ラ・ラ・ランドとアカデミー賞を競った作品。
バリー・ジェンキンス監督も黒人だ。
出てくる人物が全て黒人だ。
マイノリティーの世界の中でまたマイノリティーな存在である主人公シャロンの切ないラブストーリー。
これはゲイである主人公シャロンと
父親の様な憧れの存在である薬の売人で成功したフアンと
親友ケヴィンの物語。
母親が薬物中毒でほぼネグレクト状態とゲイであるゆえに激しい虐めの中
生き抜いていかなければならいシャロン。
キューバの移民であるフアンが子供時代海辺で夜遊んでいると
月光に照らされた肌がブルーに輝く逸話からムーンライトというタイトルがリンクする。
シャロンのあこがれの存在の男が薬で母親を廃人に追い込んでいく複雑な関係。
この厳しい社会を生き抜くためにはタフにならなければいけないシャロンは
かつてのフアンと同じような姿になって成長し闇社会でのし上がっていく皮肉。
シャロンが言う。俺に触れさせることを許したのはケビンお前だけだと。
その告白をした時のシャロンの表情が切なく美しい。
体も見た目の雰囲気も厳しいストリート社会を生き抜いてきたマッチョな姿なのに
その瞳は傷つきやすい少年時代のシャロンそのもの。
麻薬の売人をしてのし上がって生きてきたことにショックを受けながらも一人の
人間として受け入れようとする親友ケヴィン。
この映画にはいいセリフが沢山出てくる。
例えば
父親代わりの存在フアンが気の小さい心優しいいじめられっ子のシャロンに言う。
「いいかいシャロン。自分がどう生きていくかは自分で決めなさい。決して他人に決めさせてはならない。」
質素な生活をしながらもまっとうに料理人をしながら生きているケヴィンが売人で成功しているシャロンに言う。
「シャロン、オレは刑務所に出たり入ったりしながらでも今こうして仕事を持っている。
懸命に働いても微々たるものしか貰っていなくてもだ。
そして俺には子供もいて父親にもなった。かつかつの生活しか出来ていないがあのころ
の様な不安とはおさらばだ。そうオレは人生を自分のものにできたんだよ。」
まっとうに生き抜くことだって厳しいのだ。
このままだとシャロンもいずれは短命で終わることはフアンを見れば分かる。
映画の場面では写されていなくとも語られる物語ってやつがある。
麻薬がらみの裏社会でしか生きるすべを知らないシャロンはケヴィンと再会してどうなっていくのだろう。
これは観た人各々が想像するしかないのだが。
ケヴィンが心の支えとなっていくのでしょう。
なぜならばケヴィンは一度暴力事件になってもおかしくない時にシャロンが助けてくれたから。
その謝罪と償いをしたいから音信不通であったにもかかわらず突然連絡をとったのだから。
私自身ならどう対処するのだろう。
道を外れてしまって生きている親友が苦しんでいてゲイであり自分のことを愛していてくれたなら…
苦しい。
切ない。
そんな問いかけをしてくれる映画でした。
バリー・ジェンキンス監督も黒人だ。
出てくる人物が全て黒人だ。
マイノリティーの世界の中でまたマイノリティーな存在である主人公シャロンの切ないラブストーリー。
これはゲイである主人公シャロンと
父親の様な憧れの存在である薬の売人で成功したフアンと
親友ケヴィンの物語。
母親が薬物中毒でほぼネグレクト状態とゲイであるゆえに激しい虐めの中
生き抜いていかなければならいシャロン。
キューバの移民であるフアンが子供時代海辺で夜遊んでいると
月光に照らされた肌がブルーに輝く逸話からムーンライトというタイトルがリンクする。
シャロンのあこがれの存在の男が薬で母親を廃人に追い込んでいく複雑な関係。
この厳しい社会を生き抜くためにはタフにならなければいけないシャロンは
かつてのフアンと同じような姿になって成長し闇社会でのし上がっていく皮肉。
シャロンが言う。俺に触れさせることを許したのはケビンお前だけだと。
その告白をした時のシャロンの表情が切なく美しい。
体も見た目の雰囲気も厳しいストリート社会を生き抜いてきたマッチョな姿なのに
その瞳は傷つきやすい少年時代のシャロンそのもの。
麻薬の売人をしてのし上がって生きてきたことにショックを受けながらも一人の
人間として受け入れようとする親友ケヴィン。
この映画にはいいセリフが沢山出てくる。
例えば
父親代わりの存在フアンが気の小さい心優しいいじめられっ子のシャロンに言う。
「いいかいシャロン。自分がどう生きていくかは自分で決めなさい。決して他人に決めさせてはならない。」
質素な生活をしながらもまっとうに料理人をしながら生きているケヴィンが売人で成功しているシャロンに言う。
「シャロン、オレは刑務所に出たり入ったりしながらでも今こうして仕事を持っている。
懸命に働いても微々たるものしか貰っていなくてもだ。
そして俺には子供もいて父親にもなった。かつかつの生活しか出来ていないがあのころ
の様な不安とはおさらばだ。そうオレは人生を自分のものにできたんだよ。」
まっとうに生き抜くことだって厳しいのだ。
このままだとシャロンもいずれは短命で終わることはフアンを見れば分かる。
映画の場面では写されていなくとも語られる物語ってやつがある。
麻薬がらみの裏社会でしか生きるすべを知らないシャロンはケヴィンと再会してどうなっていくのだろう。
これは観た人各々が想像するしかないのだが。
ケヴィンが心の支えとなっていくのでしょう。
なぜならばケヴィンは一度暴力事件になってもおかしくない時にシャロンが助けてくれたから。
その謝罪と償いをしたいから音信不通であったにもかかわらず突然連絡をとったのだから。
私自身ならどう対処するのだろう。
道を外れてしまって生きている親友が苦しんでいてゲイであり自分のことを愛していてくれたなら…
苦しい。
切ない。
そんな問いかけをしてくれる映画でした。