金正日が拉致を認め5人が帰国したときのこと(R5.12.25)
令和5年12月25日月曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1350号。平成14年(2002)9月に小泉訪朝で金正日が拉致を認め、10月5人が帰国したときの興奮は直接体験した世代でないと分からないと思います。それを知らない世代が増えているとき、どうすべきか、というお話しです。
21年前のあの日。。。
あの日の事はよく覚えています。
5人が飛行機のタラップを降りてくる様子。
多くの出迎えの人達。
その中で一人の女性。
それが曽我ひとみさんでした。
政府も曽我さんが拉致被害者だと知らなかったと聞きます。
そして数百人の被害者がまだ北朝鮮に残されていると知ったのは暫くしてからです。
※拉致被害者5人が帰国した時の様子⇩
北朝鮮による拉致事件の被害者である、蓮池薫さん、奥土(蓮池)祐木子さん、地村保志さん、浜本(地村)富貴恵さん、曽我ひとみさんの5人が、2002年10月15日、24年ぶりに帰国しました。日本政府のチャーター機から羽田空港に降り立ち、帰国を待ちわびた家族らが出迎える瞬間です。
当初、被害者5人は一時帰国であり、北朝鮮に戻る約束でした。
しかし拉致された人、誘拐された人を誘拐犯の元に戻す事はあり得ない事です。
ですから世論の力もあり、5人は北朝鮮に戻る事はなく、更にはあの時北朝鮮に残っていた子供も帰国出来たのです。
あの時、世論が騒がなければ、マスコミが大きく取り上げなければ、もしかしたら帰国出来た5人はまた北朝鮮に戻ったのかもわかりません。
それだけ世論の力は大きいのです。
多くの人の記憶から拉致問題が薄れてきている今、もっとマスコミがこの問題を取り上げ、
そして世論を動かして欲しいです。
その為には政府も動かなければなりません。
ブルーリボンバッジはお飾りではありません。
とはいえバッジを着けない国会議員も多くいます。
国内外に日本の現状を示す為、そして北朝鮮に圧力をかける為にもブルーリボンバッジを着けてもらいたいです。
閣僚が率先して着けるべきをそれをしない閣僚も。
また政府も拉致問題解決が最重要課題と言うなら、それなりの活動、見える活動もするべきです。
水面下で交渉しているような発言もありますが、疑わしいです。
帰国後の事、家族の事を考えると、一日も早い帰国が待たれます。