「姉・るみ子に会いたい」 増元さん弟が金正恩第1書記に手紙 北朝鮮は受け取らず(産経新聞) - goo ニュース
昭和53年8月に北朝鮮に拉致された増元るみ子さん(61)=拉致当時(24)=の弟、照明さん(59)が30日、拉致被害者の支援組織「救う会」を通じ、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記に、すべての拉致被害者の解放を求める手紙を書いたことを明らかにし、内容を公表した。
手紙は4月15日付。照明さんによると、手紙は北朝鮮を訪れたフリージャーナリストに託したが、北朝鮮当局は受け取らなかったという。
手紙では、るみ子さんが53年に鹿児島県から拉致され、平成14年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮から「死亡」という説明があったことを紹介。だが、るみ子さんが生存している可能性が非常に高いため、救出活動を続け、「私は姉・るみ子に会いたい。生きたるみ子の声を聴きたいと願ってやみません」という思いが記されている。
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増元照明さんの手紙の全文は以下の通りです。
朝鮮労働党
金正恩第一書記 殿
平成27年4月15日
拉致被害者・増元るみ子実弟
増元 照明
初めて手紙を書かせていただきます。
日本人拉致被害者・増元るみ子実弟、増元照明と申します。
先ず、次のことを貴職に要請いたします。
1、姉・るみ子を含むすべての日本人拉致被害者の解放を速やかに実施していた
だきたい。
2、アノーチャ・パンジョイさん、ドイナ・ブンベアさん等々、外国人拉致被害
者の安否情報を明らかにするとともに生存者の即時解放を実施していただきたい。
姉・るみ子は西暦1978年8月12日、日本国鹿児島県の東シナ海に面する吹上浜
にて貴政権の工作員によって拉致され北朝鮮領域に連れ去られたものです。
同2002年9月17日の日朝首脳会談において、故金正日総書記と元日本国総理・
小泉純一郎との会談の中で、総書記からの報告としてもたらされた情報提供によ
り「拉致」の事実が公になりました。
しかしながら、その際の報告では姉・るみ子に関しては、1981年8月17日に心
臓発作により死亡とされました。しかし、その後の我々の情報収集により、生存
の可能性が非常に高いことが判明しました。当然ながら、私は姉の生存を確信し、
彼女の帰国のために活動を続けております。
姉・るみ子は生を受けて以降、まじめに暮らし、懸命に生きてきました。そし
て、私達家族も彼女との生活を楽しみながら未来への希望をもって生きてきまし
た。
それが、突然日本国領内から貴領域へ拉致され既に37年もの長い歳月が過ぎて
います。
その間、娘との再会を待ち望み、「帰ってくるまで死なない」と言っていた父
が病に倒れ、今また、母も87歳という年齢に達し、日々、姉との再会だけを願い、
待ちわびています。
今私は姉がどのように暮らし、どのように生きているのかを知りません。しか
し、日本への思慕を捨てることなく家族との再会を待ち望んでいると推察します。
貴職も人の親となり、子供への愛情や家族への思いを強くされていると思いま
す。人の親として日本で子供や兄弟を待ち望む家族の思いを重く受け止め、早々
に解放の決断をお願いします。
現在、日本国民の8割は被害者の帰国を望み、私たちの救出運動に賛意を表し、
署名という形でその思いを届けてくれました。その数は既に1千万筆に達し、い
まだその数は増え続けています。
日本国民は決してあきらめておりませんし、被害者が無事帰国することだけを
望んでいます。
在日本朝鮮人総連合会の人々は、貴政権の方針を支持し、日本国内で日本人と
の共生の道を狭めているのが現実です。
もし、本当に彼らが日本と朝鮮との架け橋を目指すのであれば、また、貴政権
が本当に我が日本国との友好関係構築を目指すのであれば、未だ帰国していない
「日本人拉致被害の解放」は日本国にとっても日本人にとっても不可欠の条件で
す。
日本国民の意思を軽んじることは誤りです。どのような報告が上がっているの
かわかりませんが、日本国の現状は上述の通り2002年より変化をしているもので
はありません。
この点をご留意の上、必ずすべての拉致被害者の解放へ向けた動きを開始し、
日本国との真摯な交渉を行っていただきたい。
私は姉・るみ子に会いたい。生きたるみ子の声を聴きたいと願ってやみません。
是非、金正恩第一書記におかれましては善処をお願い申し上げます。
以上