2002年の日朝平壌宣言で、金正日は日本人を拉致したことを認め、日本は5人の被害者を取り戻すことが出来ました。
その12年後の平成26年(2014年)5月26日から28日までスウェーデン、ストックホルムで日朝政府間協議が行われ、
拉致問題について再度話し合われましたが、あまり実のある内容ではありませんでした。
外務省のサイトには次のように記載されています。⇩
5月26日から28日まで,スウェーデン・ストックホルムにて開催された日朝政府間協議の概要以下のとおり。(日本側代表:伊原純一アジア大洋州局長,北朝鮮側代表:宋日昊(ソン・イルホ)外務省大使)
- 今回の日朝政府間協議は,前回の議論の内容を踏まえつつ,双方が関心を有する幅広い諸懸案について,集中的に,真剣かつ率直な議論を行った。(29日に発表した合意文書は別添のとおり。)
- その他,北朝鮮側からは,改めて朝鮮総連本部不動産の競売問題に関して強い懸念の表明があり,日本側から現在,裁判所により進められている手続について説明した。
- また,日本側からは,北朝鮮による核・ミサイル開発及び地域・朝鮮半島の緊張を高めるような挑発行動について,北朝鮮の自制を求め,日朝平壌宣言や関連国連安保理決議,六者会合共同声明等を遵守するよう求めた。
双方は,日朝平壌宣言に則って,不幸な過去を清算し,懸案事項を解決し,
国交正常化を実現するために,真摯に協議を行った。
日本側は,北朝鮮側に対し,1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人
の遺骨及び墓地,残留日本人,いわゆる日本人配偶者,拉致被害者及び行方不
明者を含む全ての日本人に関する調査を要請した。
北朝鮮側は,過去北朝鮮側が拉致問題に関して傾けてきた努力を日本側が認
めたことを評価し,従来の立場はあるものの,全ての日本人に関する調査を包
括的かつ全面的に実施し,最終的に,日本人に関する全ての問題を解決する意
思を表明した。
日本側は,これに応じ,最終的に,現在日本が独自に取っている北朝鮮に対
する措置(国連安保理決議に関連して取っている措置は含まれない。)を解除す
る意思を表明した。
双方が取る行動措置は次のとおりである。双方は,速やかに,以下のうち具
体的な措置を実行に移すこととし,そのために緊密に協議していくこととなっ
た。
―日本側
第一に,北朝鮮側と共に,日朝平壌宣言に則って,不幸な過去を清算し,懸
案事項を解決し,国交正常化を実現する意思を改めて明らかにし,日朝間の信
頼を醸成し関係改善を目指すため,誠実に臨むこととした。
第二に,北朝鮮側が包括的調査のために特別調査委員会を立ち上げ,調査を
開始する時点で,人的往来の規制措置,送金報告及び携帯輸出届出の金額に関
して北朝鮮に対して講じている特別な規制措置,及び人道目的の北朝鮮籍の船
舶の日本への入港禁止措置を解除することとした。
第三に,日本人の遺骨問題については,北朝鮮側が遺族の墓参の実現に協力
してきたことを高く評価し,北朝鮮内に残置されている日本人の遺骨及び墓地
の処理,また墓参について,北朝鮮側と引き続き協議し,必要な措置を講じる
こととした。
第四に,北朝鮮側が提起した過去の行方不明者の問題について,引き続き調
査を実施し,北朝鮮側と協議しながら,適切な措置を取ることとした。
第五に,在日朝鮮人の地位に関する問題については,日朝平壌宣言に則って,
誠実に協議することとした。
第六に,包括的かつ全面的な調査の過程において提起される問題を確認する
ため,北朝鮮側の提起に対して,日本側関係者との面談や関連資料の共有等に
ついて,適切な措置を取ることとした。
第七に,人道的見地から,適切な時期に,北朝鮮に対する人道支援を実施す
ることを検討することとした。
―北朝鮮側
第一に,1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地,残
留日本人,いわゆる日本人配偶者,拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日
本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施することとした。
第二に,調査は一部の調査のみを優先するのではなく,全ての分野について,
同時並行的に行うこととした。
第三に,全ての対象に対する調査を具体的かつ真摯に進めるために,特別の
権限(全ての機関を対象とした調査を行うことのできる権限。)が付与された特
別調査委員会を立ち上げることとした。
第四に,日本人の遺骨及び墓地,残留日本人並びにいわゆる日本人配偶者を
