玉縄城址の南西、藤沢市渡内に二伝寺があります。二伝寺砦があったところで、戦国期は鎌倉防衛の第一防衛線を形成していました。一番高い所で73m。山頂に立てば、遠く大山から箱根の山と富士山が望める見晴らしの良い場所です。この二伝寺は玉縄城の初代城主である北条氏時発願で福原忠重の援助で建てられました。住所が藤沢市なので、鎌倉市民にはなじみが薄いのですが、なかなか立派なお寺です。
この二伝寺も玉縄城とつながる多摩丘陵の南端に位置しています。地元の方の話によりますと、それは丹沢山系から流れる伏流水の水脈が地中にあり、玉縄城内では井戸を掘れば水が出たということでした。玉縄城が難攻不落な城であるためには、城内に飲料水があることが必須条件であり、なるほどと思った次第です。ふわん坂の下、相模陣屋のそばに玉ノ井という井戸があり、北条氏繁の奥方である七曲殿がお茶のための水を汲みに行ったという話も残っています。台地のヘリから水が湧き出ても不思議ではないと考えられます。
写真は二伝寺の本堂の裏にある井戸を写したもの。井戸の所の標高は60m位。確認はしていませんが、もし現在も使用できるのであれば、玉縄城でも水が確保できたはずです。伊勢宗瑞(北条早雲)がこのことを知っていて、玉縄城を修築し、関東支配の拠点にしたのであれば、この人は只者ではないですね。宗瑞があと100年遅く生まれていれば、歴史が変わっていたかもしれませんね。タラレバの話です。