宮越珈琲でブレイクしてたら思いついた。
カウンター越しでブレンドコーヒー淹れているマスターに
いつもの雑談をしていた。
ここはケーキセット1000円以上とるのにいつも混んでるねとか。
じいさんばあさん率が高いから金持ってんだねとか。
休みはいつから?とか休みとれたの?とか腰が痛いから腕のいい鍼灸院知らんか?とか。
本当に他愛もないはなし。
これはAIロボットは出来ない。
会話が成り立てば良いのか?
違うね。
そこに感情の揺らぎ体温エモーショナルが肌感覚で伝わり合わなければ
虚しさだけになるだろう。
様々な職種がAIに取って代わるのは間違いないがそんなに悲観することないと思う。
キューブリック&スピルバーグの「A.I」を観てもそうだ。
フィリップ・K・ディック「電気羊」だっておなじ。
本物そっくりと本物には歴然と一線が引かれる。
2025年問題。
まだ俺は還暦手前だけど老人予備軍スターティングメンバーだ。
今までの時代は人間がロボットのごとく働いていた。
それはロボットがするようになる。
いよいよ人間しか出来ないこと思いつかないこと解決できないことを
使っていなかった脳みそと体を使う時代に入ってくる。
人間が生身の人間を求める時代はくる。
本当の「LIVE」の時代。
今はまだ体温や息が感じられる関係が鬱陶しいとこがある。
これが変わる。
金属ファイバーカーボンなど化学物質の冷たい世界も広がるが
人の温もりや息づかいが伝わってくるものが恋しくなる時代にもなる。
SNSで人間同士繋がろうとする現象がそれを物語っている。
こうやってPCを使ってこんなことを書いて発信していることだってたぶん
そういうことだろう。