始め,日本人に関する調査及び確認の状況を日本側に随時通報し,その過程で
発見された遺骨の処理と生存者の帰国を含む去就の問題について日本側と適切
に協議することとした。
第五に,拉致問題については,拉致被害者及び行方不明者に対する調査の状
況を日本側に随時通報し,調査の過程において日本人の生存者が発見される場
合には,その状況を日本側に伝え,帰国させる方向で去就の問題に関して協議
し,必要な措置を講じることとした。
第六に,調査の進捗に合わせ,日本側の提起に対し,それを確認できるよう,
日本側関係者による北朝鮮滞在,関係者との面談,関係場所の訪問を実現させ,
関連資料を日本側と共有し,適切な措置を取ることとした。
第七に,調査は迅速に進め,その他,調査過程で提起される問題は様々な形
式と方法によって引き続き協議し,適切な措置を講じることとした。
※金正恩体制は2011年12月30日から
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あの日朝平壌宣言から12年後にやっと事態は動き、今度は誰が帰国できるのかと多くの人は期待していました。
ところが、北からの返答はほぼゼロ回答でした。
更には日本側の方が拉致問題よりも国交正常化を目的としてかのような文言でしたし、
新たに遺骨問題や日本人妻の事が加わりました。
遺骨問題も大事でしょう。
日本人妻も自由に帰ってきてもらいたいのは山々ですが、
それでも無理やりや、騙されて北朝鮮に行った人の方が早く帰国してもらいたいのが人情というものです。
遺骨問題や日本人妻が加わり、拉致問題がぼやけてしまいました。
第一の目的は拉致被害者を取り戻すことだった筈。
それがこの様な合意でお茶を濁され、肩透かしを食ったような気分になったのを覚えています。
また蓮池薫さんの兄、蓮池透さんと有田芳生氏が揃って遺骨問題に熱中し出したのも納得できませんでした。
更には気の良い横田滋さんまでが遺骨問題の会合に度々顔を出していたのも気になっていました。
被害者家族の分断なのか、思い過ごしなのか。。。
とにかく、ここでも「不幸な過去の清算」が前面に出しています。
つまり北朝鮮側は、植民地支配の謝罪と賠償が先決だという事なのでしょう。
既に韓国には巨額の経済支援をしています。
だからそれと同等の保証を求めたいのでしょう。
ただ、ちょっといやらしい言い方になりますが、
あの時、韓国は朝鮮半島での唯一の国家だと言って支援金を受け取っています。
つまり北朝鮮の分も受け取ったと取れる言い方でした。
この事について日本政府はどう受け止めているのか知りませんし、
韓国も北朝鮮の分とは思っていなかった、あれは韓国だけの支援金だったと言うでしょうが。
ここでも曖昧戦術が禍根を残す事態になってしまっています。
南北朝鮮や中国には念には念を入れて、確認すべきですし、言い逃れできないように、
そして別の解釈ができないようにしっかり文言に残すことが重要だとよくわかります。
いずれにしても北朝鮮は話を長引かせてより多くの資金を日本から引き出したかったのです。
また調査をすると言っていますが、拉致被害者はいわば金の生る木との捉え方でしょうし、
あの独裁国家が被害者の住む所から始まって行動を把握していない筈はありません。
全ての拉致被害者を監視下に置いていると思うのが妥当です。
それなのに、交渉の官僚は北朝鮮の言いなり、北朝鮮に疑問の言葉も挟まず合意したとは
如何に頓馬だったかと言いたくなります。
直接の交渉者ではありませんが、この時の外相は岸田さんでしたから、
その責任は直轄の大臣である岸田さんにあるのは言うまでもありません。
総理は安倍さんなんですが。。。。
ですからストックホルム合意について岸田さんに是非意見を聞いてみたいものです。
最近も石破さんは双方に連絡事務所を作って情報交換したらいいと言っていましたが、
何を考えているのやら。。と溜息しかありません。
※過去記事から「北遺族連絡会」を調べましたが、解散したのかHPに辿り着けませんでした。
去る9月17日は日朝平壌宣言から20年でしたが、
詳しい事を知りたくてwikiを見ると、三党共同宣言という聞きなれない言葉が。
「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言」って何? - 気になる事 blueのためいき (goo.ne.jp)
この三党共同宣言は日朝平壌宣言から2年前の出来事でした。
時系列で辿ると。。。⇩
1990年9月に金丸信が訪朝し、金日成らと三党共同宣言を発表したのが9月28日。
同行者は社会党田辺誠、自民党小沢一郎、石破茂?
