクなんだよな。
生まれてきた瞬間に危険と死が隣り合わせになって目の前に屹立している。
その中でどうやって生き抜くか、喜びを見い出していくのか、生きがいを見つけるか。
そして、一家消滅した現場からグオーンと画面が飛び立ってノーカットで空撮するところがあったが
あれはドローンじゃないかなと気になった。