1991年12月には金日成と文鮮明と面談し、
1992年4月に東京で金丸信と文鮮明が面談。
因みに桜田淳子の合同結婚式が1992年8月。
この流れを見ると、小沢一郎と石破茂は文鮮明を知らない筈がないと見るのが妥当ではないでしょうか。
ワイドショーでは自民党議員と世界日報と少しでも繋がりがあれば糾弾されるおかしな事態になっていますが、
高市早苗さんに至ってはビューポイントという聞き慣れない機関紙で対談しただけ、それも21年前の事をとやかく言われる始末です。
最近になって、石破氏は世界日報の元社長にパーティ券を10枚買ってもらい、講演もし、10万円の寄付もあったと判明したがワイドショーで本人に問い質したのでしょうか。
というか野党議員も何らかの繋がりがあっても問い詰められていませんが、この不平等さは何なのでしょう。
安倍元首相や近い議員は糾弾され、自民党議員でも反安倍や左翼野党なら不問にするワイドショーは世論をどうしたいと思っているのでしょう。
話が逸れましたが、統一教会の創設者と面談した可能性のある小沢一郎や石破茂は祝電を贈った議員とは桁違いの親密さになります。
にも関わらず、問題にされない不可思議。
ところで自虐史観に基づく謝罪外交を目の当たりにした文鮮明は、これを利用しない手はないと霊感商法で破産するまで日本人から資金を巻き上げる方法を考えたのでしょう。
過去の償いをしろ!植民地支配を謝罪する為に献金しろ!と。
こう考えると諸悪の根源は日本人の自虐史観だと考えられます。
当時は特に「南北朝鮮を植民地として支配して申し訳なかった。反省している。許して欲しい。」と考える日本人も多かったでしょう。
そんな気持ちを逆手に取られこの問題が大きくなったのです。
更には安倍憎しが度を越して、テレビが世論を洗脳中。
結果、自民党離れが進み、左翼野党に流れる勢いです。
まさかとは思いますが、まさかの事態(政権交代)が絶対起こらないと誰が言えましょう。
繰り返しになりますが、諸悪の根源は自虐史観です。
慰安婦問題、徴用工問題、そして旧統一教会問題に、拉致問題も。
そしてテレビで大きく報じれば世論が動くと証明されたのです。
この事を拉致問題解決に利用して欲しい。
政治家が本気になり、テレビが本気になれば世論が動くのです。
世論が動けば北朝鮮も動くかもわかりません。
その少しの望みにも期待したいです。
日本にとって何が重要か考えたいです。
そして家族や親族、友人に被害者がいないからと他人事で済ます日本人でいいのかと、問いたいです。
また、この自虐史観はおかしいと気付かせてくれた一人が安倍元総理だと知って欲しいです。
日朝平壌宣言を調べると、
日朝平壌宣言においては、1991年の「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言」(三党共同宣言)に関する言及がなされなかった。
とあります。
「三党共同宣言」って何?
初めて聞く宣言です。
これまたwikiによると、●1990年9月28日に「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言」
とあります。
日本側は自由民主党の金丸信と日本社会党の田辺誠。
北朝鮮側は朝鮮労働党の金勇淳。
この日本と北朝鮮の3人で合意した宣言です。
まずは1990年9月26日に金丸信と金日成が会談します。
そして28日に日朝3党の共同宣言が発表されたのです。
以下はその時の宣言文です。
三党代表団は、自主・平和・親善の理念にもとづき日朝両国間の関係を正常化し発展させることが両国国民の利益に合致し、新しいアジアと世界の平和と繁栄に寄与すると認めつぎのように宣言する。
1.三党は、過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める。自由民主党海部俊樹総裁は、金日成主席に伝えたその親書で、かつて朝鮮に対して日本が与えた不幸な過去が存在したことにふれ、「そのような不幸な過去につきましては、竹下元総理が、昨年3月国会におきまして深い反省と遺憾の意を表明しておりますが、私も内閣総理大臣として、それと全く同じ考えである」ということを明らかにして、日朝両国間の関係を改善する希望を表明した。
自由民主党代表団団長である金丸信衆議院議員も朝鮮人民に対する日本の過去の植民地支配に対して深く反省する謝罪の意を表明した。三党は、日本政府が国交関係を樹立すると同時に、かつて朝鮮民主主義人民共和国の人民に被らせた損害に対して十分に償うべきであると認める。
2.三党は、日朝両国間に存在している不正常な状態を解消し、できるだけ早い時期に国交関係を樹立すべきであると認める。
3.三党は、日朝両国間の関係を改善するために政治・経済・文化などの各分野で交流を発展させ、当面は、通信衛星の利用と、両国間の直行航路を開設することが必要であると認める。
4.三党は、在日朝鮮人が差別されず、その人権と民族的諸権利と法的地位が尊重されるべきであつて、日本政府は、これを法的にも保証すべきであると認める。
三党は、また、日本当局が朝鮮民主主義人民共和国と関連して、日本のパスポートに記載した事項を取り除くことが必要であるとみなす。
5.三党は、朝鮮は一つであり、北と南が対話を通じて平和的に統一を達成することが朝鮮人民の民族的利益に合致すると認める。
6.三党は、平和で自由なアジアを建設するために共同で努力し、地球上のすべての地域で将来核の脅威がなくなることが必要であると認める。
7.三党は、朝日両国間の国交樹立の実現と懸案の諸問題を解決するための政府間の交渉が本年11月中に開始されるよう強く働きかけることについて合意した。
8.三党は、両国人民の念願とアジアと世界の利益に即して、自由民主党と朝鮮労働党、日本社会党と朝鮮労働党間の関係を強化し、相互協調をさらに発展させることを合意した。
1990年9月28日 平壌にて
自由民主党を代表して 金丸信
日本社会党を代表して 田辺誠
朝鮮労働党を代表して 金勇淳
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日朝平壌宣言から遡ること12年、1991年に金日成と自民党と社会党との共同宣言で合意していました。
金丸信は古い体質の自民党議員であり、
田辺誠は中国に南京事件記念館の建設を要請したこれまた国賊ともいえる人物です。
そんな二人と北朝鮮の合意ですが、日朝平壌宣言から12年も前ですから、自虐史観そのものであり、
土下座外交そのものです。
金丸らは日本が朝鮮を植民地支配し、見下し、奴隷のように使っていたと思っていたのでしょうか。
謝罪するのはタダだし、賠償するのも自分たちの腹は痛まない、とでも思っていたのでしょうか。
朝鮮統一と非核化の考えで、一見崇高な精神に基づいている様ですが、
日本にとっての最大懸念事案である拉致問題には触れていません。
因みに大韓航空機爆破事件は1987年11月29日に起こり、
その時には拉致被害者の田口八重さんの存在が明らかになっています。
つまり共同宣言の3年前に拉致問題が明らかになっていますから、ここで拉致問題に触れないのはおかしなことです。
これで如何に拉致よりも国交正常化を優先していたのかわかります。
いつの時代も、南北朝鮮との関係が拗れるのは日本による朝鮮半島統治問題です。
戦後のGHQ政策の一つにプレスコードがあり、禁止事項の一つに朝鮮人への批判がありましたが、
その検閲項目が戦後ずっと守られてきたからなのか、
関連して自虐史観を徹底して教え込まれた学校教育の結果なのか。。。。
一般的には植民地支配と言えば、搾取に抑圧、人権無視にジェノサイド。
悲惨な生活を強いられ、家畜同様、もしくはそれ以下の扱いを受ける悲惨な原住民です。
対して日本の統治は識字率を上げ、インフラ整備に本国と変わらない生活の保障でした。
それをずっと植民地支配で虐げられたと言われていたら堪りません。
安倍総理の戦後70年談話では
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べています。
この言葉でどれだけ若者たちが勇気づけられ、日本人としての誇りを持っていいと思ったのか。
自虐史観から脱出していいと思わせてくれた安倍元首相には感謝したいですし、
日本人としての誇りを持つ事を子供たちに教えてくれた総理として胸に刻みたいです。
日朝平壌宣言に三党共同宣言。
どちらも自虐史観に基づいた宣言であり、拉致問題無視、国交正常化優先の宣言であり、
拉致被害者を見捨てたような宣言であったと思ってしまいます。
※三党共同宣言の日付について
wikiの日朝平壌宣言の「批判」の項目では三党共同宣言が1991年となっています。
しかし三党共同宣言の説明文及び宣言文末尾の日付が1990年です。
これらの事から正しくは1990年だと判断します。